このごろのわたしは、収集がつかなくなってきている。意識的に余白の時間を作っているが、脳が休まっていない。昨日は久しぶりに、24時間一人で新居で過ごした。こういう「敢えて誰にも会わない時間」を作り、心身を休めることは、大切だと痛感する。
日本を離れて27年。ニューヨーク在住時から、間断なく情報を発信し続けてきた。この四半世紀の間に、人類の情報伝達の手段は激変。誰もが瞬時に世界に発信できるようになり、情報は溢れ返って玉石混交。取捨選択は困難で、真摯に紡いだ言葉は深層に埋もれ、歴史は繰り返す。
時代の趨勢と、世間の情報に対する認識、自分の在り方は、その時々で変異してきた。手書きで原稿を書き、フィルムで写真をとり、時間をかけて「印刷物」を作り上げて世に広げるところからキャリアをスタートした者として。伝えることを「生業」にしてきた者として。自分をアップデートしながら発信を続けることの意味を思う。
インドに暮らして18年。この間に学び経験したインドは、まさに筆舌に尽くし難いヴォリュームで、紡いだ先から、たちまち、こぼれ、深海に沈みゆく。その言葉の堆積を夢想して、途方に暮れることが増えてきた。
日本の人たちに「インド」を伝えるとき。多くの日本人の、インドに対する認識と、現実の変貌を続けるインド世界との乖離を埋めるのが、年々、困難になっている。
新居に移って1年。パンデミックが明けたタイミングと重なったこともあり、このごろは多くの日本人がバンガロールを訪れるようになった。視察旅行で、あるいは旅人として。わずか1年の間にも、多くの日本人たちが、この家を訪れ、長い時間を過ごしてきた。
このごろは、「仕事」の概念を超えて、この国に関心を持つ人には、極力、自分の知る限りを伝えたいと思っている。その背景に、思うところは多々あるのだが、長く熱いエピソードにて割愛。
土曜もまた来訪者あり、4時間余り、インドを伝えた。広大無辺のインドの、わたしの知っている表層を伝えるだけでも、長い時間と絶大なエネルギーを要する。最近は、来訪者に対し、『インドライフスタイル・セミナー「必修編」』の動画を見た上で来てほしいと頼んできたが、その重要性を痛感する。全編見ても4時間程度。それを見た上で、話をするのと、まっさらで話をするのとでは、話の深度が違う。
今までは「会った後に追加情報をシェア」してきたが、今後は「会う前の予習」をお願いしようと決めた。そのためのカテゴリー別リンク集を、近々作ろうと思う。
Anyway.
COVID-19パンデミックにより、ロックダウンを強いられた日々は、しかしわたしにとって、極めて有意義だった。中でもセミナー動画や自分史動画を作ったことは、半生を振り返って今後を見つめ直す契機にもなった。
日本に生まれたわたしが、東京、ニューヨーク、ワシントンD.C.、カリフォルニアを経て、インドに飛び、バンガロールを拠点に、ムンバイに暮らし、デリーにも家を持つという人生を歩いてきた。もちろん、わたしは、わたしなりに開拓し、選び取ってきたはずだった。しかし、今振り返るに、「分岐点」は、わたしの意志からは離れた場所にあった。
それは、宿命であり使命でもあり。慎んで遂行せねばならぬ。
ゆえに、今しばらくは、「語り部」をがんばろう。
それはそうと、ロックダウンのときに、わたしはYoutube作りをはじめて、一気に100本以上の動画を作った。この頃は更新が滞っているものの、見応えのある動画がたくさん眠っている。
中でも、この動画は、本当にすばらしいものだ。インドの伝統や文化を伝える良質な絵本を出版するトゥリカ・ブックス。ミューズ・クリエイションで、毎年開催してきたミューズ・チャリティバザールでも、同出版社の販売代行していた。その本の中の一冊がこれ。
出版社に交渉して動画をシェアしてもらい、わたしが日本語訳をつけた。見てくれている人がまだ178人しかいないという寂しさ……!
絵も、音楽も、語りも、本当にすばらしい絵本動画なので、ぜひ見てほしい。
☔️Why do the Bhils Paint? 『どうして水玉模様なの?」インド先住民族ビル族に伝わる絵画の起源を伝えるアニメーション。
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