2022年は大切な動きが少なからずあった。きちんと振り返っておきたいと思いつつ、気づけば大晦日。今年のハイライトのひとつは、新居を得て、新たな暮らしの構築を開始したこと。未だ途上だけれど、慌てずに少しずつ育んでいこうと決めた。
そんな過程のなかでしかし、バンガロールに住まう友人知人、そして旅人たちが、立ち寄り過ごしやすい場所であるに違いないことが、この半年間で実感できたことは、切にうれしい。
夫婦二人と猫4匹のためだけではない。人々が出会う場所。日本とインドが交錯する場所。次世代へ引き継ぐ場所。不易流行を具現化する場所。
旧居は旧居で、人々がくつろぎ、長居していきがちだった。多分、心身がくつろげる場所。
しかし、新居は、それだけではない。ここは、魂がくつろげる場所だな……と思う。
無論、平日は、周辺が未だガンガン工事をしているし、「どこが?」と思われそうなのだが。
早朝。夕暮れ。夜。週末。
木々の、葉ずれの音。
鳥たちの、囀りの声。
29日の午後は、日本から旅行で訪れている方々に、インドのテキスタイルとサリー講座。インダス文明時代に遡るインドのテキスタイルの歴史。数千年前に描かれた、アジャンタ遺跡の壁画に残る絞り染めや絣の絵画なども示しつつ、時空を超えて育まれたサリーを纏う。見るのと着たのとでは、まったく風合いが変わるサリーの醍醐味を、体験してもらった。
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23日、旅の端緒に立ち寄られた塚原青年は、ナーグプルで龍雲となり、サフラン色の僧衣を纏い、29日の帰路、再びご来訪。フライトまでの数時間。夕餉を囲み、ひたすらに語り合う。1週間、超濃密な時間を過ごされた彼の話を聞きながら、わたしも伝えたいこと尽きず。ごはんと味噌汁。卵焼きに野菜炒め。そんな素朴な料理が、多分、お互いの心身に沁みる。
ご縁とは不思議なものだとつくづく思う。バックグラウンドの差異を超えて、わたしとも「通じ合う言葉」が多い彼は、我が家の「月光ライブラリ」に引き込まれ、最初の「引き継ぎ者」を名乗り出てくれた。
「また来ます!」「空港が近いと、なんか、(日本から)近い気がしますね!」と言いながら去っていった。
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そして昨日30日。南アジアを研究されている笠井亮平氏がご来訪された。作家であり、翻訳家であり、大学で教鞭を取られている笠井氏との出会いは、ご著書『朝子』を通してだった。その経緯は、6月の一時帰国時に東京でお会いした際、記録を残している。
[🇯🇵DAY 20-1/ Tokyo] インド独立の志士「朝子さん」に連なる奇縁ご縁。
https://museindia.typepad.jp/2022/2022/06/jpn20-1.html
お昼頃に到着され、我が夫も交えてランチを共にし、そこからはもう、時間の流れが歪んでしまったんじゃないかと思うほど、尽きない会話。
笠井さんが専門とされるインドはじめ、パキスタンやバングラデシュほか、南アジアの国々のお話が興味深すぎる。一方、笠井さんは、インド人を家族にもち、インドに暮らすわたしの経験談や視点に関心を持ってくださる。ゆえに、話が尽きない。
果ては、笠井さんも「月光ライブラリ」に引き込まれ、わたしが「超絶芋づる式」に引っ張り出しては説明する世界に関心を示され、気が付けば、夜だった。まだまだいつまでも、語り合えそうな状況だった。
今回の消化不良は、再訪の理由になる……ということで、「また近々!」と手を振り、見送った。
場の空気が、脳みそを刺激する。そして、その場で開ける過去のノートや書籍は、かけがえのない宝だと、改めて実感した。来年は、「月光ライブラリ」だけでなく、家の随所に「魂が旅に出られる空間」を育もうと、改めて思った。
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笠井さんの新著(訳)『インド外交の流儀:先行き不透明な世界に向けた戦略』をいただいた。これもまた、お読みするのが、かなり楽しみだ。ちなみに最後の写真は、2011年12月にバンガロールで開催された天皇誕生日の式典。中央に立つ男性は当時、デリーでインド大使をされていた齋木昭隆氏。本の帯に、氏のお名前を確認し、懐かしくて発掘した。
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ところで、笠井さんは部類の「パンダ好き」でいらっしゃる。先日、ハンディクラフトのバザール「Dastkar」にて、パンダ柄のシャツを目にした瞬間、笠井さんのことを思い出した。こんなキュートなパンダシャツは、滅多に入手できるものではなかろうと思い、衝動買いしてしまった。唐突にシャツのプレゼントとはいかがなものか……と思ったが、喜んでいただけた😆
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