6月10日月曜日。N女史とのランチをすませ、また近い将来の再会を約束してホテルに戻り、界隈で軽く買い物などすませたあと、夜は、ホテルから徒歩圏内にある豆腐専門店へ。昨年の東京で初めてお目にかかった京子さんと、夕食を共にする約束をしていたのだ。
店選びは京子さんにお願いしていたのだが、その後、医療に詳しいインドの友人から「咳が出るときは、たんぱく質を多めに摂った方がいいよ。乳製品は避けてね」とのアドヴァイスを受けていた。咳は治まりつつあったものの、豆腐料理を食べることは心身によい、いいタイミングであった。
昨年の秋の一時帰国の際に「着物の美」に目覚めたことは、この半年あまり、幾度となく記してきた。福岡市天神の新天町にあるリサイクル着物店で、麗しくも廉価な着物を目にして驚き、その日、母のクローゼットで半世紀前の大量の着物を発掘して狂喜した。
さらには、名古屋で有松絞りの里を訪れ、東京の松屋銀座(百貨店)で開催されていた「きもの市」へ足を運んだ。わずか2週間の間に、日本のリサイクル着物市場の実態を垣間見て、驚くと同時に「なんと、もったいない!」との思いに駆られた。世界広しといえど、これほどまでに豊かで価値のあるテキスタイルが、二束三文で売られたり、処分されているところがあるだろうか。
日本の高度な伝統技術や美学が息づく「古き良き着物」を、インドの友人知人らに見せたいと思った。
着物に関しては全くの素人で、未だ着付けも自分でまともにできない身だが、この半年間でいくつものイヴェントを開催、日本の伝統文化をインドに紹介することは、我がライフワークの一つになろうとしている。そんな転機となった前回の帰国時。松屋銀座の「銀座のきもの市」にて、わたしの関心をひときわ引いた着物や帯が並んでいた店が「壱の蔵」だった。
「着物とサリーの比較展示会」でも、特に注目を集めた「源氏物語絵巻」の袋帯や、弁財天が織り込まれた金色の袋帯なども、この店で買ったのだった。その日、わたしは他の催しに参加するため、オリッサ州で織られた精緻なイカット(絣)のサリーを着ていた。地味な色合いながらも、上品で美しい、我が一張羅だ。最後の写真がそれである。
そのとき、着物をモダンに美しくお召しになった女性に声をかけられた。それが、京子さんだった。着物関係のお仕事もされている京子さんは、「壱の蔵」のお手伝いもされていて、その日、サリー姿のわたしに関心を持ち、お声をかけてくださったのだった。その場では軽くご挨拶と簡単な立ち話をしただけだったが、その後、ソーシャルメディアを通してご活動や、着物の着こなしの美しさなどを拝見していた。
京子さんは、かつて大手広告代理店に勤務されていて(N女史とは別の企業)、10数年前にはバンガロールにも出張にいらしたことがあるという。共通の友人もいて、世間は狭いものだと思う。着物や茶道はじめ、日本の伝統や歴史にも話が及んで楽しい。同世代ということもあり、「これから」に関する会話にも通じ合うものがあり、旧知の知人のような心持ちで、楽しいひと時を過ごした。
あの日、あの時、声をかけていただかなかったら、生まれなかったご縁。しかし、お声をかけていただいたからこそ、今回もまた「芋づる式」の出会いや発見がある。
インドは基本的にソーシャル(社交)重視の世界で、人々が極めてフレンドリーに関わり合い、日常的に交流が不可欠だ。一方の日本では、インドに比べると人付き合いにもなにかしらの「敷居」を感じがちである。しかし、今回は改めて思った。国籍を問わず、自分が「お会いしたい」と思う方々には、積極的にお声をかけしようと。
正直なところ、今回は福岡滞在中のミッションで頭の中がいっぱいで、東京でのことを、あまり計画できなかった。それでも、お一人、お一人と、短いながらも丁寧に言葉を交わせて、豊かな時間を過ごすことができた。
京子さんとのご縁もまたありがたく、今後はオンラインで日本とインドを繋ぐ企画などでもご一緒しようということになった。頻繁に帰国できるわけではないので、実際にお会いできる人は限られている。パンデミック時代を思い出し、これからは改めてオンラインも活用しつつ、日本との関わりを深めていければと思う。
【写真】最初の2枚。京子さんの着物とも、豆腐料理とも、カラーコーディネーションが絶妙!😸 残りの写真は、すべて去年の秋、京子さんとお会いした日に、銀座で撮影したもの
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