■平和な土曜の午後の爆発
インド移住に先駆けて、ワシントンDCを離れ、米国大陸を横断ドライヴした果てにカリフォルニアに到着した、あれから早くも一年。
暑苦しい夏を経験せぬままに二年近くたち、ここバンガロアでも、最早ファンを使う必要もなく、朝晩は肌寒く、このまま穏やかな気候に突入することが物足りないとさえ思える。
このごろ、咄嗟に現在の暦が閃かないのは、季節の繰り返しが曖昧で、四季のメリハリがうつろなせいもあるだろう。
そんな心地よい土曜の午後。書斎(先日、ゲストルームを自分専用の書斎にした)にて、静かに読書をしていたところ、突然、外から「ボンッ! 」という爆発音が起こると同時に、白い火花が盛大に飛び散るのが見えた。
「何?!! 爆発?!!」
リヴィングルームでクリケットの試合を見ていたアルヴィンドも、「俺の城」(キッチン)で昼餉の片付けをしていたモハンも驚いて、我が書斎に駆け寄って来た。
窓から外を見る。爆発はアパートメントコンプレックス専用の、自家発電装置から発せられたと思われる。先日、停電の夜をもたらしてくれた、この自家発電装置だ。不思議と電力は落ちていないから、内的な電気系統のトラブルではなさそうだ。
四方八方からアパートメント管理のスタッフたちが数名、自家発電装置へ駆け寄って行く。金網の中に入り、なにやら調べている。ほどなくして、ひとりのスタッフが、片手に何かを持って出て来た。それを、上階の窓から見下ろしている我々に示している。
彼が手に持っているのは、リスの死骸だった。見た目は無傷の小さなリスの、そのシッポをつまんでぶらさげて、ぷらぷらさせてみせる。このあたりは、リスが多い。うっかり、触れてはいけない箇所に、触れてしまったのであろう。哀れ、リスよ。
しかしながら、あの小さなリスがどこかに触れただけで、雷のような音がするとは驚きである。気をつけてもらいたいものである。
ところで、リスとは全然関係ないが、左の写真は、ゲッコー(ヤモリ)の赤ちゃんである。人差し指サイズである。
バルコニーに出たら、チョロチョロチョロと走り出て来て、その小ささとかわいらしさに思わず撮影。こんなに小さなゲッコーを見るのは初めてだ。こんなに小さくても、ちゃんと手があり、指がある。しばらく見入った。
■晴れのちスコール、そしてバーベキュー
夕方、公園(Lal Bagh)へ出かけたことのない夫を誘って、散歩に行こうと車に乗り込む。ところがどんどん、雲行きが怪しくなり、ちょうど公園に到着したところで雨が降り始めた。仕方ない。ぐるりとゲート周辺を廻っただけで、今夜、夕食に呼ばれているスジャータとラグヴァンの家に行く。
IIS(インド科学大学)のキャンパス内は、緑がいっぱいで、バンガロア市街の喧噪が幻のようである。車の窓を少し開けて外の空気を吸う。雨に打たれた土と緑の匂いが心地よい。
デリーからラグヴァン父のヴァラダラジャン博士が来ている。妻のロティカ(やはり博士)がリサーチのため2週間ほど出張している故、最近、年老いて来た父親が一人でいるのはよくないと、ラグヴァンたちは一時呼び寄せているようだ。
ラグヴァン弟のマドヴァンもやって来て、小人数ながらもバーベキュー。我が家の家政夫モハンが一足先にやって来て、今日も下準備をしている。
話題が激変するが、そもそもわたしは、高校の国語教師を目指していた。ところが、20歳のとき、はじめて米国を訪れてホームステイをした1カ月の経験により、その目標が消えてしまった。
しかし、「学校教育」に関して、未だに強い関心がある。
日本の英語教育について、藤原氏の提言にひっかかりを覚えたことの背景には、英語を操れるインド人の優位を思う気持ちがあるからかもしれない。
月給3000ルピー(約US$80)のドライヴァー、ラヴィの小学生の息子は、学校で「英語」「ヒンディー語」、そしてローカルの言葉である「カナラ語(カンナダ語)」を学んでいる。その3つを巧みに操っているという。
「英語を話せなきゃ、外(他の地方、あるいは海外)に出て、仕事ができないからね」とラヴィ。無論、彼自身の両親は貧しく、9人兄弟だった故、きちんと学校に行かなかったようで、英語は成人してから「4クラスだけ取って、勉強した」とのこと。
月給4500ルピー(約US$100)の家政夫モハン。デリーからバスに乗って2日。ヒマラヤを望む山奥に住む、彼の小学生の娘たちも、英語を話せる。無論、子供の教育を重視しているらしきモハンが、学費の高いプライヴェートスクールに通わせているとのこと。
「下の娘の成績が、学校で一番になった」
と、うれしそうに、アルヴィンドに打ち明けていた。
わたしのインド家族の周辺人物は非常にアカデミックで、その大半が英米の大学に進んでいる。博士号を取得している人も少なくない。ヴァラダラジャン家は一家そろって研究者だし、アルヴィンドの母方のプリ家はビジネスの才覚に長けている。
しかし、誰を見ても、子供時代に「がむしゃらに勉強した」というムードがない。もちろん、それなりに勉強はしたのだろうけれど、日本でいうところの、「東大一直線」的な(古い?)、塾だの予備校だの家庭教師だのといった険しさがない。
そのあたりが気になって、今日は初めて、彼らの幼少期の勉強に対する姿勢を聞いてみたのだが、両親は勉強に対してうるさくなかったというし、本人たちも、受験前の数年間、気合いをいれて勉強しただけ、とか、試験前に慌ててやったとか、比較的のんきな回答である。
強いて言えばスジャータは「こつこつ勉強する」タイプの優等生だったらしい。
幼い頃からの周辺環境が、自ずと学ぶ姿勢を育んでいるのか。確かにそれもあろうが、インドには、それだけではない、なにか特殊な教育の秘密のようなものがあるような気がしてならない。
単に人口が多いから、という理由だけではなく、インドに優秀な人材が多いのは、なぜだろう。米国のIT業界を支えて来たのは、インドや中国などから移住して来た人々だ。
ただ、一つだけ言えるのは、我がインド家族、親戚の誰もが、例えば典型的な日本人のように「オールマイティー」ではないことだ。「一芸に長けている」とでも言おうか。
日常生活全般を、そつなくこなせる日本人とは異なり、「限られた得意なこと」以外には、まったく興味も関心も示さないし、「どうでもいい」という姿勢を貫いている。そもそもできないし。
みんなそれぞれに、「えっ?」と思うほど、純朴なところがあるし。
ラグヴァンは、一歩間違えたら浮浪者みたいなヘアスタイルとファッションだし。
そのあたりに、一つの鍵が隠されている気がする。
ああもう、全然、頭の中が整理されていないので、なんら的を射たことを書けないが、インドの教育現場から、ひょっとすると日本の英語教育やエリート養成(学問に於けるだけでない)に関するヒントのようなものが得られるのではないか、とこのごろ何となく、思うのである。
このことについては、長い目で考察していきたいと思う。今日はともかく、「覚え書き」ということで。
あ、バーベキューはおいしかった。やっぱりわたしはサツマイモをアルミホイルでくるんで焼いたのが、一番好きである。最早、鶏肉やマトンや魚などのメインをそこそこに、芋ばかり食べていた。
デザートのスジャータ特製マンゴーアイスクリームもおいしかった。アルヴィンドが調子に乗って食べていた。
■日曜の夜、『ダヴィンチ・コード』を見に行った。
「世界同時公開」から遅れること1週間余り。インドでも『ダヴィンチ・コード』が上映されている。未成年者入場禁止、映画の前後に「これはフィクションである」とのテロップをいれる、という条件のもとに、公開が可能となった。
エミさんとショーンも一緒に、ガルーダモールの上階にあるシアターへ。
先日、ニューヨークの紀伊國屋で日本語の原作の文庫本を購入して、帰りの機内で読んでいたため、内容は理解している。読んでいないと、理解できないであろうと思っていたが、やっぱり、読んでいないと理解できないと思った。
あれこれと、書きたいことがあったが、だめだ本日、情熱不足。ついては、一言。
この小説がフィクションならば、どうして実在の宗教団体の名前を使う必要があったのか。それが疑問だ。真実と虚構が入り交じっているが故に、著しい誤解を招くと思う。
オプス・デイの信者たちにしてみれば、「どうしたもんだ」という小説であり、映画であろう。