毎月のように国内外を旅していた昨年から転じて、今年は敢えて旅を控え、バンガロール滞在の時間を増やしている。時間にゆとりがあるので、友人たちとの集いやお誘いにも、積極的に参加している。
先日もまた、友人宅に招かれて華やかなランチ。既知の友、初めての友……。多様性の国インドでは、同じ地方の出自でも、宗教やコミュニティによってライフスタイルや食文化が異なる。テーブルに並ぶ料理も、似て非なる家庭の味。
「平均値」を出せない。「平均的」が存在しない。それがインド。
脳裏に地図を広げながら、想像力を駆使して語り合うもまた、心の旅。
初対面だと思いつつ自己紹介をすれば、「以前、あなたがご自宅で開催していたバザールに伺いましたよ」という女性。
そう。2012年にミューズ・クリエイションを創設した直後の数年間は、旧居を開放してヴェンダーを招き、毎年ミューズ・チャリティバザールを開催していたのだ。つい最近のことのように思えるが、あれから10年あまり。敷居低く、自宅に100人を超える人々を招き、賑やかな時間をメンバーらと共有した。
今となっては、旧居は猫らとのんびり過ごす場となっているが、かつては千客万来。パンデミックまでの8年間、ミューズ・クリエイションの活動をすべく、毎週金曜日には自宅を開放してきた。セミナーやパーティも数えきれないほど、実施した。
当然のように、わたしは自分のやりたいことをやってきたが、概ねそれを受け入れてくれた夫にも感謝せねばなと、今更ながら、思う。
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時は流れ、人生のステージは転じ、転ずる。今の自分の立ち位置を大切に、今の自分が望み望まれる場所に立つ。
20代のわたしは、旅が自分の人生であり、憧憬であり、目的だった。仕事以外の「一人旅」が、大いなる自己実現の時間でもあった。
仕事での取材旅行に飽き足らず、休暇の際に、北京からウランバートルまで36時間かけて鉄道旅。フリーランスになってからは、年に「3カ月の休暇を取る」を実践すべく1年目は欧州を列車で放浪。2年目は3カ月間、英国で語学留学。挙句1年間を予定していたニューヨーク語学留学の延長線上に、今のわたしがいる。
30代。ニューヨークで夫と出会ってからは、二人旅が中心となった。世界のあちこちを、列車で、車で、冒険するように、旅をした。
40代。インドへ移住してからは、5月にニューヨーク、10月に日本へ一時帰国という二本立てを軸に、合間合間に旅するライフを約15年。米国からの帰路、欧州のどこかに立ち寄る旅。そしてインド国内旅。
インド市場のリサーチや視察コーディネーションの仕事を積極的に引き受けていたその時代は、国内出張も多かった。出張で快適なホテルに滞在するときは、夫と一緒に旅する時には得られない、開放感と達成感を味わったものだ。
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しかし、50代に入ったばかりのころ、旅への衝動が激減した。仕事とミューズ・クリエイションの二本立てで精一杯だったかもしれないし、心身が不協和音を発し始めたせいかもしれない。
旅情が鎮まった自分に衝撃を受けた。これが歳を取るということなのか?
経済力や時間のゆとりに反比例して、かつての熱情や食欲や消化力が沈静した事実に、人生の皮肉を感じた。
「澪標(みおつくし)」のごとく、ここを定点に人々を迎え見送り、このまま歳を重ねていくのか……?
そんな矢先の2017年、ラジャスターン州を旅し、ジョードプルでジップラインをしたときに、何かが目覚めた。
タール砂漠の入り口に位置する難攻不落のメヘラーンガル城砦。その一隅から出発し、川、岩山、緑、城塞……と、あらゆる角度からの景観を眺めつつ、複数のラインを滑り飛ぶエキサイティングなひととき!
20代のころに経験したニュージーランドでのバンジージャンプや、スイスでのパラグライダー、マレーシアでのパラセイリングなど、三半規管が弱いのに、チャレンジャーだった過去の経験を思い出し、心が躍動した。
しかしながら、旅情が再燃した矢先のCOVID-19パンデミック。旅どころか、近所さえも自由に出かけられない不自由を経験して、旅ができることのありがたみを噛み締めた。
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ここまで読んだ若き人らがいるならば、伝えたい。
「**を旅をしたい」とか「**を食べたい」という希望があるにもかかわらず、経済的に際どいから先延ばしにしているとしたならば。
今、旅した方がいい。今、食べた方がいい。
「具体的な目的」や「善き使途」を明確にして「努力」すれば、お金はきっと、巡りくる。
人生の節目の年につき。このごろは、敢えて思いを綴りおく。
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