昨日は、母の白内障手術に先駆けて、香椎駅前の中村眼科へ。朝一番から多くの患者さんが待合室を満たしている。何人もの看護師さんがカルテを片手に院内を歩き、患者さんを導いている。たいへんな忙しさだ。
壁に貼られていたドクター中村の略歴を読む。1992年九州大学医学部卒業。その後、複数の病院に勤務されたあと、「2000年ハーバード大学医学部留学」とある。
2000年といえば、わたしが夫の母校(MIT/マサチューセッツ工科大学)の同窓会に同行して、初めてボストンを訪れた年だ。米国の大学では、5年、もしくは10年に一度、盛大な同窓会を催すところが多い。MITは5年に一度ということで、1995年卒業の夫は、2000年の同窓会に参加した次第。
数日間に亘るプログラムが組まれており、パートナーや家族も同行できる。義亡父ロメイシュや義姉夫妻とも合流し、ボストンで数日を過ごした記憶が蘇る。
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やがて母の番が来て、看護師さんにより、眼の検査はじめ、手術までの準備や注意事項を説明される。かなり、ややこしい。1日5回の点眼に始まり、手術後の眼帯装着や入浴の禁止など。母の場合、1週間おきに左右を手術することから、益々ややこしい。
認知症初期の母には、到底ひとりでは無理だ。まず点眼前の「眼の周囲を洗浄綿で拭く」という工程でつまづく。洗浄綿のパッケージそのものが、まず理解できない。「これ、何だっけ?」となる。今日で2日目、9回の点眼を終えたが、毎回、ほぼ初めてのような状況。1日に何回点眼したかも、きちんと記録できない。
その一方で、部屋の片付けや食器洗いなどはきちんとできる。会話のつじつまの合わなさは、COVID-19の引きこもりのあと、急激に悪化した。それでも、身体は健康で薬を飲んでおらず、食欲もある。その点においては、幸いなことだ。
しかしながら……考えさせられることの多いこと!
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看護師さんより一通りの説明を受けた後、最後にドクター中村による検査を受ける。状況を伺い、あいさつをすませたあと、「先生は、ボストンにいらしたんですね。わたしの夫もボストンの大学だったんです」と声をかけた。すると傍にいらした看護師さんが「そうなんです!」とおっしゃる。なんと、奥様でいらっしゃった。お二人の目が、たちまち輝く。
なんでもご家族で、ボストン留学に帯同されていたとのこと。
わたしの身の上を簡単に話し、2000年から数回、ボストンを訪れた話をしたところ、「どこかですれ違ってたかもしれませんね」「あのころは、楽しい思い出がたくさんです」「ニューヨークやワシントンD.C.にも行きました!」と、ほんの束の間、病室の一隅にチャールズ川の風が吹く。
なにしろ込み合う病院内。長話をしている場合ではないが、ドクターが「いやあ、もう少し、お話ししたいなあ」と気さくにおっしゃってくれ、気持ちが和んだ。いいドクターに巡り合えてよかった。
病院を出たあと、ゆるゆると歩き、香椎参道へ。まずは香椎の老舗ブティック「Chibi Kan」に立ち寄る。良質な素材のオリジナルブランドの衣類を扱う店で、母も昔からときどき利用していた。このごろは一人で買い物に行けないので、良さげな服を選んで購入する。
その後、向かいにある母が行きつけだったカフェ「Nanの木」でランチ。母はよく食べる。やはり幸いと思う。帰り道、やはり参道で、かわいらしいお菓子屋さん「ジョワイユ ノエル」を発見。昨年オープンしたばかりというその店。店舗で焼いているというカヌレやフィナンシェなど、焼き菓子をいくつか購入。なかでも購入時にクリームを詰めてくれるコロネがおいしかった!
そして今日は、わたしの腱鞘炎の治療のために、2度目の整体へ。今後、数回通う予定。まだ痛みはあるが、身体全体を統合的に見ていただいているので、焦らず向き合おうと思う。
整体のあとは、ガーデンズ千早へ。ガーデンズ千早の母体である高橋グループ代表の高橋彦太郎氏とお会いする。前回の一時帰国時、福岡市美術館でテキスタイルのセミナーを実施した際、高橋さんは来てくださった。前回はしかし、予定が合わず、それ以外にお会いすることができなかったのだが、今回は、わたしがガーデンズ千早に立ち寄った日に偶然にもご連絡をいただき、今日、早速お会いしたのだった。
高橋さんとは、今後、何らかの形でプロジェクトをご一緒させていただくことになる。そのときにまた、諸々の思いを記したい。
最初と最後の2枚の写真は、ガーデンズ千早以前、「スポーツガーデン香椎」。埋め立て直後の土地の向こうに広がるスポーツガーデン香椎を背にした7歳のわたしと、リバープールで泳ぐ2歳のわたし初ビキニ。ここは1965年創業。親近感しかない。
◎幼少時の思い出多き「千早」にて。インドとのご縁を育むために@ガーデンズ千早(2022/06/01)
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