福岡を起点に、韓国、壱岐を旅した今回の一時帰国は、本当に豊かだった。
半年前の一時帰国時は、母の介護サーヴィスの開始に伴い、諸々の手続きやケアセンターの見学、ケアマネージャーはじめ関係者との打ち合わせなどを優先していた。
初日から咳が出て止まらず、肋骨や腰も痛み、3週間、ずっと体調が悪かった。自分が思っている以上に、精神的なストレスを感じていたのだと思う。
前回の教訓を経て、この半年間、毎朝10分間の瞑想と、例のなかやまきんに君の世界一簡単な筋トレ10分間を続けてきた。この積み重ねは、かなり成果があるように思う。
もちろん、無理をせぬよう毎日7、8時間の睡眠を取り、体調管理には気を配った。何をするにも、健康第一。バンガロールに戻って数日経つが、今週はあまり予定を入れず、緩く猫らと過ごす時間を確保している。
🌈
福岡最後の日は、母と夫と3人で、香椎のロイヤルホストでランチ。母の記憶は混沌と曖昧さを増して、彼方の思い出は鮮やかに蘇り、新しい出来事は止まらず流れる。
今回、母と過ごした16日間は、人間の生き死にについて、考えさせられる出来事の連続でもあった。人は生きる過程で必ず、枯れていく。偉業を成し遂げた人たちでさえ、心身は衰えゆく。
自分の忘却に気づいた時の不安。
文字がうまく綴れない。漢字が出てこない。諦めと絶望。
目がよく見えないから、パッケージが読めない。料理ができなくなる。
耳が聞こえないから、会話がわからない。話の辻褄があわなくなる。
視覚や聴覚の衰えと、認知症との密接な関係についても、身に染みてわかった。
正直なところ、この先のことを考えると不安はある。しかし、妹は実家から車で10分程度の場所に住んでいて、常々、足を運び、母と外出もしてくれている。
介護保険のサーヴィスにより、ヘルパーさんが週に2回、それぞれ1時間ずつ来てくれ、部屋の掃除などをしてくれる。また、ケアセンターへは週に2回、送迎付きで赴き、体操などをしている。
多分、恵まれた環境だと思う。
今回、幸いにも、帰国の序盤に眼鏡店へ赴いた際、新しい補聴器に出合え、母の耳の聞こえが向上したのは、本当にありがたいことだった。なにしろ最初の2日間は、補聴器をしていてなお大声で話すしかなく、どうしたらいいのかと途方に暮れる思いだった。
これまで使っていた補聴器の専門店では、適切な対応をしてもらえず、これが限度だろうと諦めていた。ところが、眼鏡を新調するために妹夫婦が行きつけの「眼鏡市場/福岡筥松店」に行ったとき、補聴器の案内が目に止まった。
補聴器とは、どのブランドも五十歩百歩だろうと思っていたのだが……。全然違った! AIの台頭により、補聴器が格段に進化していたのだ。音量その他、諸々、コンピュータで微調整ができ、雑音なども適宜、排除される。店長さんとスタッフの方々が、検眼や耳の検査を、入念にしてくださったおかげで、母の聴覚は格段に向上し、大声を出さずにすむようになった。
これは本当に、ありがたかった。
確かに補聴器は高価だが、何よりも優先すべき必要な機器だと実感した。こういうものが、もっと廉価で多くの人に普及できればいいのにと思う。そうすれば、耳が不自由な人だけでなく、周囲の人々のストレスも大幅に軽減される。
母を見ながら、自分の20年後、30年後を思う。
身体を大切にしよう。足腰を鍛えよう。手書きで文字を綴り続けよう。読書をしよう。旅を続けよう。強くやさしく寛大であろう……。
🌈
出立の朝。父の遺影に手を合わせたあと、名島神社に向かって拝もうとベランダに出た。すると、名島神社のあたりからうっすらと、しかし確実に、半円の虹がかかっていた。
ありがたきお見送り。
また来年、帰ってきます。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。