このチャレンジの発端は、トルコにおける女性が殺害率の高さを警告するために始まったらしい。トルコの人々は毎朝、SNSやメディアを通して、殺害された女性のモノクロ写真を見るという。このチャレンジは、女性が自分たちの声を上げる方法として始まったとのこと。
いったいいつになったら、女性の人権、女性の地位、女性の強さたくましさ……を敢えて主張せずにいられる世界になるのだろう。「殺害」こそされないにせよ、日本における女性の地位の低さはまた、特筆すべきだと思う。
昨年12月のニュース。
『男女平等指数、日本は過去最低の121位 政治参画遅れ』
「調査対象153カ国のうち、日本は121位と前年(110位)から順位を落とし、過去最低となった。女性の政治参画の遅れが響き、先進国では最低水準となっている」とある。
ちなみにインドさえ、112位だ。
ロックダウンに入り、メイドが休んでいた時期、台所仕事をしながらポッドキャストでラジオ番組を聞いていた。そしていちいち、違和感を覚えた。話の内容ではなく、その会話のスタイルに。
ニュースにせよトークにせよ、その大半が「男性」と「敢えて若く(子どもっぽく?)媚びた話し方の女性」の組み合わせなのだ。しかも女性は、主に相槌を打つばかり。思わず、真似してみたくなる、特徴のある発声……。
どう考えても共感すべきではない、おっさんの訳わからんコメントに対し、「やさしく寄り添う」合いの手の数々。
ポッドキャストに向かって「おいおいおいおい!」と一人ツッコミながら、もう聞いちゃおれんと番組変更の頻度が高く、いい話にたどり着かない。
わたしの選んだ番組が悪いのか、いや、わたしの感性がかけ離れたのか(そうともいう)、いずれにしても、女性が「お人形さんのような存在感すぎる」ことには間違いない。日本では当たり前のことかもしれないが……一事が万事ゆえ。
【旅するミューズ】
写真は昨年の旅から。