日本の約9倍の国土に、約10倍の人々が暮らすインド。その多様性たるや、語るに難く。2001年7月、結婚式を挙げるためにニューヨークからニューデリーを訪れたのが、わたしにとっての初インドだった。夫となる人がインド人だというだけで、当時のわたしは、インドに対しての関心も知識も皆無に等しかった。
今のように、ネット上での情報収拾も困難で、結婚式の実態もよくわからず。行き当たりばったりで怒涛&困惑の旅。正直なところ、「こんな国、とても住めない……」と思った。しかしながら、その数年後、自ら住みに来ようとの心境になり、嫌がる夫を説き伏せてまで移住することになろうとは、思いもしなかった。人生とは本当に、わからないものだ。いや、自分で自分がよくわからないと言った方が正しいか。
インド移住を決意し、この国のことを調べ始め、20年近くが経とうとしている。この国に暮らしながらも、つかみどころなくて尽きず。ゆえに、飽きることはなく、日々、溢れんばかりの事実や思いを記してなお溢れ出し、書き留めるはごく片鱗。誰に伝えるとも知れず、しかし毎日、文字を綴る。それは、食事をしたら咀嚼して消化せねばならないのと同様、経験したら記すことで反芻し消化しているような塩梅でもある。
義父ロメイシュ・パパが他界して4年も経ってしまった。受け継いだこの家の管理もままならないまま、4年が過ぎた。1階は久しくテナントに貸しており(ほぼ親戚)、2階は我々のフロア。3階はバンガロールに住む義姉夫婦がデリーに来た際に使うフロア。そして4階は、ロメイシュ・パパの再婚相手であるUmaが、今は一人で暮らしている。
夫の実母は、わたしたちがニューヨークで出会う数年前、Arvindが大学生のころに、慢性白血病で他界した。パパとUmaは、わたしたちが出会ったのと同時期に出会い、わたしたちよりも半年ほど早く結婚した。あれから23年。人も、家も、古びゆく。当時から変わらぬ情景に身を置いて、茫漠と、来し方行く末を思う。
🇮🇳
ここ数日、親戚の家を訪れたり、家族と過ごしたり、テナントと食事をしたり、軽く買い物に出かけたり……と、比較的のんびりと過ごしている。さて、幾葉かの写真を、残しておく。
🍮英国統治時代の名残であろう、インドにおける「洋風のデザート」の代名詞のひとつがCaramel Custard。カスタードプリンだ。先日紹介したバンガロール・クラブはじめ、古くからあるレストランのデザートメニューには、たいてい用意されている。ヴェジタリアンにも食べられるよう、アイスクリーム同様、プリンにも卵が使われていないことがほとんどだ。コクがないのではないか、と思われそうだが、牛乳が濃厚なこともあり、とてもおいしい。この写真は、デリー宅の向かいにあるパンチシール・クラブ(こちらも社交スポーツクラブ)にて購入したもの。非常においしい。
🍇わたしの大好物であるグースベリー(食用ほおずき)。冬のデリーの風物詩だ。たまにバンガロールのスーパーマーケットでも見かけるが、こうして殻を剥いて束ね、あたかもブドウのような見た目で売られているのはデリーならでは(北インドの他都市の状況はわからないが)。バンガロールでは、海外から輸入される生鮮食料品は増えているが、国内ロジスティクスはまだ向上の余地ありと、グースベリーを食べつつ思う。バンガロールにもたくさん運んでほしい。
🍪デリー空港で、ムンバイ起源のベーカリー、Theobromaを見つけた。吸い込まれた。我々夫婦がムンバイで暮らしていた2008年から2年間。当時はウエスタンな菓子類を提供するベーカリーがまだ少なく、コラバ地区にあったこの店のブラウニーやデンスローフ(濃厚なスポンジケーキ)などをよく買っていた。今やバンガロールはもちろん、各都市で見られるようになったが、それでも、つい惹かれてしまう。お気に入りはいろいろあるが、今回はパルミエ(源氏パイの起源となったフランス菓子)、チーズクラッカー、そして最近、ACT MUZの男子学生がお土産で買ってきてくれて初めて食べたオレンジ・クッキー。マドレーヌをクッキーにしたような味わいで、即お気に入りとなった。
🥕マルハン家に勤続30年余りのドライヴァー兼執事的存在の男性が、料理も作ってくれる。デリーの冬野菜は、味が濃くて、とてもおいしい。京人参風の赤くて長いニンジンとグリーンピーのソテー、ほうれん草とパニール(チーズ)の煮込み、カリフラワーとジャガイモのソテー、豆の煮込みなど。唐辛子が苦手な夫のために、どの料理もマイルドで、とてもおいしい。
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