確かに、あの滑らかな常滑焼の湯飲みや急須は好きで、実家にも、インドの我が家にもいくつかある。しかしそれが理由で、今回、常滑を訪れることに決めたわけではない。それは、じわじわとやってきた。詳細を綴り始めると、途轍もなく長くなるので軽く触れるに留める。
陶器の町巡りも楽しかったが、主たる目的地は「INAXライブミュージアム」だった。ここで「世界のタイルミュージアム」を見学したかったのだ。なぜならバンガロールの新居を彩る和製マジョリカ・タイル発祥の地が名古屋で、それに関わる世界各国のタイルの歴史が見られるからだ。
和製マジョリカ・タイルは、明治40年代(1907〜)、日本のタイル産業の礎を築いたとされる青年らによって開発された。英国製タイルに着想を得つつも、廉価で流通しやすい製品は、欧風建築の流行に伴って人気を博したようだ。やがて日本でも、マジョリカ・タイルを作る会社が増え、東南アジア各国に向けて輸出が始まった。
アールヌーヴォーの意匠に固執していた英国メーカーに比し、日本は対象国の好むデザインを導入。中華圏向けには吉祥果(果物)、インド向けにはヒンドゥー教の神々の姿が見られる。シンガポールでは、今でもマジョルカ・タイルが施された建築物が随所に残る。
ミュージアム内では、我が家にもあるタイルが展示されている。親近感だ。それより何より、一目見て、またしても「オーマイガー」と声を上げてしまった展示があった。ちなみに今回最初の「オーマイガー」は福岡大仏。
あれは今から29年前。欧州を列車で3カ月旅をした。パリを起点に終着はマドリード。バルセロナに滞在中、当時のボーイフレンドと合流し、北を目指した。途中までは列車で、そしてフランスとの国境、ビスケー湾を望むサンセバスチャンでレンタカーを借り、沿岸沿いを走った。
そしてコミーリャスという小さな海辺のホテルを見つけ、その景観のすばらしさに心を奪われ、数泊滞在を決めたのだった。その小さな海辺の町には、かのアントニオ・ガウディによる建築物があるとのことで、ある日の午後、散歩がてら訪れた。
その建物は、ひまわりのタイルに覆われていた。ひまわりが好きなわたしは、しっかりとカメラに収めた。今でもそのポジティヴフィルムは残っている。
そのひまわりのタイルが、展示されていたんですよ!
そらもう、諸々の思い出が蘇らないわけがない。だめだ、話が長くなる。
ともあれ、常滑はまた、フランク・ロイド・ライトによる帝国ホテル建設を語る上で不可欠な場所。彼がこの地で作られる「黄色いレンガ」に惚れたと同時に、難易度の高いデザインや形状を望んだ。その芸術家の要求に応え、すだれレンガをはじめとする多様な焼き物を作ったという。それはまた、日本が建築物に焼き物を使うようになった契機でもあったとのこと。
とにかく、展示や上映物を目にするだけでも学びと発見に満ちていて、尽きない。ただ一つ言えることは、「なぜ、帝国ホテルはライト館を破壊したのだ!」ということだ。いろいろな事情はあっただろう。しかし、完成に至るまでの波乱万丈な背景を知れば知るほどに、残されなかった無念は募る。
このミュージアムではまた、常滑の「土管作り」の歴史を知ることができたのは大いなる収穫だった。
日本の六古窯のひとつである常滑の歴史は平安末期に遡る。行こう、江戸時代は酒器や急須、明、大正には、土管、タイル、テラコッタなど建築や衛生陶器が盛んに作られてきた。
文明開化により、日本が近代化する中、都市の地中には下水道が敷かれ無数の土管が埋められた。文字通り、日本の近代化を「縁の下」で支えたのが常滑の土管だったのだ。
……と綴れば尽きぬ。
🇯🇵日本から来ました! 欧州発、日本経由インド。旅するマジョリカ・タイル。
Made in Japan. From Europe, India via Japan. Traveling majolica tiles.
https://museindia.typepad.jp/library/2021/09/tile.html
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