デング熱を罹患した直後の米国旅行を経て、再びインドに戻って1週間余り。実に色濃い毎日だ。
猫らとの騒動については、予想外、予定外の出来事につき、ずいぶんと消耗させらている。詳細は「うさぎのアリスの猫レポート」に任せているので、ここでは触れないが、ともあれ、生き物を飼い育てることのたいへんさを、痛感している。
さて、昨日、ミューズ・クリエイションをNGOとして登録する手続きを行って来た。ミューズ・クリエイション・トラストの誕生だ。
5月下旬から6月初旬にかけては、ミューズ・クリエイションの結成3周年である。創設当初は手探りの状態で、そもそもわたし自身が、多くの日本人女性たちとうまくやっていけるのだろうか、という懸念もあった。
27歳で独立して以来、フリーランスで自分中心に生きてきた身の上。加えて日本を離れて19年。一般的な日本人の感覚を忘れて、自分では気づかないうちに、突拍子のない行動をしてしまうこともあるかもしれない。
この3年間。試行錯誤は続いているが、概ね、実り豊かに有意義で、とても楽しい日々である。のべ105名ものメンバーがミューズ・クリエイションに所属、常に45名前後が在籍し、毎週25名前後が集って活動をする。メンバーの入れ替わりが激しいなか、この状況を続けられてきたことは、すばらしいことだとつくづく思う。
こうしてグループが育ってきた以上、これからはより一層、きちんと活動に向き合いたいという風に思うようにもなった。そういう諸々を考えた時、単なる「慈善活動グループ」にしておくのではなく、NGOに登録する方がよいのではと考えたのだった。
活動の内容自体に、当面、変化はない。それならばなぜ、NGOにする必要があるのか。大きな理由は、以下の通りである。
(1) 資金管理の徹底
最初はわたしが準備金として用意した5万ルピーからスタートしたが、この3年間で、10倍近くにもなった。随時、寄付金として数々のNGOに寄付をしてきたにも関わらず、である。
これだけの大金となると、自宅の金庫の中で管理するには大きすぎる。また、使途についても、メンバーと話し合いながら、「未来に続く、種を撒くような使い方」を考えていかねばならないと思うようになった。
ミューズ・クリエイションの銀行口座を開くためには、NGOにするのが一番だと思われた。慈善団体への寄付金などは、これまでは現金、もしくはわたし個人の小切手を使用していたが、口座を開設すれば、今後はそこから支払える。
これまでも、もちろん会計管理はきちんと行い、数カ月に一度、メンバー向けに会計報告を行って来たが、それについても、よりきちんとしたフォーマットに従って管理できるものと思われる。
(2) 信頼性の構築
NGOとすることにより、遊び半分ではない、信頼性のあるグループであるという認識が得られるのではないか、と考えた。「楽しみながら、社会貢献」というコンセプトはそのままに、今までと同様のスタンスでメンバーの方々には関わっていただくつもりだが、NGOになることによって、一つのしっかりとしたバックボーンができるような気もしている。
(3) 坂田自身の覚悟
前述の通り、創設当初は、いったいどれくらいの間、続けられるだろうとの思いで始めたが、気がつけば3年が過ぎた。その間に得たさまざまな経験は、ひとりで駆け抜けて来た社会人人生とは全く異質のものであり、かけがえのないものである。
これまでは、自分の気持ちのなかで「本業(ライター、レポーター、コーディネーターなど)が最優先」と、敢えて考えてきたが、ミューズ・クリエイションは片手間に運営できるような地味な団体ではないということを改めて思い、本腰を入れて取り組もうと思うようになった。
尤も、当然ながら、いいことばかりの3年間だったわけではない。だが、厄介な出来事に遭遇したときに、「面倒くさい。もうやめた!」というわけには、もういかない。それくらいの責任を負うことは、一旦、多くの人々を巻き込んでいる以上、覚悟せねばならないとも思う。
今後は、銀行口座の開設をはじめ、会計士に依頼しての年に一度の申告など、それなりに手間がかかることにはなるだろう。
しかし、若かりしニューヨーク在住時代、Muse Publishing, Inc.という小さな出版社を起業して、自分自身の就労ヴィザのスポンサーとなり(就労ヴィザの自給自足)、経済的な危機に陥りながらも、あの街で東奔西走していたころを思えば、たいしたことではない。
この3年間、時に心揺らぐ事態があっても、気持ちを立て直してこられたのには、2つの大きな言葉がある。
ひとつは、2013年12月、チェンナイで開かれた天皇皇后両陛下ご拝謁のお茶会に招かれた際、皇后陛下からお励ましの言葉をいただいたこと。その前後に、お二人の外交に尽力されて来たお姿を動画などで数々、拝見し、強く深く感銘を受けたのだった。
もうひとつは、ガンディーが口にした、とされる言葉。これは原本が見当たらず、本当にガンディーの言葉かどうかは定かではないが、わたしにとっては、極めて大切なことばである。不本意な事態に直面した時、このことばに救われた。
自分自身の信念を貫くのは、たやすいことではない。その信念が果たして、善き方向を目指しているか、ということについても、折に触れて吟味せねばならない。この活動を通して、かつてなく多くの人と出会い、その分、自分にも向き合う機会を得てきた。有り難いことである。
「自分にしかできないこと」と、肩ひじを張ると、あまりいいことはない。
「自分だからこそ、できること」という考えで以て、しなやかに、爽やかに、続けて行きたいものである。
歴代ミューズ・クリエイションのメンバー105名のみなさんをはじめ、サポートしてくださっている方々。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
ところで昨日の、NGO (TRUST) 申請・登録の様子を、簡単にレポートしておきたい。
資料の作成にあたっては、数カ月前に弁護士から叩き台を受け取っていた。それをまずは熟読して理解せねばならない。英語の家庭教師の時間に、先生の力を借りて、読解しつつ、ミューズ・クリエイションの情報を反映させていく。
それらの資料をまとめて、弁護士に返信。代表者であるわたしと、便宜上役員となってもらった夫、そして弁護士のスケジュールを調整して、登録へ。本当は、米国旅行前の4月末前にすませておきたかったのだが、夫、弁護士の予定があわず、しまいにはわたしがデングになってしまい、昨日まで伸びてしまった。
ところが弁護士は、ついに昨日の予定も合わず、結局はオフィスのアシスタントが登場する始末。そもそも難しい登録ではないので、問題はないとはいえ、こんなことならもっと早い時期に、そのアシスタントに頼めばよかったのにと思わないでもない。
火曜日はヒンドゥー教徒にとっては厄日らしいので、このような登録に来る人は少ないだろうということだったが、それなりに来訪者あり。
アシスタント氏が、複数の窓口を行き来して必要な書類を整える。わたしたちがすることといえば、それら資料のあちこちにサインをすること、である。
と、アシスタント氏曰く、「Witness(立会人)のサインも必要だ」と言う。そんなこと、聞いていない。誰でもいいのか、と問えば、誰でもいいという。そう言いながら、周囲をきょろきょろと見回す。
いくら誰でもいいからって、見ず知らずの、その辺にいる人に声をかけるつもりなのか。いやいや、それはいくらなんでも乱暴だろう。というわけで、駐車場で待機していたドライヴァーのアンソニーを呼び出し、サインをしてもらったのだった。
非常に、インド的。
登録オフィスでの手続きは10時半に開始して正午には終了。その後、30分ほどして登録証が発行され、無事にミューズ・クリエイションはNGO、トラストとして再誕したのだった。
ひと仕事終えて、夫とランチへ。本当ならば乾杯といきたいところだが、二人とも午後は仕事である。飲んでいる場合ではない。というわけで、昨日のところは軽い食事に留めておいた。
近々、メンバーのみなさんと、3周年記念&NGO登録の祝賀ランチを実施できればと思う。
ところで、これはPIOカード。インド移住前、ワシントンD.C.に暮らしているときに取得しておいたものだ。これがわたしの、インドにおける滞在許可証である。
従来、期限は15年と長いものの更新が必要だった。また、半年に一度は海外に出るか、申請をするか、あるいは居住許可証を取得せねばならないなど、それなりに条件があった。
1年前にモディ首相が就任した直後、ニューヨークのマディソン・スクエアガーデンを貸し切り、インド系米国人で埋め尽くされたその会場で、熱の籠ったスピーチを展開した。その中で彼は、PIOカード保持者は、更新手続き不要の永住権とする、と宣言した。
その直後から、ホームページ上でもその情報が公開されており、その対応の早さには、むしろ驚かされたものだ。
そして、今回。米国から戻って空港でインドに入国する際、2つのスタンプが押されたのだった。
Registration Not Required 登録不要
VALIDITY: LIFELONG 有効期限:生涯
有効期限、生涯。このスタンプを見たとき、思わず目頭が熱くなった。
死ぬまでわたしを受け入れてくれる、という国で、わたしは自分だからこそできることを、やっていかねばな、との思いを、改めて強くしたのだった。
インド生活10年目。節目の年に、節目らしい大切なことをひとつひとつ、丁寧にやり遂げていこうと思う。
まずは金曜日のサロン・ド・ミューズ。このごろは夏休みの一時帰国の方も多く、日本へのおみやげにと、チーム布のメンバーが販売コーナーを設置。メンバー向けに商品販売を行っている。毎度のバザールでもご紹介している通り、クオリティの高い小物類があれこれと。
ちなみにわたしは、アクリル毛糸で編まれた「アクリルたわし」を購入。早速使ってみたところ、これがかなりいい! 日本では数年前から流行っているようだが、洗剤なしでこんなに落ちる物とは思わなかった。
これはエコロジカルだし、エコノミカルだし、手荒れの心配もない。かぎ針ですぐに仕上がるところも魅力だ。わたしも超久しぶりに、自分で編んでみようと思っている。この暑い中、毛糸を扱うのは微妙だが、セーターなどの対策を編むわけではない。なんとかなるだろう。
お土産の石鹸などを入れるのにもよさそうな、布袋などもたくさん。
こちらは毎週のお楽しみ、ティータイムの様子。日本へ一時帰国されていた方が多く、全国各地からのお土産がいろいろと。
わたしは「マンゴーヨーグルトムース」を作っていたのだが、ゼラチンの固まりが悪く「マンゴーヨーグルトクリーム」になってしまった。見た目的には失敗だったが、味はおいしかったのでノープロブレム。ということにしたい。
ところで日曜日は、市内のチャンセリーホテルで「音楽会」が開かれた。バンガロールの老舗合唱団、「ロイヤルエコー」のメンバーが中心となって開催されたのもので、ミューズ・クリエイションのチーム歌であるところのミューズ・クワイアも招かれた。
ロイヤルエコーのメンバーは、数名ずつでいくつかのユニットがあり、アカペラやオペラ、懐メロなども披露された。
また、チェンナイからは、約20名もの日本の方々が来訪、生バンドの演奏も賑やかに、子どもたちのダンスも愛らしく、非常に賑やかで楽しいパフォーマンスだった。
こちらはミューズ・クワイアのメンバーと、聴きに来てくれた他チームメンバーのみなさん。
今回の演目は、「ハナミズキ」と「JUPITER」の2曲。どちらも、かなり練習をして歌い込んだだけに、今までで最もすばらしい出来映えであった。
シンフォニーが編曲された「JUPITER」は、リズムを取るのが非常に難しい曲で、当初、わたしは失礼ながら、これはミューズ・クワイアでは無理なのではないか、とさえ思っていた。ところが、現メンバーのみなさんは、真剣に練習に取り組み、数カ月で見事なハーモニーを奏でるまでになった。
観客のみなさんは、身内が大勢のアットホームな雰囲気。2時間半に及ぶ音楽会は、ヴァラエティ豊かに瞬く間に時間が流れた。
音楽会のあとは、チャンセリーホテルにある日本料理店「祭」を貸し切っての親睦会。チェンナイからいらした方々ともご挨拶、今度はこちらがチェンナイへ遠征したいとさえ思えた。
この親睦会でも、各グループが歌を披露し合い、むしろお酒が入った方がノリがよくていいのではないか、との声があがるほどの盛り上がりであった。
ミューズ・クワイアは、本番ではしっとりと静かな2曲だったので、ここではゴスペル2曲を披露。事前練習もしておらず、歌うつもりもなかったので、ぶっつけ本番。もちろん、完璧に歌えたわけではないが、それでも、それはそれ。場が盛り上がれば楽しい。
いつでもどこでも歌って踊れるミューズ・クワイア。これからも瞬発力よく、いろいろなことに挑戦していければと思う。
そんな次第でNGOとなったミューズ・クリエイションを、これからもどうぞよろしくお願いします。