停電。インドにおいて、それは日常茶飯事だ。公共の電力供給に頼っている大多数の庶民はだから、電力の喪失に慣れている。闇に慣れている。
一方、然るべき経済力のある、インド総人口に比して一握りの家庭は、自家発電機を備えている。我々のアパートメントも然りだ。
だから、電源が切り替わる瞬間に電気が落ちることがあっても、長時間の停電に見舞われることはない。ということは、以前もここに書いた通りだ。
しかし、今日は違った。闇が訪れて、1秒、2秒、3秒過ぎても、自家発電機が作動しない。1分ほど、闇のなかでじっとしていた。ノートパソコンの画面だけが、部屋の中で煌煌と光を放っている。
夫はシャワーを浴びている。モハンは夕餉の支度をしている。
モハンが蝋燭に灯をともしてテーブルに置く。わたしは窓を開いてバルコニーに出る。我が家だけではない。アパートメントコンプレックス全体が闇だ。灯りが落ちて、しかしとても涼しくなった気がする。
それにしても、自家発電機が作動しないのはどうしたことだろう……と思った瞬間、理由がわかった。昼間の光景を思い出したのだ。
今日の昼頃のことだ。書き物をしていたら、強い塗料の匂いが漂って来た。匂いの源をたどり、窓から見下ろせば銀色の男。前衛舞踊のストリートパフォーマーではない。塗装業者の男だ。
彼は素手にぞうきんを握りしめ、塗料のバケツにその手をドブンと浸しては、鉄のフェンスを拭くようにして、ペンキ塗りをしている。そのダイナミックと言うか乱暴と言うかハチャメチャな技術にあっけにとられながらも、「インドだもの」と見守っていた。
やがては仲間たちもやってきて、賑やかにペンキ塗り。彼らが塗り直しているものこそ、我がアパートメントの「自家発電機」である。皆、素手で、刷毛とペイントを手に手に、まるで猿のような身軽さで、各々の持ち場を塗っていく。
あらかじめ、表面を拭くとか、ヤスリで磨くとか、しない。いきなり、塗る。衣類はおろか、顔も手も、ペンキの色に染まっている。上の兄さんの、左のポッケには赤いペンキに、右のポッケには青いペンキに、ズボンのポッケには黄色いペンキに浸した布が入っている。
それらを取り出して、目印を塗る。
ちょうど作業が終わった頃、空は突然かきくもり、雷鳴轟き、大粒の雨が降り出した。ここ数日の日中の暑さと埃っぽさを、洗い流してくれるかのように、なんて気持ちのよい雨だろう。
が、しかし、さっき塗り終わったばかりの塗料さえ、洗い流しているのではないのかしら? と気になったが、とりあえずは大丈夫のようだ。
そう。そんなわけで、塗装業者の兄さんたちは、作業中に落としておいた電源を、多分入れ忘れたまま帰ってしまったのだ。あまりにも、インド的。あまりにも、ありがちな出来事である。
先日は、我が家の上に来た水道工事の兄さんが、水道の蛇口を締め忘れたままランチに出かけてしまって、我が家のバルコニーは水浸しになったしね。よくあること。
蝋燭の灯を頼りに、夕餉の食卓を囲む。夫は、今日のミーティングの成果を饒舌に語る。ジュンパ・ラヒリの『停電の夜に』("Interpreter of Maladies")のように、秘密を告白し合ったりはしなかったけれど、灯りのない夜は、不思議な心持ちをもたらしてくれる。
闇が、普段は眠っている部分の脳の、その働きを、刺激するみたいに。いつもとは異なる神経が覚醒する。
食べ終わった頃、突然あかりが戻り、まるで映画が唐突に終わってしまったかのような白けた空気があたりに満ちた。
だから再び電気を消して、食事が終わるまで、蝋燭の光に頼った。