米国の大統領選とメディアの報道について、いろいろと考えさせられることが多い。カマラ次期副大統領、そしてバイデン次期大統領両者のスピーチ。彼らの輝くような笑顔と、清廉なことばに、未来の光を感じて泣けた。
一方、ネットを通して見る日本の報道。中でも「一部」ニュースと、そこに寄せられる読者のコメントを読んで、暗澹たる気持ちになった。自分の考えは一向、まとまらない。わたしは政治や経済や社会のイデオロギーに詳しいわけではないから、黙っているのが賢明かもしれない。
でも、今の心情を吐露しておかずにはいられないので、異論反論があろうことを承知で、一個人としての印象を書き残しておきたい。
まず思うのは、「敵の敵は味方」なのか、という問題。
その判断があることは、当然、理解できる。できるが、その流れで、「敵の敵の敵は、敵」という判断をし、その敵の粗探しを過剰なほどにしているのではないか、思われるメディアやコメントが「多い」印象を受ける。
道徳観や倫理観のようなものが、経済や利益の追求に押しつぶされていても構わないのだろうか?
大国の大統領として、トランプ氏は尊敬すべきふるまいをしていただろうか。我々夫婦が米国を離れて15年。断片的なニュースでしか知り得ない米国の状況ではあるが、少なくとも子どもたちに「わが国のリーダーはすばらしい」と語れる人物だったとは思えない。
日本の敵は中国。中国の敵はトランプ。だから日本はトランプ支持。
そのトランプの敵だから、バイデンは敵……なのか?
そういう「利害関係」で協調した果てに、戦争の泥沼が発生してきたのではないか。
第一次世界大戦が終わってから第二次世界大戦の開戦までわずか20年ほど。その間に、敵が味方になり、味方が敵になり。そこに確固たる筋はあっただろうか。
カマラをして「極左」と断言し、叩きのめすような論調の記事を発見し、それはそれでまた、戦慄した。右か左か。くっきりと分けて善し悪しを判断することの恐ろしさ。
旧ソ連ゴルバチョフ書記長によるペレストロイカによって社会主義が崩壊したとされてから約30年。資本主義の「在り方」にも、何通りもの姿があり、変化や柔軟性が望まれる時代が迫っているように感じる。
現在を生きる人間の価値観は、このコロナ禍において、少なからず変化した点もあるだろう。
一国のリーダーに求められる要素はあまりにも多い。国民は「即効薬」を求める。ゆえにトップは、自分が任期の間に成果を出すことを重視するだろう。しかし効き目の強い薬は、副作用を残す可能性がある。
「真の成果」を追求するならば、10年後、20年後、50年後の未来を見据えて、構築せねばならない課題もあるはずだ。しかし世界はそれをして悠長というだろう。
為政とは権力を奪い合って、無茶をして、お金をばらまいて、地位を獲得してなされるべきことでは、本来ないはずなのに。
思いは募れど、考えがまとまらない。
ともあれ、わたしは、来年からの米国の在り方に期待したいし、たとえ「即効性」がなくても、必ず好転する世界があると信じたい。
🗽この自由の女神は、1996年に米国で暮らし始めた直後、マンハッタンの土産物店で購入した。以来ずっと、わたしのそばに在る。