今回の旅では、基本的に夫とは、別行動にしようと決めていた。そもそも、諸々の波長が異なる我々。娯楽性の高い旅ならまだしも、このような精神世界を彷徨うような旅においては、自分の波長を尊びたい。
朝、目覚めて、衝動の赴くまま、宿の屋上に登り、朝日を拝み、1日を始める。
夫は、ラマナ・マハルシに関わる人に会いに行く。先日、写真に載せた書籍『あるがままに (BE AS YOU ARE)』の著者であるDavid Godmanにも、彼はお会いしたようだ。
わたしはといえば、朝食をすませたあと、オートリキショーを飛ばして、シヴァ神と、その妻のパルヴァティを祀る寺院、Arunachaleshwar Templeへ。グラナイト(御影石)で造られた高さ40mほどもある東の門(gopuram)から入場する。
インドにおいて巡礼とは、足裏の鍛錬でもある。境内には裸足で入らねばならず、従ってサンダルは、入り口に預ける。サンダルを脱ぐや否や、フライパンの上を歩いているかのような状態。太陽光を吸収した石畳の熱いこと熱いこと!
飛び跳ねるように歩きながら、日陰へ一目散。しかし周囲を見回せば、そんな大げさな挙動の人物は見当たらず、みな悠然と歩いている。どれだけ足の裏が鍛えられているのかという話だ。
ところで、世界的に(多分)よく知られている象の頭を持つガネーシャ神の両親は、このシヴァとパルヴァティだ。パルヴァティが入浴中、見張りをしていた息子のガネーシャ。そこへ帰宅した父シヴァは、それが息子だと気づかず、首を刎(は)ねた。
「あなた、何やってんの! それ、わたしたちの息子!」
と妻の叫びに驚き焦ったシヴァは、たまたま通りかかった象の首を刎ねて、息子の身体に挿げ替えた……。というのが、ガネーシャ誕生のエピソードだ。破茶滅茶なのだ。
さて、他の参拝者の流れに従い、参拝をすませたあと、境内の一隅にあるPatala Linga Temple に引き寄せられた。するとそこには、ラマナ・マハリシの肖像がある。更には、彼の生涯を紹介するパネルが貼られているのだった。
折しも、1896年8月29日、すなわち127年前の今日、16歳だったラマナ・マハリシは、このティルヴァンナーマライを目指して、マドゥライの家を出た。旅の途中の経由地で、気を失い、目を覚ましたのが翌朝の1896年8月31日。その年の8月31日はまた、クリシュナの誕生日、ゴークルアシュタミだったという。そして、9月1日の朝、彼はティルヴァンナーマライに向かう列車に乗り込んだ。まもなくして到着すると、列車を飛び降りて、ここアルナーチャレーシュワラ大寺院を訪れ、以来、ここから一度も離れることなく、この地を終の住処にしたという。
彼のことについては、また改めて記すとしよう。
わたしと夫がニューヨークで出会ったのは1996年。ちょうど100年後。そして彼が家出をした日が今日で、目を覚ました日がわたしの誕生日。気持ちいいほどの暦の符合だ。
実は今回の旅。31日がスーパームーンで巡礼者が多く、ホテルの予約が取れなかったので、実は5日ほど前倒しで訪れる予定だった。ところが、あとになって、31日も1日も、予約が取れたことから、全体を後ろ倒しにしたのだった。
歳を重ねるにつけ、このような「あたかも偶然のように思える必然」の一致は増える。その事実は、事態を「貴重なもの」として認識させ、経験を豊かに意義深いものにしてくれる。ありがたい。
少しずつ、近づいている。
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