●新年早々、痛ましくも残念で、釈然としないニュースを目にした。
書くか書くまいか、少々悩んだが、やはり書いておくことにした。
「インドで20代の一人旅をしていた日本人女性が、インド人男性により監禁され、集団暴行を受けた」というニュースを、年明け早々に目にした方もあるだろう。
情報が轟々と流れ落ちてゆく昨今にあっては、半月ほど前のニュースでさえ、忘れ去られてしまいがちだ。すでに「ああ、そういう記事、あったな」の程度しか、記憶されていない方もあるだろう。
しかし、若いころから旅を重ねた果てにインドに暮らすわたしにとって、それは看過できる事件ではなかった。
いくつかの通信社から配信されたニュースを要約したらしい日本のメディアのニュース(1月3日時点)はしかし、いずれも内容にばらつきがあった。正確な情報が伝わらないまま、そのニュースはあちこちで拡散されたようにも見受けられた。
「またインドでレイプ」
「ついに日本人女性が被害にあった」
「レイプ大国インド」
「インドになんて、行くもんじゃない」
といった活字を、ネット上で目にした。当然の反応であろう。しかし、思うのだ。これは、インドに行かなければすむ話でもなければ、インドにレイプ大国というレッテルを貼って終わる話でもないということを。
さらには、ご自身が、あるいは家族がインドに暮らしている場合においては、いたずらに心配や不安が煽られるばかりである。
このようなことを書くと、書き手であるわたしが、「インドに住んでいるから」とか「インド人と結婚しているから」がゆえに、「インドを庇いたいに違いない」といった短絡的な見方で捉え、その内容に偏りがあるものと判断する読み手も少なくないことを理解している。
しかし、そういう次元で物事を考えているわけではないことを、まずはご理解いただきたい。
折に触れても書いて来たことだが、わたしは「インドに好きで住んでいる」が、「インドが好きで住んでいる」わけではない。「に」と「が」の違いは、大きい。
無論、たとえインドが大好きだったとしても、この多様性に富んだ広大無辺の世界、インドをして、「好きだから」とか、「悪く言われたくないから」といった感傷的な理由で自分の考えを表現するつもりはない。特にこのような事件に関する事柄については、なるたけ客観的に状況をうかがいつつ、思うところを記したいと考える。
多分、長大な文章になると思う。長過ぎて読む気が失せる方が多数であろう。本当に読んで欲しい人には、届かないかもしれない。それでも、この件に関しては、書いておかねばならないことの一つだと思うので、書く。
しかし、文章ばかりだと書いているわたしもつまらないので、ホームページに眠っている若かりしころの旅の写真を、恥ずかしながら、引っぱり出すことにした。
デジタルカメラ以前の物が多数で、プリント写真、ポジティヴフィルムをスキャンしたものだ。それだけに、色あせている感じが、時代を感じさせるかと思う。
まず、わたし自身とインドとの関わりについてを、書こうと思う。
わたしとインドとの関わりが始まったのは、1996年、30歳のときだ。20代のバックパッカーだったころは、思うところあって、敢えてインドを外していたから、未踏の地でもあった。米国で偶然に出会い、結婚することになった男性が、インド人だった。2001年7月、 結婚式を挙げるため、夫の故郷ニューデリーを訪れたのが、初めてのインド旅だった。
そのときのインドの印象。それは、「ここには、住めない」だった。
ずっと米国に暮らすつもりだったが、結婚直後に発生した2001年の米国同時多発テロを機に、ニューヨークを離れ、夫の暮らすワシントンD.C.で共に暮らし始めた。
ワシントンD.C.での数年間、諸々の経緯を経て、米国での10年の生活にピリオドを打ち、新しい世界を体験したいとの思いが芽生えた。住めない、と思っていたはずなのに、インド移住を思い立ち、嫌がる夫を説き伏せ、結果的には移住を果たした。
インドの問題点など、住んでいれば、否応なく全身で実感する。この国を庇う理由など、特にない。それでも、住んでいる以上は、前向きに生活するための努力を惜しんではいない。
●日本の人々に伝えられたニュースは、曖昧な点が多かった
事件の話題に戻す。
1月3日に一斉に報道された時点では、日本の新聞の報道は極めて断片的で数行に亘る短いものだった。現地を訪れ、突っ込んだ取材をしているメディアは、わたしが探す限り、見当たらなかった。被害者の年齢すら不明としているものもある。いくつかの記事の要点を抜粋する。
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男5人がコルカタで旅行ガイドを装って日本語で女性に声を掛け、北部ブッダガヤの民家などに約1か月にわたって監禁したうえ、集団で暴行した疑い。男たちは女性に銃を突きつけ、現金7万6000ルピー(約14万円)を奪った
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インド東部ビハール州の警察関係者は3日、同州で20代の日本人女性を約3週間にわたって監禁し性的暴行を加えたとして、インド人の男5人を暴行容疑などで逮捕したと明らかにした
コルカタの外国人旅行者が多い地区で日本語を話す男ら3人に声をかけられ、近郊の海岸に誘われた。女性は海岸の村でわいせつな行為をされたうえ、銃を突きつけられて銀行口座から現金を引き出すよう強要され、現金7万6千ルピー(約14万円)を奪われた。さらに、女性は北部ブッダガヤ近郊に連れて行かれ、そこで地元の男2人に監禁され、性犯罪被害にあったという。警察によると、監禁された期間は2週間近いという。
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地元警察などによると、容疑者のうち日本語を話す1人が昨年11月下旬、東部コルカタで旅行ガイドを装って女性に接近。仏教の聖地ブッダガヤなどに連れて行って性的暴行を加えた上、女性の銀行口座から7万6000ルピー(約14万5000円)を引き出させて強奪した。女性はその後、12月下旬まで近くの民家で監禁され、複数の男から繰り返し暴行を受けた。男らは女性の健康状態が悪化したため、ヒンズー教の聖地バラナシ行きのバスに乗せた。女性は友人や在コルカタ日本総領事館に連絡を取り、被害を届け出たという。同総領事館は「事件の性質上、詳細は差し控えたい」とコメントしている。
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「7万6000ルピーを強奪された」という部分は共通しているにも関わらず、監禁されている期間が2週間から1カ月と幅広いことや、記事から具体的な事件の真相が伝わらないことに違和感を覚えた。
「事件の性質上、詳細は差し控えたい」と、コルカタ日本総領事館がコメントしている。確かにそれは、理解できる。しかし、どうにも釈然としない。
インドに久しく暮らしている人ならば、多分、ピンと来たことだろう。この手の事件は、なにも今に始まったことではない。似たような出来事は久しく起こり続けていることを。
いずれにせよ、この記事を読む大多数の人が、インド人はろくでもない人が多いから、女性が一人でインドなど行くものではない、という印象を受けることは間違いないだろうと感じだ。
現に、わたしの身の回りでも予想通りの反応が上がっていた。テロが発生した時と似たような内容だ。たとえばインド在住のFacebook友人のウォールにも、「インドって、やっぱり怖いね」とか「大丈夫?」といったコメントが散見された。
駐在員夫人の中にも、日本のご家族から「大丈夫なの?」「一人で外を出歩いちゃだめよ!」といった電話を受けた人たちもいる。
こういう状況は、インドで働く人々やその家族にとっても好ましくないニュースであるのはもちろん、これから旅をしようという人にとっても、不安の種である。
いったい、何が問題なのか。
もちろん、日本人女性を鴨にして、金を巻き上げ、暴行する当該のインド人男性が一番の問題である。しかし、その点を責め立てたところで、我々が即座に問題解決できる術はない。現状、「お手上げ状態」だ。
ここで考えねばならないのは、これは不可避な事件だったのか、それとも避けることができたのか、という点だ。
ニューヨークで、ワシントンD.C.で、そしてムンバイで、テロを身近に経験して来て思う。テロの被害に遭わないよう気をつけるのは無理だ、ということを。
テロリストとは、テロが起こらないようなところでテロを起こすのであって、だから「気をつけようがない」のである。突発的な誘拐や拉致を、防ぐことができないのと同じように。危険地帯に住んでいるなら予測もつくだろうが、先日のパリでのテロにしても、気をつけようがなかったはずだ。
一方、交通事故などについては、ある程度、気をつけられる。盗難についても、物を盗まれないように、気をつけることはできるだろう。しかし、テロは気をつけられない。
では、今回の事件はどうだったのか。
もしも被害者が、インドの観光地における、日本人女性をだます輩たちの存在を知っていれば、事件に巻き込まれることはなかったのではないかと思うのだ。すでに彼らの存在は、日本で発行されている旅行ガイドブックにも記されているし、ネット上でも多く書かれていることだ。それでも、同じ手口でだまされる人が後をたたない。
だからこそ、次なる被害者が出て欲しくないとの思いから、敢えて、書いている。それが、このくどいレポートの主旨だ。
●わたし自身の旅のこと。旅する歳月は20歳のときに始まった。
今回の事件についてを、更に触れる前に、再び個人的なことを記す。自分の体験を以て、切実に綴っているということを、理解してもらいたいからだ。
わたしの初めての海外渡航は1985年。20歳のときだった。1カ月間、アメリカ合衆国のロサンゼルス郊外にホームステイした。1ドル約280円。インターネットもなく情報もまだ薄かった時代。ゆえに、生身で体験した米国でのカルチャーショックは、筆舌に尽くし難いものだった。
バブル経済初期の女子大生。サザンオールスターズの「ミス・ブランニュー・デイ」の歌詞とメロディーが、街に似合った。無論わたし個人は「バブル」からはほど遠く、「割とよくあるタイプ」ではない、地味な大学生活を送っていた。いろいろ考えていたつもりだが、今にして思えば、概ね、阿呆だった。
それまで、他の選択肢すら思い浮かばず思いも馳せず、「地元の福岡で高校の国語教師になるのが夢」だったわたしの未来は、米国での1カ月間で塗り替えられた。
大陸での1カ月を通して、物事を見る、尺度が変わった。日本でのスタンダードは、世界のスタンダードではない。囚われの無意味さを知り、未知なる世界への好奇心だけが募った。
進路変更をしたわたしは、東京で働くことだけは決めていたものの、就職先も決まらぬまま卒業式を迎えた。アルバイトでもしながら仕事を探そうと思っていたのだ。それを見かねた教授が友人を介して、東京の編集プロダクションを紹介してくれた。
大手旅行会社が発行する海外旅行ガイドブックを発行するその編集プロダクションで、2年半、編集者として働いた。更にその後、やはり海外旅行の情報誌を作る小さな広告代理店に勤務し、公私ともに海外旅行を重ねた。
(Cota Belut, Borneo, Malaysia, 1990)
27歳でフリーランスになったときには、1年に3カ月間の休みをとり、それ以外は休みなく働くと決め、それを実行した。28歳のときには、3カ月間、欧州を列車で放浪した。
29歳のときは3カ月間、英国で語学留学をした。そして30歳のとき1年間の語学留学のつもりでニューヨークに渡り、そのまま米国に住み着いて、現在に至る。
30を超える国を旅し、取材をし、何百もの街に身を置き、地を這うように、異郷を歩いた。あるときは列車に揺られながら、あるときは、車でドライヴしながら、見知らぬ土地を訪ねた。取り憑かれたように旅をした日々の思い出は尽きず、今のわたしの人生はまさに、それらの旅の延長線上にある。
旅をすることの有意義を肌身に感じているだけに、「危険だから」という理由で、旅する機会を損なうのは、あまりにも惜しいと思う。世界を見ることは、視野を広げる一方、自分を見つめ直す契機ともなる。
孤独になれるのもまた、一人旅のすばらしさだ。
旅にはリスクがつきまとう。それを面倒だとせず、回避する努力をしてあまりある、旅には魅力があると思う。しかし中には、日本での生活の感覚をそのままに、緊張感なく異国の地へと赴き、危険な目に遭っている人は、少なくない。
かくいうわたしも、危険な目に遭ったことが、ないわけではなかった。
●もっとも危険な目に遭ったのは、安全そうな場所だった。
数多くの旅を通して、果たしてわたしは旅のエキスパートになったのか。それは、「否」だ。いつのときも、旅には適度な緊張感が必要だ。
危険な目に遭ってからというもの、敢えて、自分が旅慣れたと思わない努力をしてきた。なぜなら、旅慣れたと思ったときに、思いもよらない危険な状況に直面して来たからだ。
旅先で、不安に晒されることは多々ある。しかし、実際に際どい目に遭って来たことは、幸い、多くはない。ニューヨークに住んでいたころ、1度、MACY'Sで財布を盗まれ、1度、郊外のファストフード店でハンドバッグを盗まれた。それはそれで、たいへんな衝撃だったが、命に別状はない程度の出来事だったので、その詳細については割愛する。
北京から36時間、商人たちとともに列車に揺られてモンゴルのウランバートルへ赴いた時も、上海、無錫、蘇州と、中国を一人で旅した時も、そして欧州を3カ月ひとりきりで放浪したときも、決して遭遇しなかった危険な目に、比較的安全だと思われる場所で2度、あった。
ニュージーランドと、英国だ。
(Queenstown,New Zealand, 1991)
まず、ニュージーランド。
26歳のとき、旅行誌の仕事でニュージーランドを取材したときのこと。翌朝の帰国を控え、オークランドの空港近くにホテルを取っていた。夜、滞在中に見る機会のなかった南十字星を見に行こうと、カメラマンの男性と二人でホテルから数百メートルの広場へ歩いた。
その帰り道、大通りの歩道を歩いていたときのことだ。後ろから、一人の青年が、お金を出せ、と声をかけてきた。最初は無視していたが、ふと、十数メートル背後に男性がもう一人いるのに気づいた。さらには大通りの反対側にも2人の男性が我々を見ていることに気づいた。4人の男達が、こちらを狙っている。
まずい。
と思ったが、カメラマンは他の3人の男性のことに気づいていない。ホテルは大通りから左折し、ひと気のない暗い道を100メートルほど歩いた先にある。その間に4人に捕まったら、お金を取られるだけですむかどうかもわからない。鼓動が高まりつつも、逃げるしかないと思った。
左折する瞬間に、カメラマンの肩を叩き、「走って!」と叫んだ。カメラマンも瞬時に事情を察したのか、弾かれたように走り出した。同時に、4人の男たちも一気に追いかけて来た。
あのときは、多分、人生最速で走ったと思う。ちょうどホテルの灯りが見えたところで、彼らはわたしたちに追いついたが、当然そこで何かをされるわけでもなく、彼らは引き返した。
その日はかなりの興奮状態で、しかし翌朝の早い便で帰らねばならず、すぐに部屋に戻ったが、翌朝ホテルをチェックアウトする際に報告したところ、空港にポリスが来て、事情聴取をされた経緯がある。
夜、人気のないところを、たとえ男性と一緒であれ、歩いてはいけない。なにしろ、日本人は狙われやすいのだということを、忘れていた。あのときは、ダッシュで振り切れたが、今のわたしには、無理である。途中で足がもつれて、転ぶだろう。何を奪われなくても、足腰を痛めてしまうに違いない。
バンジージャンプをやって、調子に乗っている場合じゃなかったと、つくづく思う。
そして、もう一つの出来事。
今でも「なぜ、おかしいと思わなかったのか?」と自問せずにはいられない。あとから思えば、本当に恐ろしいことだった。
それは29歳のとき。3カ月間の語学留学のために英国南部の海辺の街へ赴くべく、ロンドンのヴィクトリア駅でのことだ。
空港から駅に到着し、スーツケースを携えたわたしは、その広大なターミナル駅で、行き先表示板を見上げながら、目的の列車を探していた。しかし、便数が多いので、すぐには見つからない。と、わたしの傍らに、駅員が立っているのに気づいた。制服、制帽を身に着けた白髪まじりの初老の男性が、ペンを片手にメモ帳に書き込みを入れている。彼に、どの改札でどの切符を買えばいいのか、尋ねた。
と、彼曰く、
「先ほど事故があり、そのラインは臨時運休しているので、次の駅までわたしが乗客を送り届けています」
わたしは、露ほども彼を疑わず、彼がスーツケースを引っ張って行ってくれるのについていった。バンのような数人乗りの車を想像していたが、それは普通の自家用車だった。その時点で、おかしいと気づくべきなのだ。にもかかわらず、制服を着ている彼が駅員であると信じ、しかも自分から声をかけたという点においても、不信に思う理由はなかった。
しかし、あとから考えれば、スーツケースをもってうろうろとしている日本人女性であるところのわたしは格好の鴨であった。彼は自ら近づいてきて、わたしに存在をアピールしていたのだ。
車中、彼は自分たち夫婦が日本が好きで、旅行へいったときのことを話した。わたしが英語の勉強に来たのだというと、がんばりなさいと励ましてさえくれた。本当に「いいおじさん」だった。
そして、とある駅でわたしをおろした彼は、切符代のかわりとしてお金を要求して来た。わたしは、換金したばかりですぐさま価値がわからず、言われるがままに(!)支払った。
支払い、彼が立ち去った瞬間に、まるで魔法が解けたように、ふと我に返った。ちょっと待って、おかしい!
よくよく換算してみると、多過ぎではないか。確か1万円ほど払った記憶がある。慌てて、駅の窓口に行き、便の確認をしたところ、「そんな事故はなかった」という。
旅行ガイドブックを編集し、記事を書き、旅慣れていたはずのわたしが、まんまと、騙された。あとになると、「なぜ?」と思うのだが、旅先では正常な判断力が鈍る場合もある。それが恐ろしい。
当時はあまり知られていなかったが、日本人旅行者が多く利用する欧州の代表的な駅では、彼のように「駅員になりすます」ケースは、その後、かなり知られるところとなったようだ。車に乗せないまでも、駅で切符を買ってあげましょうと近寄って来た人にお金をだまし取られるケースもあるという。
あのおじさんが、「そこそこに悪い人」だったから、1万円程度の損失で救われたものの、「ものすごく悪い人」だったら、もう彼の車に乗った時点でアウトだ。どこかのアジトに連れて行かれて、売られてしまうことだって、あったかもしれない。
そんな経験をしているからこそ、騙される人の心理はわかる。わかるからこそ、気をつけて欲しいと思うのである。
●日本語で親しげに話して来る男達と、最初は親しくなった。
再び、事件の話に戻す。
事件の直後に日本で流れたニュースでは、ことの詳細がよくわからないということについては、記した。
しかしその後、ニューヨークタイムズ紙がこの事件を取り上げているのを見つけた。更には夫が有料購読しているウォールストリート・ジャーナルが、少なくとも3回に亘ってこの事件を取り上げ、詳細をレポートしていることを知った。
両紙とも、この件をきちんと取材しており、被害者の年齢はもちろん、逮捕された犯人の名前、取材した現地警察の担当者の名前、また犯人の家族の名前なども明記した上での「著名原稿」である。
これらを新聞記事を読んだことが、このレポートを記そうと考えた契機となった。
まず、ニューヨークタイムズ。こちらの記事は、誰もがアクセスできるので、下にリンクをはっておく。
英文を読める方には、ぜひこちらを読んでいただければと思う。
■Indian Rape Case Echoes Claims of Tourists as Prey (←Click!)
●ニューヨークタイムズによれば、まずは「友情を育んで」いた。
まず、1月4日付けのニューヨークタイムズの記事から、要点を書き出してみる。
「この話は、コルカタを訪れる外国人バックパッカーのたまり場、サダール・ストリートから始まった。その22歳の日本人女性も、その一人だった。彼女は、自分の新しいインド人の知人が、流暢な日本語を話すことに驚いた。(中略) 彼女は1カ月後、コルカタに戻った際に警察の被害届に、ブロークン・イングリッシュでこう書いた」
“We made friendlyship, eating together, and talked about each future,”
(わたしたちは、友情を築いた。共に食事をし、それぞれの将来を語り合った)
“Then he introduced me to his friend. I made friendliship with him also.”
(その後、彼はわたしに自分の友人を紹介した。わたしはその彼とも友情を築いた)
friendshipを、敢えて彼女が表記した、friendlyship、friendlishipと、スペルミスのままにしてあるところを見ても、これは信憑性のあるレポートだと思われる。
この男は、彼女のATMカードを使って現金を引き出させ、その後、自分と友人らと共に旅をすることを強要し、彼らとセックスをするよう強要したと書かれている。
このレポートに基づき、警察は、5人の男を窃盗、軟禁、誘拐、レイプの疑いで逮捕した。なお、レイプの疑いで逮捕されたのは5人のうち2人である。被告人は、「彼女は自分の意思で自分たちについて来た。彼女がコルカタに戻る際には、我々からお金さえ借りた」と主張し、容疑を否認しているという。
コルカタ警察によると、地元ではnaïve(無経験な/世間知らず)の旅行者を相手に、最終的には金銭的に価値ある物を奪うために、 親しげに近寄って行く旅行ガイドが後を絶たないようである。
ブッダガヤの旅行代理店で働くサテーシュ・シン氏によると、「彼らはとても親しげに、とても甘い声で話しかけます」「彼らは旅行者を罠にはめます。最初はお金を要求しないんです」。ワインなどの飲み物を勧めつつ、徐々に騙してゆくという。シン氏曰く、性的暴行を含むこの手の犯罪は後をたたないという。
しかし、事件として警察にレポートする人は少なく、そのまま泣き寝入りをして帰国する人が多数だという。
(注:このような事件が起こっていることは、インドの旅行事情をよく知る人の間では周知の事実である)
この男、サジード・カーンも例に漏れず、彼女に旅行ガイドとして近づいた。流暢な日本語で声をかけ、とてもやさしく接する。その後、彼らは彼女を仏教の聖地であるところのブッダガヤを案内するということで、そこからほど近い彼らの村へと案内する。
サジートと弟のジャヴェドは二人ともツアーガイドをしている。ブッダガヤから10マイルのタロと呼ばれる村で、ジャヴェドは3回だてのその自宅を外国人向けの民宿としており、ジープや5台のバイク、1台のトラクターを所有している、とある。
タロの村役場のヴィノード・パスワンによると、被害に遭った日本人女性は、他の旅行者に比べて長く、10日から12日ほど滞在していたという。しかし、彼女が自分の意思でそこにいたのかどうかを判断するのは難しい、と電話取材に答えているという。しかしながら、ジャヴェドが、その日本人女性とセックスをしたということを誇らしげに話していたことは、間違いないらしい。
なお彼女は2枚のデビットカードから約50,000ルピーを引き出すよう強要されたという。
コルカタ警察によると、彼女はタロ村を離れたあと、ヴァラナシを旅していた時に日本からの旅行者と会い(多分、被害届を出すように促されたのであろう)、その後、コルカタに戻って日本領事館に事件を報告、その後警察へレポートされるに至ったようである。
事件後の日曜日、村にメディアのレポーターたちが集まる中、家族らは容疑を否認し続けた。
ジャヴェドの妻は、「彼女(被害者の日本人女性)は滞在中、わたしと一緒に寝ていて、夫は別の部屋で寝ていた」と訴えた。
「僕は、彼女が滞在中、村で何度も見かけた。彼ら兄弟が逮捕されるなど信じられない」という村人。「ジャヴェドが外国人女性をレイプするなんて、信じるのが難しい」という隣人ら。
「いずれにせよ、わたしたちには、彼女が強制的にこの村に拘留されていたのか、自分の意思だったか、知る術はない」と語る。
●計6人の犯人のうち、2人の奥さんは「日本人女性」である。
その後のウォールストリート・ジャーナルの記事で、5人に加え、更にもう1人が容疑者として逮捕されたとのことである。犯人らと被害者を車に乗せて運んだとされている。
6人の犯人のうちの一人であるシャヒード・イクバルは、「ジャパニーズ・シャヒード」の異名を持っている。ニューヨークタイムズには書かれていなかったが、ウォールストリート・ジャーナルの記事によれば、彼の奥さんは日本人で、2人の子供がいる。
さらに別の容疑者、ワシム・カーンは、逮捕歴があった。インドでは、春の訪れを祝って色粉を掛け合う「ホーリー」という祭りがあることは、ご存知の方も多いだろう。そのホーリーの粉、数十円相当のものを、日本人旅行者に30,000ルピーで売りつけた、というのが、その理由である。
どこからどうみても、安っぽいその粉を56,000円で買う日本人がいたことにも驚きを禁じ得ないが、だまされた経験がある身としては、批判的なことを言える立場ではない。
なお、ニューヨークタイムズの同記事の最後には、2010年に、3人の男が25歳の日本人女性をブッダガヤにて集団暴行した事件についても言及している。また、昨年5月には、キクチ・シンジという日本人男性が、コルカタで親しくなり、ブッダガヤに連れて行かれ、クレジットカードで350,000ルピー、65万円を引き出されたとの事件があったようである。
これだけを書けば、旅行者である日本人が、何にどう気をつければいいのか、お察しいただけるかと思う。
●日本人旅行者が一番だよ。だって彼ら、本当にバカだから。
さて、前述の通り、ウォールストリート・ジャーナルも、わたしが知る限りにおいて3度、この件に関する記事が見られた。中には非常に腹立たしい思いに駆り立てられる記述も見られるが、こういう世界があるのも、事実だ。
ここ数年、インドにおける女性一人旅の外国人旅行者が、犯罪の被害に遭うケースが増えている。2013年には、イギリス人女性が、ホテルの従業員からの性的暴行から逃れるため、ホテルの窓から飛び降りたケースがあった。
ウォールストリート・ジャーナルの記事によると、日本人の妻を持つシャヒード・イクバルは、2003年にも日本人男性旅行者から、列車のチケットを購入してやると言って2万ルピーをだまし取ったとして逮捕されている。
現地の警察は、他の日本人被害者に関しての調査を続けている、とのことである。
なお、ウォールストリートによると、最初に声をかけたサジード・カーンは32歳、弟のジャヴェド・カーンは25歳だとのこと。また、ATMから引き出すよう言われた金額は76,000ルピーだと記されている。
参考までに、逮捕された人々の名前を列記しておく。
・サジード・カーン(最初にコルカタで声をかけた男)
・ジャヴェド・カーン(サジードの弟。レイプ容疑で逮捕)
・シャヒード・イクバル(日本人の妻子あり。過去にも逮捕歴あり)
・ワシム・カーン(ホーリーの色粉を3万ルピーで売った男)
・ムハンマド・シャハブッディン・カーン(日本人の妻と、日本在住経験あり)
その後、ウォールストリート・ジャーナルは、6人目の容疑者が逮捕された旨をレポートしている。コルカタのインディアン・ミュージアムの管理人として働くムハンマド・ワシムという人物だ。
ここまで書いて、ふと思い当たり、ウォールストリート・ジャパンのサイトを確認したところ、日本語に翻訳された記事があった。さあらば、わたしが要点をまとめることもない。こちらを参照していただければ早いだろう。
■インドでカモにされる日本人旅行者(←Click!)
ただし、この文章の中で、コメントが柔らかめに訳されている箇所がある。
「日本人の旅行者が一番のカモだ。ほんとに騙されやすい」
この英文については、オリジナルを表記しておく。その方が、多分、彼らの本音が、ダイレクトに響いて来る気がする。
“Japanese tourits are the best, bacause they are so stupid”
●すでに30年ほど前から、日本人女性は、いいカモだった。
しつこいようだが、この手の事件は、今に始まったことではない。類似の事件は、わたしがインドを訪れる10年以上前から、いやもっと、数十年前から、インドに限らず、世界各国で起こって来た。ただ、泣き寝入りをする人が多く、被害届を出していないからニュースにならないだけで、ガイドブックやネットなどを読んでいれば、その危険性を察知するチャンスはいくらでもある。
インドに限らず、例えば東南アジアのビーチリゾートなどでも、日本人女性が現地の若い男性に声をかけられ、夜遊びに出かけ、肉体関係を持つというニュースは、わたしが社会人になってまもないころから、よく耳にしていた話だ。
健全そうにみえるハワイですら、である。参考までに、下の記事もご覧いただければと思う。より辛辣にストレートに、書かれている。
■ガイドブックに載らない情報:被害多きニッポン女性 (←Click!)
バブル崩壊前夜の1990年。日本人の海外旅行者(出国者数)が100万人を突破した。まだインターネット出現以前。1984年に創刊されたリクルート社の『エイビーロード』という海外旅行情報誌は、バブル時代の海外旅行にとって不可欠な情報誌であった。
経済的に余裕のあるOLたちが、短い休暇を利用して南の島へ出かけ、羽根を伸ばしすぎる由々しき話は、珍しいことではなかった。合意の上でのセックスならば、他人が口を挟むのは難しい。しかし、そこに金銭が絡んだり、第三者が介入して暴力的な性交渉、すなわち強姦されるとなると、事態は一転する。
20年ほど前には、イタリアで日本人女子大生6人が集団暴行されたという事件があったが、日本人女性のとった行動についても同時に取沙汰された。
特にインドのそれは、手口が功名であることもあり、バックパッカーの間でも多分語り継がれ、ガイドブックなどでも危険を告知する記事はいくらでもある。
にも関わらず、同じような手口にひっかかり、同じような目にあうのはなぜなのか。日本人、特に日本人女性は「いい鴨」だから、尚更、悪事働く人々をつけあがらさせる。
思えば、家田荘子の著書『イエローキャブ』をして、日本人女性は「簡単に乗れるイエローキャブ」云々の話題がメディアを騒がせ、賛否両論に分かれた時代もあった。20年ほど前の話だ。
極めての一般論だが、たとえば欧米人に比して、多くの日本人女性は、男性から全面的にやさしくされることに慣れていない。今はどうだかわからないが、少なくともわたしたちが若いころの男性は、欧米人に見られるような愛情表現をする男性は、非常に稀であった。
普段から、「もてるタイプの女子」にとっては珍しくないことかもしれないが、「もてない女子」(わたし自身も、そうだった)にとって、海外で、風貌よく感じのいい青年からやさしく声をかけられることは、非日常である。
思わず、頬が緩み、にやけてしまうのを抑えられない気持ちは、よ〜くわかる。
更には英語ができないところに流暢な日本語で話しかけられて、うれしくなって話を進める気持ちもわかる。
わかるがしかし、そこでどういう態度を取るべきなのか、やはり考えなければならない。
この際、自分のことは棚に上げて言うが、言葉もろくに通じない相手が、「運命の彼」である確率は、相当に低い。にも関わらず、関心を持って同行するからには、相手がどういう人物なのかを見極めておく必要がある。
このような趨勢を育んでしまったのは、何を隠そう我々バブル世代の女性たちだ。東南アジアのリゾートで、現地の男性たちとの肉体関係を敢えて楽しむべく、「男あさり」をしていたという話は当時は珍しくなかった。
そういう背景を踏まえた上で、旅に出て欲しいと思う。
そして今回は言及しないが、女性に限らず、男性にとっても、いくらでも危険な罠があるということを、知っておくべきだろう。インドで消息を絶っている旅人は、男女とも、多分少なくない。その手口については、これもまたガイドブックやネットなどですぐに見つけることができる。気をつけて欲しいと切に願う。
●インドに暮らすわたしたちも、日々、適度な緊張感を。
旅人たちに対してだけでなく、インドに暮らす人たちにも、注意を促したい衝動に駆られることはたびたびだ。先進国と変わらぬようなライフスタイルが見られる一方、女性蔑視、封建的な生活習慣、考え方のもとにある人たちも多数のインド。
深夜、泥酔し、タクシーに乗って帰宅するといった危険なことをしている女性たちを見るにつけ、頼むから、記憶を失うまで飲まないで欲しいと思う。露出度の高い服装で、一人でうろうろしないで欲しいと思う。
何かが起こった時には、もう、遅いのだ。
今までは大丈夫だからといって、これから先、大丈夫だとは限らない。
そして一度何かが起こったら、その時点でもう、おしまい。白紙には戻せない。
その善し悪しはさておき、階級社会、超格差社会のインドに住む以上は、その差異の何たるかをある程度は理解しておく必要がある。複数の時代が交錯しながら同時進行し、数十メートル先の路地裏に紛れ込んだだけで、日常的にタイムスリップを体験できるような国である。
たとえば使用人らとの適度な距離を保ち、ドライヴァーやメイドたちの生活に深入りしすぎないということも、意識すべきだろう。特に女性におかれては、ドライヴァーとの距離感を保つことを、この際、切に訴えたい。
ドライヴァーと親密になりすぎた結果、問題となっている女性も、見られた。
そのことが、周囲にどのような形で波及するかということについて、想像できない人も少なくないということを、この10年近いインドの生活の中で、経験した。ゆえに、この件についてはまた、注意深く記す必要があるので、別の機会にゆずる。
ともあれ、いつ? どこで? だれが? という詮索はさておいて、まずはご自身の安全についてを、考え直していただきたいと、切望する。わたし自身もまた、気を抜かないようにせねば、と改めて思っているところだ。
最後に一つ。「わたしは年だから」などといって、安心するのはやめたほうがよい。
日本人女性は若く見える。よく言えば若く見えるが、悪く言えば子供っぽい。
インド人や欧米人のティーンエージャーの態度を見ればわかるだろう。堂々としていて、大多数の、成人した日本人女性よりも、貫禄があったりする。
ちなみに悪事を働こうとしている人たちは、相手が30歳だろうが40歳だろうが50歳だろうが、お構いなしだ。先日、デリーで暴行された白人女性は確か50歳を過ぎていた。
以前、我が家の近所で起こった暴行事件。犯人は狙っていた若いお嫁さんではなく、夜、侵入する部屋を間違って、義母を暴行したことで、話題となった。頭に血が上ったおかしな輩は、相手を確認する能力さえ、ぶっ飛んでいる。
だから、「わたしはもう、おばさんだから」などと油断することなく、気をつけていただきたい次第だ。
以上、読了お疲れさまでした。