半袖で歩けるとはいえ、朝晩は冷え込むバンガロール。目覚め、庭に出れば、凛と冷たく輝く月。
今日から10日ほど、デリーに滞在する。夫も一緒だ。昨年、わたしは京友禅サリーのプロモーターをお引き受けした。わたしの主たる活動はバンガロールが中心。他都市は別の運営で、展示会が開催されることになっていた。
しかし諸事情あって、1月に実施すべき展示会の場所が決まらないと聞いた時、「デリーだったら、うちでできますよ」と申し出た。12月初旬、バンガロールでの展示会を終えたばかり。しかも年始の立て込む時期にもかかわらず、比較的、前のめりに。
もちろん、少しでも多くの人に、京友禅サリーの魅力を知ってほしいとの思いはある。しかし同時に、焦る必要もない。
諸々の予定を調整するに、実現可能な日にちは、13日と14日しかなかった。わたしは13日、先約があったものの、しかしそちらをキャンセルして、デリーに飛ぶことにした。
京友禅サリーを着てくれるマネキン・ガールズは、年末のうちにデリーへ飛んでもらい、数日前に到着した。
年末年始のデリーは寒く、空気も著しく悪い。出発が間近に迫ったころになり、なぜよりによってこんな時期に、わたしは敢えてデリーに行くと自ら手を上げたのだろう。飛んで火に入る夏の虫ではないか。
11月に行ったばかりなのに……との思いがよぎった。
猛暑と極寒(大袈裟だが、そう感じる)の時期のデリーに行くことは、これまで敢えて避けてきた。
2020年1月、義父のロメイシュ・パパが他界したときを除いては。
✈︎
その数カ月前までは、元気だったパパが、2019年の年末、体調を崩した。デリーは例年にない寒さで、体調を崩す人が多い年だった。年明け、回復せず入院することになったパパは、そのまま天に召された。
夫が急遽デリーに駆けつけた翌々日のことだ。わたしは、デリーに向かう途上で、訃報を聞いた。
1月の、一連の葬儀。そして2月に再訪し、諸々の手続きや片付け……。大好きだったロメイシュ・パパの死は、あまりにも重かった。悲しみと、悔恨……。夫婦共々、相当に精神がイカれていた。
寒かったはずなのに、寒かった記憶は薄い。一連の弔いの手続きや儀式が、スクリーンに映し出される映画のように、思い出されるばかりだ。
インドは、その翌月3月からロックダウンに入り、以来、2年以上、わたしたちはデリーに飛ぶことはなかった。パパの死が、あと数カ月遅れていたら、看取ることができなかったと思うと、わたしたちは、見送ることができただけでも、ありがたかったとも思う。
✈︎
さて、数日前のこと。目覚めて、まだ夢現の脳裏でふと、「パパの命日って……いつだったっけ?」と思い浮かんだ。
2020年1月全体が、パパのことでいっぱいだったということもあり、命日の日付はすっかり忘れていた。急ぎ起き上がって、記録を遡ると……。
1月13日。
パパの命日の翌日14日は、義理の継母(夫の実母は40代で他界している)の誕生日だ。
寝ぼけた頭で思った。これは、パパがわたしたちを、デリーに呼んでいるんだな、と。
13日の朝は、京友禅サリー展示会の前に、プジャー(儀礼)をすることにした。そして、14日は、義母の誕生日を祝おうと思う。
公私混同混沌と在ってこそのライフ。デリーでの10日足らずを大切に過ごそう。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。