昨日の朝、バリのデンパサール空港を立ち、6時間余りのフライトののち、午後、バンガロールに到着した。モンスーン・シーズン真っ只中のバンガロールは曇天で、吹く風は涼しく心地よく。
猫らの待つ旧居に一刻も早く帰りたかったが、まずは空港近くの新居に立ち寄る。新居にはメイドがおらず、不在中はドライヴァーが様子を見にくる以外、基本的には放置状態。インドにおいて、長期間、家を空けるのは、水漏れだの停電だのと、諸々リスクがあるがゆえ、立ち寄る。
軽く掃除をすませたあと、旧居に戻り、毎度、歓迎してくれない猫らを追いかけてハグをして、帰宅を喜ぶ。
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バリの最終日。寺院を訪れた後、ウブドの街中へ。伝統工芸品の店などに立ち寄りたかったが時間切れだったのと、あまりの喧騒で街巡りの気力がなかったこともあり、藍染のテキスタイル店のみ訪れた。インドネシアはバティック(ろうけつ染め)で有名だが、実はイカット(絣/かすり)も古くから織られているのだ。
特にバリ島のトゥガナン村では、インドや日本と同様、ダブルイカット(グリンシンと呼ばれる経緯絣/たてよこがすり)が織られているということで、時間に余裕があれば訪れたいところだった。
また、「アタ」と呼ばれる細かい網目と飴色の艶が美しいかご製品も、あれこれと欲しかった。
……今、調べたところ、このアタもトゥガナン村で作られているというではないか! しまった……。あと2泊くらい延泊して、トゥガナン村まで行けばよかった!
というのも、今回の旅。実は夫が友人たちとのバリ旅行があることから、わたしとの旅を前倒しでくっつけた次第。すなわち昨日は、わたしだけ帰国し、夫は友人らと合流すべく、海辺のリゾートへ移動したのだ。
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32年ぶりのウブド中心街は、歳月の流れを否応なく感じさせられた。善し悪しを言っているのではない。あくまでも、その変貌に圧倒されたのだ。
まだまだ観光客の姿もまばら、のどかな村の風情が漂う中心部の小さなリゾートに泊まったが、今ではもう、なくなっていた。通りを間断なく埋め尽くすブティックや飲食店……。
宿で自転車を借り、ライステラスを眺めながらサイクリングをしたり、路傍の食堂でサテーを食べたりしたことが、まるで異世界のように。
最後の夕食は、街中で食べるつもりだった。しかし聖水で浄化された心身に、途中、コーヒーを飲むために立ち寄ったカフェの喧騒さえ重く感じられ、結局は町外れの村にあるリゾートに帰った。最後は、バリ名物の豚肉料理を食べたかったのだが、もう、ヴィーガンでいいや、という気分であった。十分においしかった。
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高校時代の国語の教科書。夏目漱石の『夢十夜』の「第一夜」。
「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」
高校時代に読んだ時には、彼女の言う百年が、果てしなく長い歳月に思えた。だから最後の一文、
「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。
……の締めくくりが、衝撃的だった。
翻って、このところ再びマイブームとなっている米津玄師。7曲ほどの好きな曲を集めて繰り返し聞いている。その中の1曲。『さよーならまたいつか!』に、「♪100年先も憶えてるかな 知らねえけれど さよーならまたいつか!」という歌詞がある。それを聞くたび、100年なんて、短いよ、と思う。憶えてる憶えてる。
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何が言いたいかといえば。もう半世紀以上を生きてきて、32年前のことでさえも、つい最近のことのように蘇るのに、しかし実際には当時の情景は跡形もなく。なにもバリに限ったことではない。世界中の至るところで情景は変化する。
しかしなぜか今回の、このウブドの変容は、個人的に、心に染みた。
長いこと、生きてきたな……との思い。そしてまだまだ、この先も、生き生きと生きたいとの思い。
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大切な持ち物の紛失を極力防ぐため、AirTagを使っている。スーツケースや、自宅の鍵、財布などにつけている。個々のAirTagに名前をつける必要があるのだが、夫の鍵の名は、シンプルに「ARVIND」としている。
最後の写真。夫より一足先にチェックアウトをしてリゾートを離れた直後、iPhone の画面に出てきたお知らせ。なにかしら、味わい深い。
引き続き、よい旅を。
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