日本からインドへ帰ってきて2週間余り。すでに、何人ものインドの友人知人らと言葉を交わす機会があった。
今回の長い一時帰国の理由を知る彼らの多くは、わたしが母のサポートのために帰国したことをして、「あなたは恵まれている」「いい機会だったわね」と、異口同音に、ポジティヴな言葉をくれる。
福岡の、家の中にて。渦中にいるときには、あまりにも繰り返される質問に、つい声を荒げてしまうこともあり……。自責の念も含め、精神的に厳しいと思う事態も多々あった。理屈ではわかっていても、行動が伴わない。未来への不安なども重なって、心の平穏を保つのにも努力が必要。朝の瞑想は必須である。
「要介護1」という、まだ浅く軽めの母のサポートですら、タフだと感じたが、それは序の口だと認識している。同居で何年も、心身をすり減らしながら介護を続けている人たちが、どれほどたいへんなことか。想像するに、窒息しそうな気持ちにもなる。ともあれ、自分の役割を、今は考える。
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今、あの4週間を振り返ると、実家周辺をうろうろしただけだったにも関わらず、故郷再発見を楽しめたし、桜も眺められたし、最後には「ナマステ福岡」にも参加できたしで、精神的に、とても豊かな時間を過ごせたとも思う。
母の白内障の手術がなければ、実現しなかった4週間だった。
確かに、友らの言う通り、本当に、ありがたいことなのだと思う。過去は過去として、今と未来を見つめる。それは、自分のためでもあり。
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インドにおける家族や親戚のつながり、友人との関わり、ソーシャルな絆は、多分、現在の日本のそれよりも、遥かに濃い。もちろん、いいことばかりではないけれど、少なくともわたしは、そのことで救われてきた。人間の有り様について、考えさせられることも多々ある。
だから、日本における「親孝行」という道徳的表現に該当するような言い回しを、普段、使わない。わたしが知らないだけかもしれないが。子が親のケアをすることは当然のことだから、敢えて声高に「親孝行」を言う必要もないのだと、わたしは解釈している。
十数年前、母が70代のころは、インドにも数回招き、都度、2、3カ月、長期滞在をしてもらっていた。夫はもちろん、歓迎してくれる。今なお、母が一人暮らしだと知る友人たちからは、インドに招いて一緒に暮らせばいいのにと言われる。夫もそう言う。
ありがたい提言だが、率直に言って、簡単なことではない。
今は、「要介護1」で受けられる介護サーヴィスプラスαでひとまずは暮らせている。妹が近所に住んでいるので、心強い。死ぬまで家で過ごしたいという母の意向に沿えるよう、あとは亡父に願うばかりだ。
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写真は一昨日のもの。ミーティングのあと、友人らとLupaでランチをとった。バースデーを祝いつつ、賑やかで楽しいひととき。爽やかなモクテルも、久々のビーフも、おいしかった。
日本の友らと同席のときには、わたしは多くを語ってしまいがちだが、インドの友らと一緒だと、口を挟む余地が少ない。先日のランチもそうだった。そのギャップが、我がことながら、面白い。
昔から言われているたとえがある。
国際会議の場で、優秀な議長とは、日本人を語らせて、インド人を黙らせることができる人物。
両国の間で生きる者としては、自分の個性すらも把握に戸惑うスタンダードの相違だ。ともあれ、わたしは、インドにいられて、本当によかった。
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