昨年の11月より、インド生活が10年目となった。先月から、海外生活20年目に突入した。そして8月には50歳になる。
この、何かと「人生の節目祭り」な今年。体調の不具合が続いていたが、ついにデング熱にまで感染してしまった。
そして、ほぼ人生初の入院生活。なぜ、ほぼ、かといえば、2歳のころに、腸捻転の疑いで病院に一日入院したことがあるらしいからだ。結果は単に「豆菓子の食べ過ぎ」だったらしいが。2歳児に、消化の悪い豆菓子を与えすぎないで欲しいものである、若かりし日の両親よ。
インドでデング熱は非常に身近な疾患だ。わたしがの友人知人の中にも、インド人に限らず、多くの日本人が罹患している。重篤な人は入院して治癒しているが、デング熱と気づかずに家で数日間、苦しみながら寝込み、病院に行ったら回復期に入っていた、という人もいる。
現在のところ、デング熱に効果のあるワクチンも、直接の治療法もないらしい。基本はひたすら水分補給をして休息する、熱や痛みを抑える薬を服用するという対症療法を取るしかないため、最初から入院せず自宅療養をする人もいるようだ。ただ、血小板の数値が落ちすぎた場合に、出血を伴う重症型のデング出血熱に発展する可能性がある。
本来であれば、高熱による激しい頭痛、筋肉や関節の痛みなどに苛まれるのが一般的で、非常に苦しむ疾患だと聞いていた。しかし、わたしの場合、幸いにもただ38℃前後の熱が続いたことによる疲労感と倦怠感程度しかなく、デング熱のイメージからはほど遠い軽症だ。
とはいえ、ニューヨーク旅行を間近に控えていることもあり、ぜひとも完治させておきたいと思い、大事を取って入院することにしたのだった。なにしろ、家にいると「静養」が非常に困難である。なにかと動かざるを得ない状況となる。ゆえに、病院に隔離された方がいいと判断したのだ。
幸い、仕事はすべて終えていて、旅までの1週間、これといった大きな予定もない。心おきなく休める。
ここでは、発症から退院に至るまでの記録を残しておく。インドに暮らす方々には、なにかしら参考になる点があるかと思うので、極めて個人的な体験による長編ではあるが、目を通していただければと思う。
◎4月28日(火)デング熱、序章。深夜の発熱。
事の起こりは先週の火曜日の夜のこと。
書斎で仕事をしていたら、翌朝に出張を控えた夫が、「ぼくのiPadのチャージャーを知らない?」と声をかけてきた。知らないというのに、自分の机をしっかり探さず「みほが間違えて片付けたに違いない」と言う。
人の机をがちゃがちゃとあけはじめるので、妻、怒る。結局は、わたしが夫の机の引き出しを探して、そこで発見。あまりにも毎度のことであるが、わたしもまた懲りず飽きず憤慨した矢先……。
なんだか、急に、頭が熱っぽくなった。無駄に怒りすぎたのか? しばらくたっても、まだ熱い。
熱を測ると100°F(37.8℃)ある。心因性の発熱か、はたまた、例のお年頃によるホルモンバランスの影響か、などと思いつつ、早めに就寝した。
◎4月29日(水)38℃前後の熱と軽い筋肉痛。ほぼ一日中休息。
そして翌日水曜日。まだ熱がある。喉の痛みや咳などはなく、吐き気や下痢などもない。ただ、頭や首回りが熱い。
ちなみにわたしは、熱を測る際、米国在住時から体温計を口に入れて測っている。米国では多分、それが一般的であった。脇の下では正確な体温を得にくいからだ。もちろん体温計は、きれいに洗ってから口中へ。
試しに脇の下で体温を測ってもみたのだが、こちらはずっと平熱。おかしなことに、首から上ばかりが熱い状況だった。
ともあれ不調の際は、わたしは可能な限り薬を飲まずに治すのが常なので、この日もひたすらココナツウォーター(1日4〜5個分)やエレクトラル(1リットル以上)など、大量の水分を摂取。そのほか、果物などを食べて凌いだ。それ以外は休養が一番と、ひたすら、寝た。
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★薬を飲まなかったこと、大量の水分を摂取していたことも、軽症の理由か。
★アスピリンや日本のロキソニンに含まれる解熱剤の成分は、デング熱の症状を悪化させる。
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この日、ROCKYは、なぜかわたしのそばを離れなかった。昼間から寝ているわたしのそばで、食事もせず、ひたすら一緒に寝るのである。
最初は、2階の寝室で寝ていたのだが、途中から台所に行き来しやすい階下のゲストルームに移動。階段の上り下りを避けるためだ。すると、ROCKYもついてくる。
たまにわたしが起き上がると、心配そうにこちらを見つめる。再びベッドに戻ると、顔のそばにやってきて、ミャオと言ったり、ペロッと顔をなめたりする。あまりのかわいらしさに、和み倒される思いだ。
ともあれ、1日寝れば、明日には間違いなく回復するだろう。翌木曜日はミューズ・クリエイションの集いを予定していたが、たまたまカルナタカ州のバンド(ストライキ)で外出を控えるべく警告が出ていたので、メンバーには危険回避のため休みにしますとの連絡を送っておいた。休むことにしておいたのは、不幸中の幸いだった。
◎4月30日(木)ROCKY、初の脱走。まだ熱はあるが起きて仕事。夜、大騒動。
木曜日の朝のこと。今年の1月に我が家に保護されて以来、ずっと庭か室内にて過ごしていたROCKYが、初めて庭を脱出した。昨今の彼の運動能力の急伸ぶりを見ていれば、軽く塀を乗り越えても不思議ではない。
NORAが一緒ならいいが、一人で帰ってくることはできるのか、非常に心配になる。
なにしろ、運動神経は間違いなくいいが、どうにもおばかさんなところは否めないからだ。
わたしはといえば、さほど高熱ではないものの、まだ38℃前後をうろうろとしている。たまに下がる。しかし今日はもう、寝てはいられない。締め切り間近の原稿を仕上げねばならないし、午後にはMOCHAの避妊手術の予約も入れている。
熱があるので、頭があまりはっきりしないが、ともあれ原稿の叩き台を書き、校正することを繰り返す。熱があるせいか、歯切れのよい文章が出てこないので、時間がかかる。途中で仮眠を取りつつ仕上げる。
午後になり、MOCHAを探しに行くが、この日に限って見当たらない。ドクターのアポイントメントに間に合わず、結局は延期してもらうことに。
夜になり、またしても雹(ひょう)混じりの大雨。猫らは帰ってこない。熱がまだ下がらず、仮眠を取る。2日も下がらないとは、どうしたことか。今月は、狂犬病ワクチン接種やら、原因不明の嘔吐やら、実に不調だ。これもまた更年期のせいなのか。由々しき。
と思ってゴロゴロしていると、夕方にはムンバイから戻るはずの夫から電話。悪天候のバンガロールに着陸できず、上空通過してチェンナイで機内待機中だという。かわいそうに。
数時間後、バンガロール空港から自宅に戻る車中の夫から連絡。さほど遅くならなくて帰ってこられたのはよかった。夕飯の準備をして待つ。
と、10時を過ぎた頃、庭で猫らの声がした。NORAはサンルームに駆け込み餌を食べ始めたが、ROCKYはいない。庭に出て、ROCKY! と呼ぶと、ミャオミャオと声がする。
暗がりで目を凝らしてみれば、隣の敷地の工事現場の詰め所の2階屋根からおりられなくなって、ひたすら鳴くばかりのROCKYの姿が!
ROCKY!
わたしの声を聞くなり、なおいっそう、声を張り上げて鳴くROCKY。が、屋根の上を右往左往するばかり。NORAは助けるでもなく、知らんぷりだ。ここまで彼を連れ回しておいて、最後の詰めが甘すぎるじゃないか。冷たいものである。
と、ROCKY、意を決したように、屋根より少し低い場所にある雨樋にジャンプ。ところが雨に濡れているせいか、そこから滑り落ち、フェンスに強打されて落下した。瞬間、ウギャ〜オウウゥ! っと叫び声が2回。
その後、何度名前を呼んでも反応がない。心臓が止まりそうだ。
ま、まさか死んだ? それとも、負傷した……?
彼を排水口で拾ってから、わずか数カ月ながらも楽しき日々が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。が、駆け巡らせている場合ではない。
塀の向こうの様子がわからず、工事現場の危ない資材が置かれている場所を連想し、最悪の事態を覚悟する。ドライヴァーのアンソニーに電話をし、至急来てもらい、わたしは動物病院の24時間窓口で対応可否を確認、その後、アンソニーとともに、懐中電灯やタオルを持参で隣の工事現場へ。
だめだ、まったく自分のデングの話にたどり着かない。話を端折る。
・工事現場にわたしは入れてもらえず、アンソニーのみ偵察へ。
・夫も帰宅前に合流、二人して探す。姿は見えないが、声は聞こえる。
・結局、我が家と隣家(空き家)の間のフェンス付近にまで戻っている様子。
・自宅へ戻り、空き家の庭へ塀を乗り越えて侵入。
・我が家と隣家の高い塀の間の10センチほどの隙間を右往左往している。
・隣家の木の塀の1枚をアンソニーがハンマーでひっぺがして、救助。
・夫が呼んでも出て来ないので、わたしが呼んで、引っ張りだす。
小雨降る中、1時間ほどのドラマ。このとき、熱はすっかり下がって平熱となっていた。
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★デング熱は数日発熱が続いたあと、一旦、平熱に戻る時間帯がある。
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◎5月1日(金)回復したかと思いきや、午後からまた発熱。夕方、病院へ
金曜の朝は熱も下がり、微熱程度。いつもより軽めにヨーグルトとバナナだけで朝食をとる。夕べの騒ぎのことをまるで忘れてしまったかのように、ROCKYが食事をするわたしの邪魔をして、ヨーグルトを食べたがる。
今後、彼が脱出した際、速やかに帰宅できるようにするためにはどうしたらよいのか、夫と話し合いつつ、塀に小さなドアを作ることにする。早速、カーペンターに電話をして相談。
と、昼近くになって、また熱が出て来た。おかしい。病院には行きたくないが、よく考えたら3日目。夫は病院に行くべきだと主張する。ふと思い当たり、松岡先生に電話をすることにした。
松岡先生とは、久しくバンガロールの在留邦人を救っていらしたドクターだ。彼女に病気のことでご相談するのは、実は10年目にして初めてのこと。
症状を説明したところ、「それ、デングだと思うよ」とのこと。大して高熱でもないし、身体も痛くないですよ、と伝えたのだが、決め手はそこではなく、咳や喉の痛み、下痢など、他の風邪のような症状がない点なのだとか。
松岡先生のそばにいらっしゃるらしき、息子さんでやはりドクターのサンカール氏も、デングの可能性が高いと仰っている様子。ともかくは血液検査をしてもらうよう勧められる。
そうと聞いたら、即病院だ。
ドライヴァーを呼ぶ間、万一のことを考えて3、4日分の入院準備。行き先は、SAGAR HOSPITALにした。SAGAR HOSPITALは以前、やはり松岡先生に勧められていて、健康診断を受けたことがあったのだ。ドクター・サンカールも運営に関わっていらっしゃるようである。
病院は、決して近代的とは言いがたく、しかし古いながらも非常に清潔で、スタッフの対応もよかったので、自宅からは1時間ほどと遠いのだが、そこに決めた。
インドの病院は、無駄に患者を引き止めて不要な検査や治療をしては、過剰な料金を取るなど、よくない噂を持つところも多い。故に、入院を勧めない人も少なくない。だからといって、病院を避けるばかりというのもナンセンスだ。
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★高熱が数日続いているのに、喉の痛みや咳、鼻水などがない場合、デングの可能性あり
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そして夜。病院のエマージェンシールームへ。症状を説明し、デング、もしくは何らかのウイルス性の熱かもしれないので血液検査をしたい旨、告げる。ベッドに横たわり採血。検査結果が出る間にも、数名のドクターが症状を確認する。なぜ何人もに尋ねられるのかはわからないが、インドだもの。
一気にセカンドオピニオン、サードオピニオンを聞けるのだと解釈する。どのドクターも、熱は38℃程度とさほど高くないし、頭痛や身体の痛み、発疹などもないから、デングではないだろう、けれど他のウイルス性疾患にかかっている可能性があるので、血液検査をする、とのこと。
約15分後に1回目の検査結果。本来13万以上、35万程度あるべき血小板の数値が12万8000と低めであることがわかった。それから更に30分ほど待ったあと、2回目の検査結果。
やはり、デング熱、であった。
ドクターは入院を勧める。が、デングには特効薬があるわけではないので、絶対に入院しなければならない、というわけでもないらしい。夫は、
「家でゆっくりした方がリラックスするよ。自宅から毎朝、近所の病院に血液検査に行けばいいし」というが、家にいるほうがリラックスできないのは、火を見るより明らかだ。
「入院します!」
と即決した。
幸い、最後の一部屋の個室が空いていたで、確保してもらう。夫はスイートルームだったら自分もゆっくり泊まれるから、スイートにしたがっていたが、幸か不幸か、満室であった。
夜、水分補給の点滴、そして抗生物質の投与、マイルドな解熱・鎮痛剤(DOLO650)を処方される。前述の通り、デング熱には治癒できる療法がない。あくまでも、熱や痛みを緩和させる対症療法だけだ。ゆえに、その痛みがあまりないのだから、薬を飲まなくてもいいとは思うのだが、最初はおとなしく、ドクターの判断に委ねることにする。
普段、あまり薬を飲まないせいか、数日前の太極拳、及び寝過ぎで筋肉痛になったとばかり思っていた背中や腰の痛みが、あっという間に緩和。久しぶりに深く熟睡した。
◎たとえ軽症でも、入院しておいて、本当によかった。
退院した今、はっきりと言えるのは「たとえ軽症でも入院しておいてよかった」ということだ。病院滞在中、ネットなどで他のデング経験者のレポートなどを読むにつけ、壮絶な闘病体験が散見され、恐ろしくなった。
高熱や関節の痛みにより、自宅のトイレで気を失ったり、立ち上がれなくなったり、というケースもある。容態はいつ急変するかわからない。そばに付き添いの人がいるのなら話しも別だろうが、一人で寝込むのは危険度が高い。
日頃から、緊急時に利用する病院を決めておき、いざというときには病院のお世話になるのが安心だ。血液のチェック、応急処置、飲食物の手配、なんにつけても、自宅では簡単にできないことが、当然ながら病院ではすぐに対応してもらえる。
病状が悪化してから病院に運ばれることのほうが、心身へのストレスは高いに違いない。
◎5月1日(金)の夜から6日(水)まで、5泊6日の入院生活。
日本でも入院したことがないので、比べようがないのだが、しかし入院とは、ちっともゆっくりできないものだ、ということが、よくわかった。
ともかく、人がひっきりなしにやってくる。これは多分、インド的なのかもしれない。ドアはあってないようなもの。せめてお掃除の人たちのノックだけは徹底してもらったが、あとはもう、関係者の出入り自由である。
入院中、退屈であった一方、さほど熟睡できなかったので、自宅へ戻った翌日は、ひたすらに寝たのだった。
入院患者に配られるトイレタリーバッグ。かわいい。これには歯ブラシ、歯磨き粉も入っていた。
こちら、わたしの入院セット。衣類などはもちろん、好みのタオルやブランケット、枕などまで持参。
コンピュータなど充電用の延長コードまでも持って来た。我ながら用意周到過ぎ。
食事のメニュー。南北インド料理ほか、焼きそば、パスタ、サンドイッチなど。いろいろあるようで、いろいろない。が、贅沢は言えない。病院だもの。
朝一番に部屋に届いたサウスインディアン・コーヒーがおいしくてうれしい。
たまたま夫がムンバイから持ち帰って来てくれたKAMAのサンプルセットをそのまま詰め込んで来た。夫の友人がKAMAに投資しているとかで、わたしに使用感を聞かせて欲しいのだとか。取りあえず、ローズウォーター、石けん、ボディオイルなどを試してみる。
朝ご飯。南インドの典型的なメニュー、イディリ。普通においしいが、あまり食は進まず。
ランチは北インドの定食。やや塩分が強くスパイシー。今後は栄養士に頼んで、別のメニューにかえてもらうことにする。
予想通り、衛生管理の行き届いた病院だ。1日最低2回の掃除。ベッドリネン類も数回、交換してくれる。
病院ファションの一例。患者は指定の寝間着を着用せねばならない。これは女子用のネグリジェ風だが、病人気分が盛り上がるので、上下にわかれたパジャマタイプに変えてもらった。だからって病人気分が盛り上がらないわけではなく……。
見るからに食欲をそそらない特注メニュー。インド料理のほかには焼きそばかパスタ、サンドイッチがあるというので、焼きそばを頼んだ。塩分や油脂を控えめに、野菜をたっぷりお願いします。オムレツがあるというので、それも添えて欲しいと頼んだのだが……。蓋をあければ、卵も一緒に炒められていた。思ったよりもおいしかったが、塩分、控えすぎて、ぼわ〜んとした味。塩梅って、難しい。
夕方になり、夫がやってきた。一緒にごはんを食べようと言う。なにゆえあなたも病院で? 僕の分も注文しておいて、などと言われるが、いやだ。結局自分は、病院内のカフェでドサを調達。食後、リラックスしている我の傍らで、スパイス臭を振りまきながら食事をするのであった。
「今日は泊まろうか?」という夫に、お願い、子供じゃないから。一人で大丈夫だから。もう帰っていいから。などと言い続けていたわたしだが、入院を通してわかったのは、そんなことを言うわたしは、インドでは「非常識だ」ということ。
インドの病院は、患者が一人で来ることはまずない。家族総出と言っても過言ではないくらい、付き添いが多い。入院ともなると、一緒に寝泊まりする。だからこそ、個室には付添人のベッドもある。
入院中、わたしが一人でいるのを見て、何人もの看護師が「どうして一人なの?」「大丈夫なの?」「ハズバンドは?」と声をかけてくれるのだ。
家族の病気よりも優先すべき仕事など、ない。仕事よりも看病が優先だ。というのが、インドのスタンダードなのだということを、肌身に感じた。
熱も痛みもないから退屈するだろうと思い、夫に本を持ってきてくれるよう頼んだが、頼めるのは英語の本だけ。読み返すつもりでベッドサイドに置いていたジュンパ・ラヒリの短編。しかし、入院中、全く、本を読む気にならず。
「書棚から、適当に日本語の本を選んで持って来て」と頼んでみたら……。
どれもこれも、読みたくない気分の本ばかり! こういうときは、軽い漫画とか雑誌とかがいいのだなあと思う。コンピュータに向かうのも疲れるし、テレビもそもそもあまり好きではない。音がうるさいし、画面が動くのを見るのは疲労感を増す。そもそも三半規管が弱いので、動きの激しい映像などが苦手。テレビなどを見る気にはならず。
従って、非常に退屈。
初日の朝食は、卵サンドを注文しておいた。スイカジュースとともに届く。なかなかにおいしいが、パンにバターが塗られすぎているのが気になる。メニューについては、毎食、栄養士が注文を聞いてくれるので、ランチに頼んだチキン&野菜のサンドイッチは、バター控えめでお願いした。すると今度はマヨネーズが多すぎた。塩梅は、難しい。
なにしろ水分補給が大切だからと、水のほかに、1日に何杯も新鮮なジュースが届く。スイートライム、スイカ、リンゴなどなど。これはパイナップルジュース。油断すると砂糖が入って来るので「シュガーフリーで」を徹底。
入院中、仕事の隙間を縫って、夫は毎日来てくれた。病院内への食事の持ち込みは禁止されているが、果物などはドクターからの許可を得ているので問題なく持ち運べた。リンゴのほか、血小板の数値を上げる効果があるらしいとされているキウイやザクロなど。
病院には2時間ほど滞在し、電話で仕事をするか、昼寝をするかして、戻って行った。夫の食事は、義姉がたくさん作っておいてくれたのを、ドライヴァーが取りに行ってくれているので問題はない。こういうとき、家族が身近にいるのはありがたい。
普段は適度な距離感を保っているデリーの義理の両親も、入院中は、毎晩、連絡をくれた。
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★血小板の数値を上げるらしいとドクターに教わったものは、キウイ、ザクロ、パパイヤの葉のジュース。パパイヤの葉のジュースは入手の難易度高く、入院中は得られなかったが、退院した日にファミリーフレンドが自宅のパパイヤの葉でジュースを作って届けてくれた。
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いろいろなサイトを見て目星をつけておいた通り、発熱から8日目にして、ようやく血小板の数値が上がり始めた。どんなに症状が軽かろうが重かろうが、誰もが同じような日数で回復に向かうというのは、不思議な気がする。
金曜の夜に入院して以来、5泊を終えた翌朝、ドクターから退院許可が出た。軽症だったとはいえ、ずっと病院に籠っていたこともあり、体力は明らかに落ちている。ゆっくり休養できたか、といえば、そうでもなかった。
なにしろ朝は5時半ごろに最初の採血が行われる。以降、検査だ掃除だ食事だと、人が間断なく出入りし、静寂は1時間と守られない。個室であってこれだから、他の患者と共同の部屋だったら、休まるどころじゃないだろう。
夜は最後の検査が12時半。つまり静寂は実質6時間である。
なお、最後の日は、デング熱の回復期に見られる発疹の症状が出て、手のひらや足にかゆみがあり、あまり寝られなかった。全身に発疹が出る人も少なくないようだから、これもまた軽症でありがたかったが、それでもちくちくとしたかゆみは不快であった。
◎手続きとは、時間がかかるものらしい。一番長かった、退院当日。
退院許可が出て、すぐに退院できるわけではない。カルテなどの情報を整理するのに数時間。それをまとめて保険会社に申請して数時間。たまたまその日、院内のシステムがトラブルを起こしたとかで(とてもインド的)、病院内の情報まとめに時間がかかったようだ。
最終的には夫がやってきて、保険会社やら保険担当者に喝を入れてくれたこともあり、気持ち、作業を優先してもらえた。退院許可が出て以来、6時間以上たった3時半ごろ、ようやく病院を離れられたのだった。
退院した翌日の木曜日は、体力回復のためにひたすら寝た。まだ血小板が通常値まで戻っていなかったこともあり、水分をひたすら摂って、寝た。
そして本日金曜日。朝、近所のクリニックに血液検査に行ったところ、通常値に戻っていた。これで一安心だ。
身体のだるさはまだ残っているが、ほぼ回復。今日はサロン・ド・ミューズもオープン。久しぶりにメンバーの面々に会えるのも楽しみだ。
そして明日は、深夜の便でニューヨークに発つ。明日は丸一日あるので、荷造りなどは明日に回す予定。いろいろと書いておきたいことは実はまだたくさんあるのだが、コンピュータに向かうと、倦怠感が募るので、このへんにしておく。
ともあれ、デング熱とはインド生活にあまりにも身近な疾患であるということを、罹ってみて一層痛感した。わたしの場合は、こんな軽症で済んだが、普通はもっと苦しむようである。ゆえに、インド在住のみなさん、どうぞくれぐれも、蚊には気をつけましょう。
二度目以降は症状が深刻になる可能性が高いとのこと、二度と罹患したくないものである。
【デング熱のポイント】
デング熱にはワクチンがなく、また治療法もない。ひたすら水分を摂取し、然るべき解熱・鎮痛剤を服用するなどして症状を緩和することしかできない。1週間から10日間で症状は治まるため、嵐が去るのを待つしかない。
デング熱を発症すると、血小板の数値が低下する。
血小板数値は平常が13万から35万程度。10万以下になると血が止まりにくくなる。5万を切ると自然に鼻血が出たり皮下出血が始まって紫色の斑点が出たりする。3万以下では腸内出血や血尿、2万以下になると生命も危険になることから、輸血が施される場合もあるという。
【坂田、病状の記録】
●Day0
深夜近くに発熱。38℃弱。
●Day1
終日、38℃前後。主に休息。軽い筋肉痛。
●Day2
38℃弱。身体はだるいが、締め切り原稿を執筆。夜は平熱に。
●Day3
朝のうちは熱も引いていたが、昼から再び38℃前後。夜、デング熱と診断され、入院。
・胸部レントゲン
・心拍数チェック
◎血小板数値:128,000
●Day4
解熱剤で微熱程度に。身体の痛みもない。
・腹部ウルトラサウンド
◎血小板数値:朝118,000。夜114,000。
●Day5
微熱。身体の痛みはない。午前中はややだるかったが、午後はほとんど平常。病院内をウォーキング。食欲もあるが病院食が辛い。
◎血小板数値:朝92,000。夜85,000。
●Day6
平熱。身体の調子もほぼ普通。 病院内を何度もウォーキング。
◎血小板数値:朝71,000。夜69,000。
●Day7
平熱。身体の調子もほぼ普通。 病院内を何度もウォーキング。
◎血小板数値:朝55,000。夜58,000。深夜64,000。
●Day8
平熱。身体の調子もほぼ普通。 退院許可。
◎血小板数値:朝61,000。
●Day10
◎血小板数値:朝155,000。
【追記あれこれ】
◎朝〜昼の蚊に注意:デング熱を発症させる蚊は、ネッタイシマカとヒトスジシマカというシマウマ柄の蚊。特に朝から昼に生息する蚊が媒介となるらしい。かといって、マラリアを媒介する蚊は夜、活動するようなので、蚊には一日中、刺されないようにするのがいいだろう。
◎発症率は2割:デング熱を保持する蚊に刺されても、8割は発症しないらしい。発症するのは免疫力が落ちているなど体力が落ちている場合に見られるようだ。
◎脱毛:わたし自身はさほどの自覚はなかったのだが、デング熱罹患数カ月後、多くの人が、大量に髪の毛が抜けるという症状に見舞われているようだ。わたしのまわりでも、数名がその症状で、それがデング熱に起因しているとわからず、非常に困惑されているケースを見てきた。
調べてみたところ、デング熱のあとに髪が抜ける症状は一般的なようである。抜けても徐々にまた新しい毛が生えてくるので、ご安心を。
2016年2月のFacebook投稿記事より転載
★バンガロール在住のみなさま★
デング熱の疑いがあると思われた際、ブリゲート・ゲイトウェイのコロンビア・エイジア病院へ行くのは、避けた方がいいと思います。ここ3年半、ミューズ・クリエイションのメンバーだけでも知る限り5名、デング熱の際、適切な時期に適切な検査、処置が受けられず、悪化されています。今日もまた似通った話を聞きました。
私の知る限りにおいて、比較的安心できるのは、コラマンガラのSAGAR、カニンガムロードに近いVICRAM、リーラ・パレス向かいのMANIPALなどです。まだ他にもあると思いますが、自分が行ったことのある病院だけお知らせします。なお、入院に際しては、かなりの額を請求されるケースがありますので、保険の適応については、あらかじめ確認しておいた方がいいと思います。
【参考資料】
■デング熱発症者の特徴は白血球と血小板の減少
感染地域に行き、高熱が続いて鼻水や咳症状がなければ疑う (←CLICK!)