こどものころのわたしは、ノスタルジアに固執する性分だった。2、3歳のころから「郷愁」や「懐かしさ」に敏感だった。当時の記憶をかなり鮮明に思い出せるが故、そのときの心情も蘇る。それは多くの人が生まれ持っていたにも関わらず、年齢を重ねると共に忘れゆく「前世の記憶」に起因するものだったかもしれない。
日本文学を専攻していたわたしは、大学時代の卒業論文に『安部公房』を選び、「故郷喪失」「砂漠」「変身譚」をテーマに研究した。それらはシュルレアリスムへの憧憬やゴビ砂漠の鉄道旅、果ては先日の、サハラ砂漠の東端で感じた旅情にも繋がる安部公房の代表作は映画化もされた『砂の女』であり、氏の砂に込められた情念は熱く厚い。
高校時代、国語の教科書に掲載されていた安部公房の短編『赤い繭』を読んだときの衝撃。魂が震えるとは、まさにあのときのことを指す。あの物語は、時代を超えて普遍だ。
大学を卒業後、上京して働き、海外の世界を見ることで、我が嗜好も志向も、静かに変容してきた。欧州の石造の街並みに漂う哀愁や、アジアの木造建築の朽ちた姿が放つ息吹に惹かれて放浪した挙句、その憂いから逃れるかの如く、マンハッタンのスカイスクレイパーに身を投じた。
諸手を広げて異邦人を出迎えてくれる、しがらみ浅いモダニズムのエネルギーが、心地よかった。しかしその高揚の日々は、2001年9月11日の米国同時多発テロで、粉々に打ち砕かれる。
パンデミック時代を契機に、わたしの中で「古き良き日本の美」を慈しむ思いが格別なものになった。1996年に日本を離れて以来、母国を客観視するに十分な「28年」という歳月が流れたこと。わたし自身が経験を重ねて審美眼が培われたこと。平凡な人間が理解し享受するに有り余る、過剰テクノロジーが世界を席巻していることへの不安……。
さまざまな要因によって、わたしはプリミティヴな感性に引き摺り込まれる。
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展示会の数日前、KYNKYNYから招待状が「郵送で」送られてきた。そこにあった文章を抜粋する。
Avijit Dattaの絵画の核にあるのは、移り変わる砂の記憶である。それは心の奥底に隠された心象風景を掘り起こす。ジャンルを超え、時間を旅する作品は、予測不可能な心の旋律を追いながら、過去、現在、未来のもつれを、線なき円環で織りなす……。
*主に水彩画やテンペラによって描かれるAvijitの作品は、彼の故郷であるコルカタ北部の独特の個性、ノスタルジーに強い影響を受けている。
*過去を凍結した瞬間としてではなく、ダイナミックに形を変える物語として捉えている。
*感情、隠喩、想像力のフィルターを通して、幻想的な心象風景へと変換させる。
*詩の連節や音符の連なりのように、それぞれの作品は繋がり合う。
*空想上の空間、消えゆく時代、建築物や生活様式、感情的な出会い、新旧の記憶などを包含している。
*自然や動物、植物は、脇役ではなく、崩れかけた邸宅や威容を放つ旧世界の舞台の、主な住人でもある。
*絵画に調和し相乗する、ヴィンテージなフレーミングも、Avijitの作品。
*コルカタに暮らし自らを研磨してきた彼は、古典的なものや、時代を超越した魅力を持つものを愛する。それは執着とも呼べる。
わたしが時間をかけて、彼の世界をこうして説明しているのは、強い共感を覚えるからだ。彼の世界を文字にすることで、自分の脳裏が整理される過程を、今、楽しんでいる。
2008年に出張で訪れたきりのコルカタは、しかしわたしにとって心惹かれる土地であった。コルカタ、すなわちベンガル地方が生んだ芸術家、革命家、文学者、科学者……は、枚挙にいとまがない。
古い写真を模写した作品。過去のリアルな一瞬が、キャンバスのうえで凍結している。彼がテンペラで描く背景には、数百年の時を超えても、色彩の鮮やかさが残り続けるという点にもあるのかもしれない。
彼は自身の作品を通して、「パーソナル」な世界だと表現しているが、それは同時に普遍的だとも思う。今となっては、世界中の多くの都市部から、「郷愁を育む情景」が失われ、画一的なモダニズムに覆われている。生まれた場所や時代によって、ノスタルジアの在り方も変容していくだろう。
朽ちてゆくものに見る郷愁。経年劣化のなかに潜む美。こうして書きながら、脳裏に童謡が流れてくる。
「柱の傷はおととしの、五月五日の、背くらべ。ちまき食べ食べ兄さんが、計ってくれた背のたけ」
柱に刻まれたノスタルジア。無傷や利便性を尊びがちな現代社会において、この感性はどう継承されていくのだろう。
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展示会では「My city, my mother」という短編映画が上映された。これがまた、本当によかった。心に迫る。3人の男性(写真)による共同作品。手前から、Avijit、Vivek、そして映画監督のManush Johnの作品。以下のリンクから見られる。
更に個人的な感傷を付け加えるならば、彼の作品のモチーフのひとつになっているシャンデリア。
わたしはインド移住前に初めてゴアを旅した2003年、教会の天井に吊るされた、古びたシャンデリアに強く心を惹かれた。ゆえに旧居を購入した際、その高い天井には昔ながらのシャンデリアを施そうと決めていた。最後の写真がそれだ。このシャンデリアを取り付けるまでの物語もブログに残している。
我が座右の銘である「不易流行」についても言及したかったが、もうInstagramの文字制限2000文字を遥かに超えてしまった。わたしが最も気に入った絵についても、書きたかったが長くなりすぎる。あとは自らの心に刻もう。
◎REFLECTIONS with Avijit Dutta, an art film by KYNKYNY
🖋我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?(2022/09/19)
https://museindia.typepad.jp/2022/2022/09/where.html
🖋上海雑技団再び。ものすごいシャンデリア。(2007/04/06)
https://museindia.typepad.jp/blog/2007/04/post_cd69.html
https://museindia.typepad.jp/blog/2007/04/post_1.html
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