テクノロジーの超絶進化で、善きものをよりもむしろ、有象無象の情報に埋もれてしまいがちな日常。
利便性が高まって、人間の仕事は果たして減ったのか?
便利になった挙句、そこに余裕は生まれたのか?
人々は益々気忙しく、会うことを省き、語り合うを省き、理解し合うを省き、加速を尊び、なにもかも短時間に短縮傾向。
「パラパラ」みたいな軽くて薄いコミュニケーションが主流となって、浅はかに人を責め、浅はかに人を裏切る。
礼儀や恩義や道徳を忘れ、神仏を軽んず。人間関係の質を尊ぶよりも、関わる人間の量を問う。
「その人の本質」ではなく、「その人のステイタス」つまりは肩書きが優先。
周囲をキョロキョロ見回すばかり、自分自身を見ていない。
「お金」を目的にして、「お金」を権力や成功や富の象徴に据えるから、心が病む。
……こんな趨勢が、こんな循環が、「主流」であっては、よくないと思う。
資本主義社会というイデオロギーの世の中だから、仕方がないのか。
ペレストロイカ、ベルリンの壁崩壊、マルタ会談、米ソ冷戦の終結……あの時代からの30年余りで加速した歪みを、今後、この世界はどう糺すだろう。
1万年に亘るカリ・ユガ(暗黒時代)の、ほんの刹那か。
🙂
どんちゃん騒ぎの狂乱の渦の中で、自分の声が聞こえない。
それは本当に自分の意見か? 誰かの意見の二番煎じじゃないのか?
騒音の中にあって、自分の水面を揺るがせもせず、静かに深く呼吸をしながら、目を閉じて、自分を見つめよう。
ああ、しかし!
身近な人の、離れた人の、誰かの言葉に惑わされ、疲弊させられ、真偽も定かではなく、放っておけず、心乱れる自分に苛立つも現実。
生きるとは面倒や手間をひとつひとつ片付けながらの繰り返し。そんなやるせなさをも慈しむ歳月の連なり。
明けても暮れても、毎日、なにかが起こっては、心乱されることの連続。……だからこそ! 自分の心身を休め、強くするための時間が大切なのだ。
模索は続く。多分、死ぬまで。
🙂
今週のわたしは、8日間にわたり、近所のアーユルヴェーダ診療所に通い、トリートメントを受けている。顕著にどこかが悪いというわけではないが、頸部や肩、腰の疲れ、疲労時の眩暈など、身体のちょっとした不調を整えてもらうために。行き帰りを含めて所要3時間半程度。極力、心身を休めるべく、外出予定は最低限に、オンラインミーティングも控えめに、のんびりと過ごしている。
トリートメントの作用で、身体がだるく感じることもあり、夜は8時間〜9時間、しっかりと眠る。普段からよく寝る方だが、普段にまして、よく食べ、よく眠る。
次なるプロジェクトの準備もあるが、まずは自分の心身管理を最優先にしようと決めた。
🙂
今年に入っていいニュースのひとつは、我が家に信頼のおける料理人が来てくれるようになったこと。掃除のメイドはいたけれど、移住直後の一時期を除き、これまで自分で料理をしてきた。しかし、我々夫婦のライフスタイルもまた、変化しているわけで、週に3回、「健康的で辛くないインド料理」を作るメイドを雇った次第。我が夫、辛いものが非常に苦手なのだ。
食生活の変化についても、いつか記したいと思う。
さて、来週中盤から再起動だ。週末は、取りこぼした作業をぼちぼちと拾い集めつつ、静かに過ごそう。
🙂
アーユルヴェーダのことは、これまでも幾度となく記してきたが、膨大すぎるので1つだけリンクを。
🌱インドの偉大なる伝統医学、アーユルヴェーダ。わたしたちのライフの基盤は、古来からの教えに守られている。
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