バンガロールはここに来て、身近な場所でも感染者の報告が出始め、インドにおける重篤化や致死率は、デング熱やマラリアに比して、実際どっちが多いのかといったことに思いを馳せるも、現状は変わらぬ日々。
この「異様事態」に陥った当初は、諸々考えて精神的にも疲労していたが、4月中旬に入り動画を撮影し始め、迷走しつつも2カ月後の先月半ば、自分の半生動画を撮影し始めてから、かなり霧が晴れたような気分でいる。
偉人伝じゃあるまいし、個人の経験を語るのには長すぎる、濃すぎる、というのは重々承知だ。そもそもマイノリティな生き方をしているので、共感する人も少ないだろう。それでも、少数ながらも「ハマって」見てくれる人がいるということは大きい。そして、少なくてもいい。きっと「通じ合える誰か」に出会えるはずだ。
大学などでの大規模な講演を除いては、自宅でのセミナーは通常1回に10〜15名が対象。日本人会などに依頼された時も、せいぜい50人程度。しかし、その準備はたいへんだった。
例えば「インド・ライフスタイルセミナー必修編」。みなさんそれぞれにご多忙で、複数回を受講できるわけではないから、一気に詰め込み、インドにまつわるさまざまな「端緒」を提供する。そして各自、興味のあるテーマを勉強してもらうべく「大量の資料」を人数分準備していた。時間がかかるし、エコロジカルでもない。
さらには、歳月を重ねるにつけ、わたしの引き出しはどんどん増える。伝えたいことは増えるばかりでセミナーの内容は濃くなる一方。それらを伝えるのも、聞くのも、体力勝負だった。
実はこれまでも、動画にするべきではないかと考えたことはあった。
しかし踏み切れなかった。あとで間違いを見つけるかもしれない、不完全かもしれないと、いろいろやらない理由を探していた。新たな試みを面倒だ、と思ってもいた。ゆえにロックダウンを機に「ここで発信するしかない」という状況になったのは、好機だった。
最初はあれこれ実験していたが、「インドにおけるCOVID-19」の状況を伝える1時間ほどの長編動画を作ってみて、これもありだな、と思った。
ゆえに、インドのセミナーを収録する前に、試しに決して間違えようがない「自分の過去」を語る動画を、ひとまず「福岡/下関時代」と「東京時代」を作ってみた次第。編集などに手間取ったが、これは思った以上に、自分の精神にいい作用をもたらした。
もう、2度と同じことを語る必要はない。たとえば今後は、これを見てもらった人を対象にオンラインで座談会を開くなどして、質疑応答や個別のテーマで話ができる。
長い動画は、コンテンツをつけることにしたので、「〇〇の話は15:00~見てください」といった活用もできる。
これから「ニューヨーク起業時代」、そして「インド時代」と話が益々厚くなるが熱くなるが、そこはもう、関心のある人に届けば十分だ。なにしろ、一度に10人程度しか伝えられなかったことが、100人、200人、500人と届くのである。Youtube的には非常に少ない視聴者でも、わたしにとっては大きな変化だ。
「福岡/下関時代」の動画でも語ったが、わたしは過去の記録を克明に残している。「綴る」作業が一つの瞑想のようでもあり、精神を鎮め整えてくれる。しかし動画で「語る」ことは、それ以上に、「扉を閉じる」効果があるとわかった。
「過去の扉を閉じる」そして「次の部屋から差し込む光に向かって歩き出す」
これは、還暦やら定年退職やらの記念に自伝を自費出版するオヤジのような心境だとも思う。還暦にはまだ5年あるが、まもなく55歳になる今年は自分自身、区切りの年だと思ってきた。そういう意味で、早いところ、ニューヨーク、インド時代の動画も作成し、完全に後ろの扉を閉めようと思っている。
このインターネットという存在が安泰である限り、今しばらくは、このやり方を続けてみようと思う。こんな形で自己発現ができる時代に生まれてよかったと思う。
「ネタは、1000本はありますね!」と、またしても野球部みたいなことを、今朝のFM熊本の収録で話したら、DJのナガキさんに笑われた。
生きているうちに、動画で語りたいことを語り尽くすことは不可能であろう。録画や編集が追いつかない。それだけ話せるネタがあるということも、旅する人生ならではだと思う。旅ができない今、旅のすばらしさが、痛いほど、心に刺さる。さらに言えば、夫との日常生活においても、本当に笑えるネタが尽きないのだ。
「日印夫婦の噛み合わない日常 〜永遠の異文化交流〜」というシリーズも作れるな。
💐写真は、29年前、スウェーデンのガラス王国をドライヴ取材したときに買ったガラスの花瓶。そして敷いているテーブルランナーは、2年前のストックホルムで購入したもの。