モンスーンにはまだ早い時節ながらも、大雨に見舞われているバンガロール。乾いた夏には水不足が叫ばれ、降れば降ったで道路が水没。街の随所が冠水し、いずれにしてもインフラストラクチャー不全の大都市だ。
仕方ない。なにしろ2001年の国勢調査では、約400万人だった人口が、25年後の現在は、東京都とほぼ同じ1,400万人にも達しているのだ。1,400万分の1として、ここに身を置く自分もまた、人口急増に加担しているわけで、不満を言える立場ではない。
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本当は昨日、新居から旧居に戻る予定だったが、雨が激しかったこともあって1日延期。先ほど、旧居に戻ったが、途中、大雨に降られて、またしても車が水没するのではないかとヒヤヒヤした。我が家では、2年前にBMW冠水事件があり、「ガレージ(修理工場)」と「車両保険会社」を巡る壮絶なドラマが展開された。
意味不明な経緯で廃車扱いとなり、夫は担当者の不手際に激昂し、ドライヴァーが「僕の責任なので辞めます」と言い出し、そらもう無駄にストレスフルな約1カ月を経験した。結果的には、夫の執拗かつ絶大なる交渉力で車は復活。このエピソード一つをとっても「インド世界の有り様」が詰まっていて、ある意味、示唆に富んでいた。渦中にいるときには書かなかったけれど。
振り返れば、何もかもが喜劇。
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何度となく記しているが、我が人生にとって、今年は節目が重なる年につき、「生き方」を考える時間が多い。
どんなに書物を読もうが、賢者の話を聞こうが、多くの人たちにインタヴューをしようが、想像はできても実感できなかったことが、最近になって次々と、腑に落ちる。
孔子は「四十にして惑わず」と言ったが、わたしは20年遅れて、やっと惑いが薄れてきた。
キーワードは「縁」。
あらゆる宗教も、賢者の教えも、スピリチャル世界も、行き着く真理はほぼ同じ。仏教的な視点で眺める『マトリックス』の如く。
大学時代、精神世界に強い関心を持った時期があった。そこから40年。無数の「問題」と「解決」を自らの体験を通して繰り返すなかで、妄想でも理屈でもない「生の実績」が育まれてきた。
プロセス(過程)、すなわち、日々の積み重ねこそが尊いということを、あのころは頭の中でしか理解できていなかったが、今では全身全霊で実感する。無数の出会いの中で抜きん出る「ご縁」もまた、自分の人生にとって意味を持つ。
ところで、最近のわたしの中で思い切りヒットしているNETFLIXの『君は天国でも美しい』という韓国ドラマ。本当に、すばらしい。早送りすることなく見てほしいと思う。コメディかと思いきや、聖者や賢者の言葉が、わかりやすく、軽やかに盛り込まれている。
毎回、何かしら、心動かされて泣いている。繰り返し見たりもしている。9話の「センター長が牧師さんに話すシーン」は、特に心を打たれ、台詞をノートにメモしたくらいだ。
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土曜日の午後は、ミューズ・クリエイションのメンバー5名と、8月のイヴェントに向けてのミーティングをした。ここ数カ月は一人で準備をしてきたが、これからは周囲の力を借りねばならない。久しぶりに友人らと意見交換をしつつ、有意義な時間。みなさんの協力を得られることになり、とても心強くうれしい。
途中、大雨になったことから、バイクで来ていたKさんは、同じエリアに住むMさんの車に便乗させてもらうことに。あとから、二人が別々に友人と待ち合わせていたお店が、偶然にも同じ店だったと聞いて、ここでもまた、小さくご縁。
翌日曜日、Kさんはバイクを取りに、お昼ごろ、再び来訪。
せっかくの機会だからと「用事がなければ、お茶でも飲んでいけば?」と招き入れた。
それからは、お茶どころかランチにスパークリングワインに……と、なんだかんだで夕方まで、夫も交えてあれこれと語り合う流れに。終盤は、恒例の「月光ライブラリ」。ご縁がある方々は、ここが気に入り、みな異口同音に「ずっといられる」と言う。故に、自由に本を読んでもらうこともある。
Kさんとは1年半前に2度ほどお会いしただけなのだが、ひとつ「お伝えしたいこと」があった。心に引っかかっていたが、余計なお世話かもしれないと、口にせずにいた。
やがて夕暮れどき。「また雨に降られたら、バイクで帰れなくなるよ」といいながら、立ち上がる。般若心経の話もしていたことから、目に止まった般若心経を読み解く文庫本を、Kさんに手渡した。
彼が受け取り、開いたそのページに、わたしの「お伝えしたいこと」の核となる一言が出てきた。その文字を見た瞬間、話さねばと思い、手短に伝えた。
このごろは、こういう偶然に対して、あまり驚かなくなった。
人間万事塞翁が馬。
雨が降らなければ、この日曜日はなかった。いい、日曜日だった。
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