夕べは夕食のころ、家に辿り着いた。思わぬ出来事で足止めを食い、安全運転のクマールゆえ、スピードを出すこともなく、つまりは4時間ほどもかかった果てに。
ひどく遠いところまで、旅をしていたような心持ちの我々。「やっぱり、家がいいねえ」などと、情けないことを言いながら、モハンの煎れてくれたお茶をすする。
このごろのわたしは、歩き足りない。歩きたい。朝、ヨガをしている。外出もしている。けれど、歩き足りない。マンハッタンでも、ワシントンDCでも、わたしはよく、歩いていた。素早い歩調で、風を切りながら歩くのが気持ちいい。
歩いているうちに、頭の中の淀みが晴れることもある。心のせせらぎの奥底にある小石に、きらりと光が当たることもある。そこから言葉が生まれることもある。
履き心地のいい靴を履いているときの、もう、どこまでも歩いて行けそうなその衝動もまた、いい。
この界隈は、歩きには不適。唯一、夜の排ガスが消えたころが歩きやすいが、しかし外を一人で歩くのは危ない。アパートメントの敷地内を、ぐるぐるぐるぐる、籠の中のネズミのように歩く。だめだ。
この件に関しては、毎日公園まで車で行って歩くと行った対策を練らねばならないだろう。心身の調和は、能動的に動きながらとるしかない。
さて、午後、食料の買い出しに、モハンとともにラッセルマーケットへ出かける。どんな場所であれ、一日一度は出歩きたい。今日は黄色いバラと、赤いガーベラを。今日のバラは大振りで生き生きと、とても美しかった。
●母の作文(その5) 3月13日
わたしの部屋から、名前のわからない大樹が見える。バルコニーに出てみると、その樹の葉の間に、小さな白い花のつぼみが出てきている。日本でいう山藤のようなかわいい花。この花がいっせいに咲き始めると、それは見事な美しさだろうなー。あと十日ほどで開いてくれるだろうか。
マイソールに行った疲れもあり、朝一番にお願いしていたアーユルベーダのマッサージの女性(ドクターの資格を持った)が来てくれる。ココナツオイルをコットンに含ませ、頭皮にすりこみ、まんべんなくマッサージを行う。
次に背中、腕、手を終えて、気のようなものを流してくれ、顔、全身も、オイルでマッサージ。至福のときが流れる。
ゆったりとした時間のなかで、今日の読書は山崎豊子の『ムッシュ・クラタ』。『晴着』『へんねし』と読み終える。満足。
午後からは近くのホテルのネイルサロンへ。お店の中は、白人のお客様が多く、ネイルなどをしてくれる女性はすべてインドの女性だろうか、皆さん小柄で、のんびりと動いている。
すっきりとした手で帰り着けば、モハン(使用人)の作る料理がテーブルに並ぶ。わたしのリクエストで日本でいう焼き飯風、いや、パエリア風の米料理。(注:バリヤニと呼ばれる炊き込みご飯で、ムスリムの料理。今日はマトンのバリヤニだった)
二日に一度は、新しいメニューが加わり、今日はベビーコーンとピーマンのチャイニーズ風の炒め物と、バランスよく大皿が並ぶ。
少々痩せて帰りたいと思っていたのだが、それはとてもむずかしいこと。料理はとてもおいしく、本当にうれしい。