●繁栄の影で、消されて行く無数の命。
雲一つない青空が広がっている。容赦ない太陽の光が、車窓から鋭く差し込んでくる。車には冷房をいれているものの、乾いた暑さが窓越しに伝わってくる夏日だ。
車窓からは、青空によく似合う田園風景が広がる。無数の椰子の木が立ち並ぶあたり。田植えの人々。色鮮やかなサリーが、緑の中に浮かぶ。白鷺の純白もまた、瑞々しい緑に映え、一羽、二羽と舞い飛べばまた、青と緑を行き交う様が目を奪う。
この、長閑な風景の中に、まっすぐに横たわる一本のハイウェイ。深い灰色をした新しいアスファルト。車線の白もまだくっきりと、中央分離帯に濃いピンクのブーゲンビリアが揺れる。
一時間もしないうちに、車は止まった。どうやら事故渋滞のようだ。わたしたちの前には数台の車しかなく、事故は起こったばかりの様子。救急車が到着したばかりで、けが人を運び込んで走り去るのが見える。
それでも、なかなか道路は開通しない。クマールが車を降りて様子を見に行く。彼曰く、先週も同じ場所で事故があり、3人の村人が死んだという。
「これでも、ハイウェイができて、死者は減ったんです。ここ十年の間に千人以上の村人が事故で死んで、で、ようやく政府はハイウェイを整備したんですけどね。でも、今度は旅行者が猛スピードで走って行く。それに加えて、危険な場所にUターンの標識を立てる。このUターンで、対向車線から来た車と衝突するケースが多いんですよ」
と、クマールは続ける。
2001年。結婚式のためにデリーへ行き、そのときデリーからタージマハルのあるアグラまでドライヴした。そのときの道路事情の悪さには驚いたものだ。2003年、初めてバンガロールからマイソールを旅したときも然り。
2004年の冬、再びデリーからアグラまで旅をしたときには、農民たちの悲劇を垣間みた。ただ、「インドだものね〜」と笑ってはいられない事態に触れた。「逆走するトラクター。気の抜けないドライブルート」という項に記している。
かつては狭い長閑な農道だった場所に、多くの車が乗り入れる。トラクターや牛車が走る道は、そこしかないのに、まるで彼らを邪魔扱いするかのごとく、観光客の自動車は、バスは、猛スピードですり抜けて行く。
一日に一人、事故に遭ったとしても不思議ではない。
農民たちは、警察に打開策を求める。標識の改善を求める。けれど、埒があかない。先週は3人が死んだ。今日もバイクの若者が瀕死の重体だ。泣き寝入りは御免だ。
彼らは、道路に石を並べて封鎖する。双方向の車が立ち往生。石を超えて行こうものなら、農民が襲いかかってくる。人々は、おとなしく待つ。
10分経っても、20分経っても、炎天下の中、人々は、群れ、待つ。しかし、文句を言う者はいない。耐えかねて、わたしは英語のできそうな人たちに事情を聞く。たった一人でやってきて、事態を収拾できないポリスにも、ついつい文句を言う。
だって、関係のないわたしたちが、巻き込まれる理由がよくわからない。そう思ったのだ。トイレにだって行きたいし、早く通してくれと。でもポリスは困惑顔で、「もうちょっと待ってくれ。他のポリスが来て、農民と話をつけるから」というばかり。
比較的短気なわたしはすぐに、「どうなってるのよ!」と詰め寄ってしまうが、でも、やはり、誰も文句を言ってはいない。30分が経過して、苛々が募る反面、ただ待ち続ける人たちの様子を見ていて、心が動いた。
わたしたちは「関係がない」わけじゃない。この、急速に発展するインドにやってきて、この国に暮らし、この道を走っている。それだけで、わたしたちは傍観者ではないのだ。
繁栄の影で、日常が狂わされている農民たちがいる。まだ、水牛で耕田し、牛車で藁を運び、昔ながらのやりかたで生き続けている人々の暮らしのただなかに、横たえられた道。暴走する我々。
車は日ごと、増え続ける。たいへんなスピードで増え続ける。道も、ルールも、追いつかない。そうして死ぬのは決まって弱者だ。
我が家のドライヴァー、クマールは、インド人にしては珍しく、超安全運転の男だ。無理な追い越しは決してしないし、いつも平和的なスピードで走る。この道二十年余らしいが、一度も事故を起こしたことがないという。
彼の穏やかな人となりを見ていると、それがわかる。その彼が、
「農民は悪くない。政府がしかるべき対策を講じるべきなのだ」というと、確かに。と深く頷かざるを得ない。
やがて、40分を過ぎた頃、なんらかの話がついたのか、ようやく道は開かれた。再び、滑らかに走り出す車。
マイソールとバンガロールを結ぶのは、今のところ、かつて小さな道だった、このハイウェイだけだ。そしてこの道は、農民らにとっての生命線でもある。他に、この道と平行する道がない。自動車と、ここを共有するしかない。
農村の中にぽつんと、新しくできたコーヒーチェーン店、Cafe Coffee Day。休憩に立ち寄った。町で飲むのと同じ味がするカフェラテを飲みながら、窓の外を眺める。牛車が通過する。
……。
この道だけではない。インドの主要都市からのびる多くの路上で、同じような悲劇は無数に起こっているはずだ。
昨今の好景気に有頂天になっているのは、この国の総人口の、ごくごくごく、一握り。そして、この国に進出している諸外国の企業らである。その、すでに既知なる事実をまた、反芻しながら、コーヒーを飲む。
一体誰が、このような悲劇を、解決してゆくのだろう。