わたしは幼少時の記憶〈古いところでは、1、2歳のころ〉が、断片的ながらも鮮明に残っている。視覚的な記憶に留まらず、心情も伴う。それもあってか、自分の精神の成長過程を反芻しやすい。
さて、普段はほとんど他言しないが、わたしは子供のころから「霊的な経験」をすることも少なくなかった。
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これまでの人生、いくつかの大きな転換期があったが、わたしにとって最初のそれは20歳前後である。日本文学に没入し、心理学をかじり、夢日記をつけて夢分析をし、自己を見つめた。
初めての海外旅行、ロサンゼルス郊外での1カ月のホームステイで、世界を見る目がコペルニクス的転回を遂げた。曼荼羅を2枚描いた。1枚は、すでにあるものの模写。2枚目はこの写真。社会風刺曼荼羅。1986年、スペースシャトルのチャレンジャーが事故を起こした直後のこと。
その年、大学祭実行委員長になり、「コスモスへのコミュニケーション」というテーマで大学祭を実施した。「秋桜祭」という名前と、宇宙のコスモスをかけた。
精神世界、宗教、心理学……。目に見えない人間と宇宙を巡る諸々は、語るに難い。
我が夫は出会った当初からサイエンスを重んじ、折に触れてわたしが口にするスピリチャルなことは、一切、信じなかった。しかし、2020年1月、義父ロメイシュが急逝した直後から、彼の精神世界もまたコペルニクス的転回を遂げた。ある日を境に、毎日、瞑想をはじめ、週に数回、グル(スピリチャル・リーダー/精神的指導者)のところで行われるサットサン(真実を探求する仲間)との集いに赴く。
わたしは、何においても「調和(バランス)」を取りたいと心がけている。極力ニュートラルであることを意識しつつ、しかし自分の信じる道は、見据えていたい。急激に変化した夫の心理に、付かず離れず、わたしも今、古い書物を紐解いたり、未知の世界を覗き見たりをする日々だ。
さて、今回、藤田夫妻と話をしつつ、改めてさまざまに思いを馳せた。
潤さんは、今年、父君を亡くされた。義父ロメイシュと同様、それまでは、お元気だったのに、急に病状が悪化されたとのこと。これまたアルヴィンドと同様、早くにお母様を亡くされている。そんなことから、精神的な心の動きに加え、「親亡きあとの実質的なやるべきこと」についても、忌憚なく話し合った。
ところでわたしは、福岡の母とは毎朝、メッセージのやりとりをするほか、このごろは週に1、2回、ビデオ通話をしている。それに加えて数年前、妹に頼んでTapoというセキュリティカメラを設置してもらった。リビングルームだけとはいえ、母が1日の大半を過ごす部屋の様子が見られるのは安心だ。
昨夜のこと。新居の「月光ライブラリ」で、書物の背表紙を眺めつつ、いつものように精神の時間旅行を楽しんでいた。ふと、母はもう寝ている時間帯ながらも気になってTapoにアクセスした。
夜間は赤外線カメラになることから、画面はモノクロだ。アプリを開いた途端、目に飛び込んできた映像に胸の鼓動が高まった。大小の、無数のオーブ(玉響たまゆら)が、ひゅんひゅんと飛び交っているではないか!
オーブは埃や光の反射で起こるとも言われているが、それはその範疇を超えていた。これまでも何度か、Tapoで夜の部屋の様子を見たことはあるが、こんなことは初めてだ。何かの不具合かもしれないと、一旦、アプリケーションを閉じて、再度アクセスする。やはり、大小のオーブが、右に左に、上に下に、自由気ままに飛び交っている。
……ひょっとして、今、丑三つ時? テーブルに置かれた時計を拡大すれば、日本は2時24分。ビンゴだ。
ちなみに、丑三つ時とは黄泉の国に通じる時刻。午前2時から2時30分の、30分間のことをさす。
よし。もしも2時30分を過ぎて、オーブが消えていたとしたら、これは霊的な現象かもしれない……と考え、数分待って、2時30分にもう一度、開いた。
……と、さっきよりも、オーブの数は減っていて、速度も落ちている。小さいものがふらり、ふらりと飛び交う感じ。……と、突然、大きいオーブがこちら(カメラ)にむかって、シュッと飛んできて、すっと消えた。
父だな、と思った。
案ずるなかれと言い聞かせつつも、根本的には心配性のわたしに、父をはじめご先祖様一同からなる守護霊チームが、わたしたちが見守っているから大丈夫ですよ、と知らせてくれた気がした。
今朝、夫にその話をした。「どうして僕を呼んでくれなかったの」「スクリーンショットは撮らなかったの?」と聞かれた。考えもしなかった。だから何のエビデンスもない。それでも、わたしの気持ちは、とても救われた。
書きたいことは募るが、この辺にしておく。
ちなみに明日7月2日は、亡父(丑年)の誕生日。
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