今回の「在外邦人にも10万円を」という活動の背景にあるのは、お金の問題だけではない。海外に暮らす日本人は、日本人として認められないのか、という点が取り沙汰されるよう見受けられる。
海外で暮らすに際し、わたしたちは、日本に住んでいる時以上に、日本を意識せねばならない。たとえばわたしは、日本にいれば「みほさん」だが、海外では「ジャパニーズの、みほ」だ。
わたしが何かをしでかせば、「日本人女性がやった」とされる。
わたし個人のミスが、日本という国の印象を左右することさえある。逆によきことをすれば、日本のイメージアップにつながる。
好むと好まざるとに関わらず、母国を離れた瞬間に、目に見えぬ日の丸をまとっている。
その国の人たちと結婚し、さらに子供のいる人は、グローバル社会においては、日本と海外をつないでくれる「大切な宝」だ。海外生活経験のある帰国子女にしても然り。故にわたしは米国在住時から、日本における帰国子女の問題についてとくと考えてきた。
海外に暮らす日本人は、それが「誰であれ」「どんな形であれ」日本と日本以外の国をつなぐ役割を果たす、いわば民間の大使である。
日本国籍(パスポート)を持つ限りは、当然日本人だ。無論、住む国の市民権を得たため、日本国籍を放棄せねばならなかったとしてもメンタリティは各人の思うところに拠るわけで、他者から「日本を捨てた」だの「日本人ではない」だの「帰ってくるな」などと、とやかく言われる筋合いはない。
この四半世紀、日本に対して少しでもネガティヴなことを言おうものなら、そういうことを少なからず言われ続けた身としては、未だにこのような議論が続いていることへの虚しさを覚える。
世界でも極めて特殊な地理的条件に在る日本。大陸の端にちょこんと位置する極東の島国日本。鎖国可能な場所に位置する日本は、いい意味で「守られてきた土壌」であり、独自文化のメンタリティは、地理や地形、気候によって育まれたものだ。
ゆえに、日本に住む日本人が、陸続きに異国と接するような国に住む人々と同じような感性や、グローバルな視点を持つことはほぼ不可能だと思う。
わたしとて、海外に出て初めて、視界が広がった。日本の特殊性も外から見て、理解できた。ゆえに、海外に出た人の経験は、ビジネスにせよ、外交にせよ、文化交流にせよ、あらゆる意味で、重要なのだ。……と、この件に関しては、書きたいことがありすぎる。
◎この「在外邦人にも10万円の給付金を」ということ自体に関しては、その具体的な支払いの対象、プロセスなども含め、一筋縄ではいかないことが察せられる。わたし自身は正直なところ、「国民一律給付金10万円」という当初のニュースに、社会主義国みたいだと驚いた。
◎個人的には、「切に食べるに困る」「生き延びるに困難」な状況にある人を優先的に救済すべきだと考える。ゆとりのある人は、受け取ったとしても、然るべき機関に寄付するなどされれば理想的だとも思う。……が、余計なことを書くと突っ込まれそうなので、このへんにしておく。
◎下記リンク先の全文をお読みになったうえで、主旨に賛同される方は、嘆願書の署名にご協力をされてはどうかと思う。