インド移住直後にして、このようなクリスマスパーティーに参加できたことは、とてもいい経験だったと切に思える、それは催しであった。
そもそもは先週、デリーに滞在中、アルヴィンド(夫)がインドのHDFCという金融会社(銀行/ 住宅開発銀行) に勤める遠縁の叔母に会ったのがきっかけだった。彼女はHDFCのナンバー2。現CEOであるディーパック・パレック氏とともに27年間勤めており、強い信頼関係にあるという。その彼女がアルヴィンドをパレック氏に紹介してくれたのだ。
彼女がアルヴィンドのために、24日にムンバイでパレック氏との打ち合わせを、そして翌25日にはクリスマスパーティーへの参席(夫婦同伴)を手配してくれたため、とても急ではあったが、わたしもムンバイに飛ぶことになった次第。
すでに24日、パレック氏ほか数名と打ち合わせをすませていた夫は、非常に気さくで寛容な様子のパレック氏に感銘を受けており、翌日のパーティーを楽しみにしていた。
さて、わたしがバンガロアを発つ直前になって、「明日のドレスコードはカジュアルだって。テーマはシトラスらしいから、イエローのシャツを持って来て」と、夫から電話が入った。
シトラス。柑橘系。アルヴィンドにはレモン色のシャツを持って行くとして、わたしはどうしたものか。状況によって判断しようと洋装(茶色)とサリー(赤&ゴールド)をスーツケースに詰め込んでいたが、茶色はシトラスから遠く、従って洋装は却下である。
米国からの荷物はまだ到着していない上、最低限の衣類しか持参していなかったわたしには、パーティーに着ていけそうな服と言えば黒か茶色の洋装、もしくはピンクと上記のサリーしかないのである。新しいサリーでも買いたいところだが、サリーはブラウスの縫製が必要だから、今すぐに、というわけにはいかない。
ゴールドはオレンジとレモンをかけあわせた色。赤はルビーレッドのグレープフルーツ。少々強引ではあるが、シトラスと言えなくもないだろう。持ち合わせのサリーでお茶を濁すことにした。
会場は、インド門に面したおなじみのホテル、Taj Mahal Palace。わたしのお気に入りの場所でもあるSea Loungeだという。開場は正午だと聞いていたので、30分ほど遅れて到着した。案の定、500名近くが集まるというそのパーティーの会場はまだがらんとしており、わたしたちは数番目のゲストだった。
レモン色のシャツにカーキ色のパンツをはいたパレック氏は、昨日会ったばかりのアルヴィンドを、まるでなじみの友人を迎えるような気軽さで迎えてくれた。
「君がミホだね(すでに名前を覚えてくれている)。サリーがよく似合うね! 自分で着たの? それはすばらしい! アルヴィンド、ドレスコードはカジュアルなんだよ。盛装し過ぎだよ」
念のためにと、ジャケットを着ていた夫は、ジャケットを脱ぎ、タイを外し、ホテルのスタッフに託す。
Taj Mahal Palaceで行われたパーティー。パレック氏曰く、毎年異なる場所で開催しており、Sea Loungeを使うのは今回が初めてだとのこと。毎年、屋外で開いていたが、昨年、このホテルのプールサイドでパーティーをしたおり、暑さのあまり失神した男性がいたとのことで、今年から屋内にしたのだとか。ちなみに去年のパーティー当日、ムンバイは摂氏36度にもなったという。今年は日本でいうところの「初夏」程度で、暑さは感じなかった。
まだゲストが少なかったこともあり、パレック氏の家族ときちんと挨拶をし、自己紹介をすることができたのはよかった。
パレック氏の息子、アディティヤは、アルヴィンドと同様、ボストンのMITを卒業したあとニューヨークの企業に勤務。現在はフィラデルフィアのWhartonのMBAに通っていて、卒業間際である。ニューヨークで出会った中国人女性、アレスと最近結婚したばかり。卒業後はインドに戻ってくる予定だとのこと。
妻が日本人か中国人かの違いを除いては、夫のバックグラウンドと共通点が多いこともあり、パレック氏はアルヴィンドに親しみを覚えているのかもしれない。
アディティヤとアレスもまた、フレンドリーなカップルだ。アレスとわたしは、このパーティー会場でただ二人の東アジア人だったこともあり、わたしは何度かゲストから、「あなたがアレスね!」と間違われたりもした。
海外で教育を受け、働いた経験のある若い世代に、パレック氏は期待しているのであろうか、パーティーが開場してしばらくの間、彼はアルヴィンドに「僕と一緒にいなさい。できるかぎりの人を紹介してあげるから」と言い、夫の将来に関わりのありそうな人物を次々に紹介してくれる。
シトラスがテーマということで、女性はオレンジや黄色、グリーンなどのサリーが目立った。あくまでもカジュアルということで、素材も軽めのものを着用している人が多かったが、それでもそれぞれの女性たちが身にまとう布の美しさに、目を奪われてしまう。
わたしはここ数年来、夫の会社のCEOが主催するクリスマスパーティーに毎年出席し、米国的富裕層によるゴージャスなパーティーというものを体験して来た。
おおよそ米国の人たちは非常にフレンドリーで(英語には、丁寧な表現はあるにせよ、敬語、謙譲語を使い分けなくてもよいという点において、日本語で会話するそれよりも気軽さが倍増するともいえる)、パーティーに於けるカジュアルな会話の運び方というものを心得ている人が多い。
一方、インドでのパーティーもまた、非常に気の置けないリラックスした雰囲気が漂っている。たとえば今回のパーティーでは、参加者の多くがインターナショナルなバックグラウンドを持っているため、会話に共通項が多い。
出会う人、自己紹介し合う人、みな欧米とインドを中心に、世界各地を飛び回る人ばかり。夫婦そろってキャリアを持っている人が多いから、妻同士で話をしていても退屈することがない。
そんなわけで、夫があちこちで誰かと話している間も、わたしは人と話したり、すばらしいサリーを着ている人やジュエリーを身に着けている人に近寄って行ってほめたり、カラフルな料理を味わったり、おいしいデザートを味見したりと、楽しいひとときだ。
もうすでに会場は大勢の人々であふれかえっているにもかかわらず、パレック氏はそんなわたしを見つけては、「ミホ、退屈していないかい?」「楽しんでる?」とまるで親戚のおじさんのように声をかけてくれる。サリーを着た東洋人は目にとまりやすいせいもあるだろう。
「日本にゆかりのある人物がいるんだ。ぼくに付いておいで」言いながら、人波をかきわけつつパレック氏が紹介してくれたのは、1993年から1995年の間、駐日インド大使を勤めていたプラカシュ・シャー氏とその夫人だった。
シャー氏はマレーシアの大使、国連特使(アナン氏とともにイラクへ赴任していた)を経て、現在は国際ビジネスコンサルタントとしての仕事をしているという。夫人は最近、「人間愛」をテーマにした小説を執筆したばかりで、近々出版されるとのこと。
自宅はムンバイに近い都市、プネにあるとのことだが、家に滞在することは稀で、たいてい世界のどこかを飛び回っている暮らしだという。
「家にいるよりも、このホテルに住んでいるほうがずっと長いんです」
とご夫人。どっしり(ごてごて)としたシルヴァー・ジュエリーを身につけ、まるで舞踏家のような強烈なメイクを施している。それでなくても大きい目が、太いアイラインでくっきりと隈取りされていて、正視して会話するのに少々エネルギーを要する「眼力」の持ち主だ。
とはいえ強烈に個性的なそのファッションがとても似合っていて、一度会ったら二度と忘れられない雰囲気の女性である。
シャー氏は日本を離れる直前、お別れパーティーに参加するため、神戸に赴いていた。日本を離れる予定だったその翌日、あの神戸大震災が起こり、九死に一生を得たという。
出会った人々との会話を書き連ねているときりがないので控えておくが、自分さえ「その気」になれば、いろいろな人たちとお近づきになれ、さまざまなビジネスチャンスに遭遇するきっかけをつかめるということを痛感した。
わたし自身は、これから先、何をどうしたいのか、まだまだ不透明だ。ただ、夫とはまったく異業種でありながらも、人との出会いを重ねることで、自分のやるべき、進むべきが見えてくることも大いにありそうだと感じた。
ところでキングフィッシャー(インドの大手ビール会社&航空会社)のCEO、ヴィジャイ・マーリャ氏もパーティーに参加していた。キングフィッジャービアは、我々愛飲のビールであり、キングフィッシャー航空は、夫が好きな「セクシーなお姉さん」がいっぱいのエアラインである。
マーリャ氏はメディアを通して見知っていた通りの、イタリアンマフィアみたいなムードを漂わせた個性炸裂のファッションであった。やや長髪に、恰幅のいい体格。背中に「炎」のような赤い刺繍が入ったデニムのジャケットを着てサングラスをかけている。
ちょうどパレック氏と話しているところだったので、ご挨拶だけでもさせていただこうと近づいた。
「あなたの会社が今、バンガロアに建設中のプロジェクト、完成を楽しみに待っています」とコメントして握手。存在感の強い、オーラ発散型の男性であった。
彼の会社は今、バンガロア中心地の広大なエリアに、一大コンプレックスを建造中だ。何年先に完成するのかは知らないが、完成すればバンガロアの「都市化」が更に加速されることになるだろう。無論、そのころわたしたちがまだバンガロアにいるかどうかは、定かではないのだけれど。
インド財界人のあふれかえる、しかしまったく気取りのない宴は数時間続いた。わたしたちは少しも持て余すことなく、結局、フライトまで時間があったこともあり、最初から最後まで、じっくりとパーティーを楽しんだ格好となった。
すべてはアルヴィンドの遠縁の叔母様、そしてパレック氏の計らいのおかげである。思いがけず、いい経験をさせてもらったと感謝。
それにしても、毎度思うことだが、人の上に立ち成功している人は数多くいるだろうけれど、周囲、ことに若い世代に対して奢った態度を見せることなく、寛大に誠実にふるまえる人物というのは、自らの偉業を誇示することなく、自ずと知られてしまうことになるのだ、ということだ。
「いいパーティーだったね」
「うん。楽しかった」
「パレック氏は、僕のこと、気に入ってくれたみたいだね」
「うん。そう思うよ。すごく、気遣いのあるすばらしい人だったね。」
「本当に」
パーティーの余韻に浸りつつ、渋滞のムンバイ市街を走り抜け、空港へと向かう。
Sea Loungeに連なる、海に面した4つのバンケットルームがすべて開放され、パーティー会場となっていた。それにしてもだ。濃くてきらびやかな顔を連続して間近に見たあと、トイレの鏡などで自分の顔を見ると、いいしれぬ衝撃があるね。あまりの淡白さに我が顔ながら驚く。薄味と言うか淡白と言うかめりはりがないというかなんというか。夫が写真を撮る際、必ず「ミホ! 目を開けて!」って言う理由がわかるね。っていうか、開けてるってば!! 「ミホ、マスカラはないの?」「つけまつげ、したら?」「整形、する?」と、今日もまた言われた。う、うるさい!!
窓の向こうにはインド門。海を望む通りには、いつものように多くの人々が行き交っている。パーティーのドレスコードは「カジュアル」とのことだったので、実際、非常にカジュアルなファッションの人々も見られた。そのせいか、肩のこらない、楽しげな雰囲気だったのかもしれない。
デリーの濃霧が影響して、冬のインドの国内線は遅れるのが最早常識だ。空港の待合室をうろうろとしていたら、何人かの人に、「あなた、今日、タージでのパーティーに参加してましたね」と声をかけられる。東洋人のサリー姿はやはり目立つようだ。
機内では映画監督の妻だという女性と隣合わせになった。そこでもまた世間話が始まる。彼女の夫はインドの超有名俳優であるシャールク・カーンの映画も何本も撮ったことがあるとのことで、
「シャールク・カーン、今度紹介してあげるわよ」
とまで言う。それはいくらなんでも、社交辞令にしたって調子がよすぎるんじゃないか。ただ飛行機の席で隣り合わせた人に会わせられたんじゃ、超多忙なシャールクが迷惑だろうに。
ちなみにシャールク・カーンっていう人は、すごいのだ。日本には該当する俳優がいないくらいの人気独占ぶりだ。
日本に於ける「ペ」人気を軽くしのぐ、持続性のある人気男優で、映画以外にも広告やらなんやらにやたらめったら露出しているから、彼の顔を見ない日はないといっても過言ではない。
クリスマスイヴの夜、彼の出演するエンターテインメントショーがデリーで開かれたのだが、ウマとロメイシュは出かけたらしい。ウマの目的はシャールク・カーンだったらしい。ウマ、密かに大ファンだったらしい。
シャールク・カーンはさておき、そんなわけで、とても書き尽くせないほどのいい経験ができたパーティー。遠出した甲斐があった、実に有意義なクリスマスであった。