わたしの父は、建設業を営んでいた。それも影響しているのか、わたしは子どものころから「建築/建設の現場」を眺め続けるのが好きだった。昭和40年代。時代は高度経済成長期。近所の道路が悉く舗装され、木造の塀がブロックになり、山は造成され、海は埋め立てられ、そこここに、団地が生えた。
良くも悪くも、故郷の姿が変貌していくのを目の当たりにしてきた子ども時代。
本職とは関係ないにも関わらず、2007年に旧居を購入した際に内装工事を仕切り、新居についても、ほぼ現場監督状態で工期の遅延を最低限にとどめたのも、子どものころに「現場」を眺め続けていた経験が生きている点は大いにある。
インドの工事現場はまた、新旧が混沌としている。
大手の不動産開発会社(デヴェロッパー)などは、十数年前から徐々に労働者の安全性に配慮し始め、作業服に安全靴、ヘルメットの着用などを徹底している。3、4枚目の写真は、我々の新居の不動産開発会社であるTotal Environmentの作業現場の一隅。
一方で、旧態依然の作業環境での土木、建設現場が圧倒的に多い。土木現場の労働者の大半は、地方からの出稼ぎだ。男女共に、彼らの出立は「普段着」で、サンダル履き、素手で土を掬い、運ぶ。
わたしが子どものころから、日本の土木現場には当たり前にあった、土を運ぶ一輪車(猫車)や、巨大なスコップ、コンクリートミキサーなどがあったら、どれだけ人体に負担がかからず作業が進むかと、常々思っている。
「人手が多い」インドでは、特に地方労働者からの労働力が多いこともあり、大切に扱われていないという悲しき現状もある。彼らの平均寿命は40代半ばという話もかつて聞いた。推して知るべしだ。
パンデミックで、一時は無数の労働者が帰郷したが、今また都市部に戻り、現場に入っている。
デヴェロッパーの下請けをはじめとする各種中間業者たちは、相場を釣り上げているものの、労働者たちへの賃金は低い。労働者の置かれた環境は相変わらず劣悪だし、彼らの意識やスキルが、パンデミック以前よりも低下しているところもあるのではないか……と、わたしが見聞する限りにおいて、そう感じる。
前置きが長くなったが、わたしたちの旧居。低層のアパートメント・コンプレックスの外壁が、建築20年目にして初めて再塗装されることになった。他のアパートメントは、すべて庭が外部に面しているため、足場を組んだり、作業員が出入りするに際し、家の中を通過する必要がない。
一方、我が家は一番奥の角に位置し、庭がL字型になっているのだが、外部からアクセスできない状態になっている。足場にする木材(ユーカリの木)を運び込むために、隣家との柵に穴を開けたり、労働者たちがペンキを持参して出入りする際に、家財道具などを汚さぬよう、配慮したりせねばならない。
さらには、我が家には4猫がいる。彼らが足場を伝って逃亡せぬよう監視もせねばならない。
というわけで、足場の設置、壁の洗浄、塗装のすべてを最大でも1週間で仕上げてくれと頼んでいた。しかしながら! わたしが個人で発注した業者ではなく、アパートメント・ビルディングの管理組合が依頼した業者である。それはもう、安かろう悪かろうの極み。
今では、プロフェッショナルな会社も増えていて、たとえばUrban Companyなどは、室内塗装など、極めて効率的に丁寧に仕上げてくれる。見積りも明瞭だ。少々割高でも、そういう会社に頼むべきなのだ。しかしながら、わたしに業者の選択権は、当然ない。
実は先月30日から1週間で仕上げます!
のはずだったのだが。「明日から開始します」というのが1週間ほど続き、そのあと雨が降り、足場が雨で濡れたから乾かすのに数日かかり、足場は組んだが、別の箇所の塗装を優先して作業員が来ないなどのドラマが展開されてかれこれ3週間。
この間、さまざまなドラマがあったが、大幅に割愛。
引きこもっている間に、わたしは先延ばしにしていた旧居の断捨離に励んだ。まだ書斎の片付けが残っているが、衣類を抜本的に整理、寄附する分と、中古販売店に提供する分とを仕分け、クローゼットをかつてなくすっきりとさせた。
まとまった時間がとれたことは、よかったのだ。
塗装業者は今日になって初めて本気を出して、8割方の作業を、今日、終わらせた。今週中には片付くだろう。その気になれば3日で終わる仕事に1カ月近く引っ張られて業を煮やしまくったが、インドだもの。
いつかは、きっと、終わりがくる。
創造、維持、破壊。三神一体が日常のインドにつき。
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