昨日の夕方、2泊3日の旅から戻ってきた。そもそもが濃い女子(女史)旅であるのに加え、都合4つの寺院を訪れ、情報過多で未消化だ。昨夜は11時にベッドへ入った。途中何度か目覚めたが、最後に起きたのは9時過ぎ。なんと10時間も爆睡していた。若々しい! その後、セラピストに来てもらいマッサージを受け、身体はリラックスしたものの、頭の中はまだ、見聞を吸収できていない。せめて写真を整理しつつ記録することで、体験を反芻する。
インド亜大陸で生まれ、現在も信仰されている宗教は4つある。ヒンドゥー教(バラモン教)、スィク教、ジャイナ教、仏教だ。このほか、古代インド宗教の一つであり「インド哲学の異端派」とされているアージーヴィカ教という宗教も存在していたようだ。
2011年の国勢調査によると、帰依者の数はヒンドゥー教(79.8%)、イスラム教(14.2%)、キリスト教(2.3%)、 スィク教(1.7%)、仏教(0.7%)、ジャイナ教(0.4%)と続く。このほか、少数派ながらも社会的影響力の強い「パールシー」と呼ばれるコミュニティの人々は、ゾロアスター教を信仰している。あらゆる側面において多様性が炸裂しているインドにおいて、宗教のそれを軽く説明するのは不可能につき、概要はこの辺にしておく。
さて、ジャイナ教は、紀元前6世紀ごろ、仏教と同時期に、東インドで誕生した。ジャイナ教は徹底した不殺生(アヒンサー)を教義とし、遍く「生き物」を尊重。害虫さえも殺すことを厭う。「野菜を掘り起こす際、土壌中の虫を殺す可能性がある」ことに加え、「根は、野菜の命の源である」という理由から、玉ねぎや人参、芋などの根菜類も食べない。
食べないから質素な食生活かといえば、そうではなく、限られた食材を大切に、自然の恵みに敬意を払いながら丁寧に調理し、食する文化がある。むしろ手間をかけているように思う。豆料理など、わたしも何度か食べたことがあるが、滋味があり、とてもおいしかった。
土を耕すことを忌避する宗教的背景から、ジャイナ教徒には、商人や金融者が多い。信者数は極めて少ないながらも、一定した社会的地位を保つコミュニティである。インドを代表する商業コミュニティに、ラジャスターン州出自の「マルワリMarwari」がある。マルワリにはジャイナ教徒(ジェイン)も多く、彼らをして、マルワリ・ジェインと呼ばれる。わたしの友人知人にも、同コミュニティの家族が複数、存在する。
初日、旅の目的地であるサクレシュプール(Sakleshpur)へ向かう途中、道中の見どころに立ち寄った。バンガロール中心部から西へ約144km。わずか3時間足らずの場所にあるシュラヴァナベラゴダ(Shravanabelagola ಶ್ರವಣಬೆಳಗೊಳ)というジャイナ教の聖地だ。
ゴンマテーシュヴァラ寺院のある丘に近づくにつれ、頂上に立つ石造の頭部が明らかになる。1塊の花崗岩から作られたという全長17メートルの巨大な石像。彼の名はバーフバリ。バーフバリのバーフとは前腕を、バリ(バリン)は力が強いことを意味する。即ち「腕力が強い者」。別名ゴンマテーシュヴァラの名でも知られる。
今から1000年以上前の西暦981年に建立されたというバーフバリ像。ジャイナ教の初代祖師である「リシャバ」の息子である彼は、兄と争ったことを後悔して出家。直立不動の姿勢で何年間も修行を続けたため、脚には蔦がからみ、足元には蟻塚ができたという伝説を具現化している。
わたしは、参道の麓で車を降り、入り口付近にある小屋に靴を預けた。ここから裸足で、丘の上を登るのだ。まだ午前中とはいえ、夏の陽光を浴びた石は熱い。しかし、素足で歩くことこそ、ご利益がある気がする。黙々と歩き、寺院でバーフバリの父をはじめとするジャイナ教の聖人らの石像に手を合わせた後、寺院の外壁をぐるりと回って中央の伽藍へ。
外壁に刻まれた魚や蛇、神々の彫刻が、わたしがとても好きなハンピの寺院「Malyavanta Hillでみたもの」と酷似していて、歴史的背景を調べたくなるが、ひとまず割愛。
薄暗い寺院の入り口を通過した先に、陽光に照らされたバーフバリ像が現れた。頭部は仏陀と同様、右巻きの「螺髪(らほつ)」で覆われている。この石像を見た瞬間、違和感を覚えた。驚くほどに、「真新しい」のだ。今から1000年以上前に建てられたとは、到底思えない。石とて、苔蒸し、朽ちるはず。いったいどういうことなのか?(続く)
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