「我は龍樹なり。汝速やかに南天竜宮城へ行け。南天竜宮城は我が法城なり。我が法城は汝が法城なり。南天鉄塔もまたそこに在り。」
1967年8月、龍樹の啓示を受けた佐々井秀嶺上人は、日本帰国を取りやめて、ナーグプル行きの列車に飛び乗った。未知なる土地で仏教寺院を探し、インド憲法の創案者であるアンベードカル博士の存在を知り、仏教の布教を始めた。
それと同時に、お告げにあった「南天鉄塔」の所在を見出すべく、界隈を調査。ここだと思われる土地を購入し、1994年ごろから本格的に発掘調査を開始したという。歴史的背景を調べるほどに、佐々井上人の行動力やリーダーシップはもちろんのこと、考古学的な知見にも敬服させられる。なお、佐々井上人はナーグプルだけではなく、インド国内の他の土地においても、「インド仏教」において非常に重要な発掘作業にも関わられてきたが、話が尽きないのでここでは触れない。
インドは仏教発祥の地である。忘却された時代が長かったとはいえ、紀元前数百年の間は、仏教徒に改宗したアショカ王が、国教を仏教と定めた時期もあるなど、仏教はインド全土で信仰されていた。その名残は、アジャンタやエローラなど、世界遺産になっている有名な遺跡にも見られる。また、南インドのアンドラ・プラデーシュ州にも、随所に仏教遺跡が残っているようだ。ツーリストが赴くのは、ブッダが悟りを開いたとされる北インドのブッダガヤなどが主であるが、このマンセル遺跡を含め、1500年以上を遡る遺跡が、インドの随所に眠っている。
歳月の経過に伴い、仏教にまつわる遺跡や仏像などが、ヒンドゥー教の聖像に変換されるなどの歴史的背景があることから、世に知れ渡る機会がないものと思われる。
さて、龍樹が言う「南天鉄塔」とは、何なのか。それは「大日如来」の教えが収められた場所だとされる。では「大日如来」とは誰なのか。それは、真言宗において「最高の仏」とされ、大宇宙そのものとか、森羅万象が収まっているともいわれるという。こうして書きながら、何が何だかわからない存在感だ。
最後の3枚の写真は、マンセル遺跡のたもとにある「文殊師利菩薩大寺」の展示室(現在は閉鎖)にある写真。今回、竜亀さんが数年前に撮影したものをシェアしていただいた。
遺跡発掘作業の際に出土した仏像や当時の写真などが、かつてはここに展示されていたという。出土品は、紀元前700年から200年ごろのもの、すなわち2,000年以上前の遥かなる過去に遡る。考古学的にも極めて重要なものであるに違いない。現在、マンセル遺跡は、インド文科省のインド考古調査局(Archaeological Survey of India)によって管理されており、出土品はインド各地のミュージアムなどにて保管されているとのことだ。
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マンセル遺跡は、大きく二つのエリア「南天鉄塔」と「仏教僧院の跡」とに分かれている。以下②のブログを開いていただくと、セミナー動画を作った際に使用したプレゼンテーションの資料があり、上空からの地図を見ることができるので、ぜひ確認を。
今回は、竜亀さんが「文殊師利菩薩大寺」の仏舎利塔の工事現場監督をされている間、わたしはドライヴァー氏と共に、マンセル遺跡を訪れた。まずは奥手にある「南天鉄塔」があったであろう場所へ。丘の上に立てば、「文殊師利菩薩大寺」や、湖が眺められる絶景が広がる。
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なお、わたしが2018年に撮影した「龍樹の片足」の写真。この足を見た時の衝撃は忘れられない。これを目にした瞬間、心臓を掴まれた。「出してくれ!」という声が、聞こえてくるようだった。いや、「出しなさい!」という声か。
もう、見なかった過去には戻れない……と思った。しかし今回は、その足が跡形もなく破壊されていた。帰宅後、かつて購入していた専門書 ( “Discovery of Nagarjina and Mansar-Ramtek” by Dr. Anil Kumar Gaikwad)の写真や竜亀さんから送ってもらった写真を検証した結果、わたしが撮影した「完全すぎる足」は、発掘後に修復されたものだとわかった。(次の投稿につづく)
✊②インド国憲法草案者アンベードカルとインド仏教。そして日本人僧侶、佐々井秀嶺上人を巡る記録
https://museindia.typepad.jp/libra
✊①インドの中心で仏教を叫ぶ。佐々井秀嶺上人を訪ねて。(2018/05/27)
前回の旅の記録/リアルタイムでの描写
https://museindia.typepad.jp/2018/2018/05/nagpur.html
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