●共和国記念日。ラッセルマーケットへ
今日、1月26日はインドの共和国記念日(Republic Day)。1950年の今日、共和国憲法が発布されたことを記念する日だ。米国の独立記念日、July 4thと同様、この日はインドにとって非常に重要な祝日だ。とはいえ、主にはデリーで行われるパレードが非常に華やかで盛大らしく、ここバンガロアは、町を見る限り、通常の休日と変わりのない様相を呈している。
さて、今朝はスジャータがラッセルマーケットへ行くというので、ヨガの帰りにラグヴァンと一緒に我が家へ来た。10時ごろに到着した彼らは、我が家で遅めの朝食。
アルヴィンドのリクエストにより、モハンがトマトとタマネギ入りのスクランブルエッグ的朝食を彼らに作ってくれる。すでに朝食を終えたわたしも、少々味見。これがまたおいしい。
さて、ラグヴァンはそのまま帰宅するが、わたしとスジャータは、ラッセルマーケットを一緒に訪れることにしていた。彼女行きつけの魚屋を教わる予定でいたのだ。
すでに時計は11時を回り、早朝からはほど遠いが、昼頃まではそこそこに新鮮な魚が得られるだろうとのことから、ともかくは店だけでも教わろうと思う。野菜なども買っておきたいので、モハンも誘う。
インドに来てからというもの、さまざまな野菜やフルーツをたっぷりと摂取するせいか、お腹いっぱい食べているようで太らないのがいい。
さて、まずは魚屋の並ぶ一画へ。すでに日は高く、魚介類にもハエがわんさか集まり始めていたが、それくらいのことで怯んではならぬ。スジャータのお勧めの店はNo. 4。上の写真がそれだ。
ここのおじさんは、スジャータが来ると、ハエがたかっている魚ではなく、奥のバケツから新しい魚を取り出してくれる。
「彼女はわたしの、義理の姉妹なの」
と、スジャータが紹介するのだが、おじさん、事態を把握していない。
「でも……あなたは、日本人ですよね?」
「彼女は、わたしの弟の奥さんなの」
とスジャータが言うと、目をまん丸くして驚いている。驚いたあと、そんなことなら今後はもう、いい魚をお分けしますから、ぜひともうちに来てくださいよ、No.4 、No.4ですからね、とセールスが始まる。
さて、わたしは入荷したばかりというポムフレット(Pomfret)と、太刀魚(Belt fish)を買うことにした。わたしは自分で魚を捌くので、敢えて包丁は入れてもらわず、そのまま丸ごとを買う。
頼めば、氷も(汚いけど)一緒に入れてくれる。ちなみにポムフレットは、インドでよく食べられる魚。今、調べてみたら、日本で言うところの、「マナガツオ」らしい。魚好き、といいながら、魚に詳しくないのだな、わたしは。
スジャータはマグロのような魚を買っていた。このほか、エビやカニの種類も多い。カニは海と川、どちらのもあるが、川のカニはまだ生きている。そこそこおいしいらしいので、今度試してみようと思う。
今日はすでに11時を過ぎていたので、日差しが魚を照らし始めていたし、ハエはたかっていたしで、今ひとつだったが、次回は朝一番、8時過ぎあたりに来て、ホテルやらレストランの業者たちが買い占める前に新鮮な魚を購入しようと思う。
魚を買ったあとは、野菜、果物売り場を巡る。スジャータからインドの野菜や果物の特徴などを一つ一つ教わる。地元の野菜がどういうものか、どういう野菜がおいしいのか、またどういう調理法を用いるのか。
これは非常に勉強になった。モハンと買い物に行くときは、彼の選択した素材に加え、わたしが自分の食べたい野菜を指差し、彼が念入りにチェックして買う、という状況だったが、それ以外の未知なる野菜には、まだ挑戦していなかったのだ。
市場を巡るだけでも、非常に楽しいものである。また、スジャータには市場ガイドをお願いしたいと思っている。
●一人ランチは、太刀魚の塩焼きと白飯。米実験、成功。
夫が打ち合わせに出ていて、今日は一人のランチである。さっそく捌いた太刀魚を一切れ、味見してみることにした。ただ、粗塩をふり、粗挽き胡椒をまぶしただけのものを、フライパンにオリーブオイルをたらしてこんがり焼く。
モハンは魚を捌けないので、ここはマダム自ら堂々とキッチンに入れる希有なチャンスである。彼がいつも使っている、いかにもつかいにくそうな小振りの包丁ではなく、カリフォルニアから送っていた日本的大きな包丁で、長く奇妙な魚を調理する。モハン、距離を置いて見ている。
魚を食べるのであれば、日本的白飯がほしいところだ。再び、餅米半々作戦に出る。ところでこの間、米の臭みが気になったのだが、理由がわかった。モハン、米、洗ってなかったのね。
ちなみに、日本のように、米をしっかり洗って食べる国と、そうでない国があるようだ。インドでは、米は洗わずに食べているようである。いや、それはモハンだけかもしれぬから断定はできないが。小麦粉を洗って食べないのと同じで、米も洗って養分を捨ててしまう必要はないのかもしれない。
でも、餅米関係は、米そのものの匂いがきついので、今回、洗わせていただいた。そして炊いてみたところ、こりゃ、かなりいける。永谷園の寿司太郎の助けを借りずとも、そのままで食べられる。
夕飯は、ポムフレットをまるごと、塩と胡椒をまぶし、生姜の千切りを散らして、オーブンで焼いた。焼き上がったところにしょうゆを軽くかけ、熱々のご飯と食べる。
市場で買って来ていた白菜を、チャイニーズのブラックビーンズペーストと醤油、みりんで煮浸し風にしていたのだが、それも一緒に食べる。
おいしい! 魚と白菜とごはん。もう、すっかり日本の食卓ではないか。しかし夫は今ひとつ、不満げ。米国時代、わたしたちの味覚は非常に近く、いつも同じような物をおいしいと感じていたのに、インドに来て以来、わたしたちの味覚共通点に亀裂が入り始めているのだ。この件については、また、改めて記したい。
なにはともあれ、これならもう、インドにずっと住める。食の心配は不要だと確信した一日だった。