現在、木曜の午後6時。成田国際空港のラウンジにて、日本酒を飲みつつ、搭乗までの30分余り、記録を残そうと綴っている。咳が出ていたこともあり、途中で体調を悪化させたくなかったことから、実は一昨日まで一滴もアルコールを飲まなかった。
日本酒を飲めることを楽しみにしていたのだが、解禁したのはようやく昨日。ビールを飲み、部屋で日本酒の小さなボトルを開け、しみじみと楽しんだ。そして今、旅の余韻を噛み締めつつ、千葉のピーナッツを噛み締めつつ、静かに日本酒を飲んでいる。少し飲んだだけで、酔いがまわる。気をつけねば。
🇮🇳
昨日は丸一日、自分一人で過ごしたく予定を入れていなかった。ゆえに一昨日の午後が、最後の会合。最初はランチタイムにお会いする予定だった笠井亮平さんと、予定の変更で午後のティータイムに待ち合わせ。予定を変更してよかった。食事しながらでは消化できない……というくらい、笠井さんとは毎回、脳みそフル回転で話が尽きない。
毎回……といっても、お会いするのは今回で3回目。しかしながら、会話が高濃度につき、何回もお会いしている気さえする。
笠井氏については、こちらのWikipediaをご覧いただきたい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A0%E4%BA%95%E4%BA%AE%E5%B9%B3
笠井さんと初めて言葉を交わしたのは、やはりパンデミック時代に流行ったClubhouseのインド関係のルームにて。ご著書である『インド独立の志士「朝子」』をすでにお読みしていたこともあり、笠井さんのお話には強い関心を抱いていた。その後、わたしは朝子さんとお会いし、インタヴューをして動画を作る……という僥倖に恵まれた。
笠井さんと実際にお会いしたのは、2022年。2年前のちょうど今頃、わたしの一時帰国時のことだ。日経新聞ジャーナリストの岩城氏とともに、東京でお会いした。その日はまた、わたしはスバス・チャンドラ・ボースの遺骨が眠っているとされる蓮光寺を訪れる予定だったことから、サリー姿で赴いた。お二人との会話は非常に楽しく尽きず、ランチをとりつつも味覚に集中できなかった。ゆえに、今回はティータイムに変更していてよかった。
2度目は、同じ年の終わり、バンガロールを訪れていた笠井さんを拙宅にお招きした。その夜もまた時間ぎりぎりまで、語り合い、楽しいながらも話し足りない不完全燃焼のままだった。ゆえに、笠井さんとお会いする時には、脳みそクリアに時間に余裕のあるときでなければ……とも思っていた。
この日もまた、ご著書を2冊いただいた。短期間に多くの出版物を生み出されるタフさに敬服するばかり。インドの話に留まらず、米国はじめ海外旅の話、宗教や文化、その他諸々、話をあっちこっちに飛ばしつつ、軌道修正しつつ、知らない言葉を確認し合いつつ、生きた勉強会のようでもあり。
会話の掛け合いが、真剣勝負。話し込んだら長くなるテーマばかり、短時間で語りつくせない話題連発につき、議事録をとったらかなりの情報量になる違いない。
二人とも書き手ということもあり、わからないところをスルーしたまま話し続けるのではなく、尋ね合うなどして確認するので、学びも多い。おすすめの旅先、本など情報交換もしつつ刺激的な時間だった。
笠井さんはマラソンをされていて、初めてのフルマラソン体験がモンゴルだったというお話がまたインパクト大! そこからわたしのモンゴル旅の話に流れると時間切れなので、のちほど『モンゴル旅日記』のリンクもシェアするということでモンゴル話は中断。本当はモディ首相の話もしたかったのだが、まったく話が及ばず。
ホテルに戻った後、
「今日の話題は「20世紀前半まで」でしたからね。2024年に追いつくのはいつのことやら、という感じです」とのメッセージをいただいて、思わず笑ってしまった。
次はまたインドで。心置きなくお話できる予定で遊びにきてくださいと約束して別れたのだった。わたしがお聞きするだけではもったいなく、対談をさせていただき、オンラインで流すというのもいいかもしれないと思った。
[🇯🇵DAY 20-1/ Tokyo] インド独立の志士「朝子さん」に連なる奇縁ご縁。2022/06/13
https://museindia.typepad.jp/2022/2022/06/jpn20-1.html
2022年の終わり。旅人が立ち寄る場所。2022/12/30
https://museindia.typepad.jp/2022/2022/12/tabi.html
https://museindia.typepad.jp/library/asako/
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