長いと思っていた1カ月も、すでに半分以上が過ぎた。もう少し日本にいて、一人旅に出かけたい。しかし、早くインドに帰りたいとも思う。複雑な気分だ。
昨日27日は、折しも亡父の月命日につき。約3年ぶりに、佐賀県の鳥栖まで、妹の運転で父の墓参りへと赴く。隣県とはいえ、鳥栖は福岡県との県境に近く、先日訪れた久留米にも程近い。
妹が行きたいという海鮮料理の店へ赴くべく、まずはぐっと南下して八女まで行き、ランチをすませて改めて北上、鳥栖へ行くことにした。
久留米絣の故郷であり、お茶の産地でも知られる八女を過ぎたあたりから、山間の情景が一気に緑豊かになり、田舎の情趣に満ちてくる。あいにくの曇天ながらも、道路の左右には、時折、桜の木々が見られて麗しい。
2年前、京都を訪れたとき、京友禅サリーの発起人でいらっしゃる竹鼻さんご夫妻に案内していただき、竹鼻さんの運転で「美山かやぶきの里」を訪れた。あのときもちょうど、似たような天気だった。
桜が終わる時期で、しかし美山へ向かう途中では、時折、桜が見られ、夫がいちいち感嘆し、写真を撮りまくったものだ。そのときの情景を彷彿とさせる、日本の自然美。窓を開ければ、雨に濡れた土や樹木の香りが流れ込んでくる。これもまた、懐かしき日本の匂いだ。
道の駅に併設したその店でランチをすませ、道の駅で八女茶や土地の日本酒などを買った後、父が眠っているであろう霊園へと向かう。
すると、満開の桜が出迎えてくれた。事務所の方によれば、前日、一気に開き、今日が満開だという。なんというありがたきタイミング。
小雨の降る中、墓の掃除をし、花を添え、線香を焚く。
母の両眼の手術を無事に終えられ、メガネをかけることなく、桜を見られるまでに視力が回復したことのありがたさ。この絶妙のタイミングもまた、父の尽力であろう。
お礼を伝えつつも、「これからも、ちゃんと見守ってよね!」と、強く念を押す。
父の肺癌が発覚したのは、父が62歳のときだった。母を残して死ねぬと思い続けた父の気持ちが、今、自分がその年齢に近くなってより一層、よくわかる。
まだまだ死ねない。やりたいことが、たくさんある。
父と、親しい友人(同じ年)を21年前の同じ時期に亡くして以来、わたしは健康を最優先して生きる道を選んできた。66歳で他界した父の無念を思いつつ、その思いを新たにする。
心と身体の健全を。
しばし事務所の方と話し、現在のお墓事情などをお聞きする。行く先々、出会う人々と語り合うことで、日々、今の日本を学んでいる。リアルな交流は、大切な糧だ。
桜を眺め、霊園に隣接する丘に登り、弁財天様に手を合わせる。ここ数年、合掌をする機会が増えた。気がつけば旅先で、たくさんの、祈る場所に訪れている。
恵まれている。
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