汚れた町並みをタクシーですり抜け、空港へ。正午近く、予定より40分ほど遅れてムンバイを発った飛行機はバンガロールを目指す。モンスーンの季節にも関わらず、火曜から土曜まで、毎日好天に恵まれて幸いだった。
帰りの便は、キングフィッシャーではなく、ジェットエア。夫が妻にビジネスクラスを譲ってくれたので(妻が夫にビジネスクラスを譲らせたので)、快適1時間半の空の旅であった。上空から写真撮影(左はムンバイ、右はバンガロール)をする余裕さえあった。
しかし、機内食はいまひとつだった。どうもヴェジタリアンを選んだのが敗因だったようだ。怪しげな春巻きに怪しげなダンプリング、怪しげな焼きそばの三点セット。すべてが果てしなく曖昧な味付けで、ふにゃふにゃとだらしない歯ごたえ。なにゆえに、チャイニーズ?
そんなわけで、無事、バンガロール空港に到着。思ったよりも日差しが暑くて驚く。しかし木陰に入ると涼しい。車に荷物を積み込んで、市街を走り抜け自宅へ。
建築物の多いムンバイから戻ってくると、バンガロールの緑が目にしみる。本当に、ここは木々が豊かに在り、緑いっぱいの場所だ。
「ミホ、あの木を見て! 大きいよね〜」
「ほら、あっちの木の花、ピンク色で、きれいだね〜」
「あの木、何て言う名前だろう」
バンガロール移住後、半年目にしてようやく、周囲の風景に目を走らせる余裕が生まれたのか。夫が心を込めた様子でしみじみと、車窓からの風景を眺め、木々の有様に感嘆の声をあげている。
「バンガロールにいらっしゃるのは、今回が初めて?」
と思わず突っ込みを入れる妻。
さて、帰宅後は、ランチを「食べ直し」、シャワーを浴びてリフレッシュ。睡眠不足につき昼寝でもしたいところだったが、いそいそと「お針箱」を取り出して、マダム自らお裁縫タイム。昨日のブラウスを「お直し」するのだ。
インドのサリーのブラウスは、パッツンパッツン窮屈に仕上げられるのが一般的であることは、すでに何度か記した。腕の肉やら脇腹の贅肉やらがサリーから溢れ出すさまは見苦しい。見苦しいだけでなく、着ていて苦しい。
従ってはテイラーに、「きつくしないでね」としつこく依頼した結果、相当「ゆるゆる」に仕上げられてしまった。ゆるゆる過ぎると、それはそれで、格好が悪いものだということに、着てみて気づいた。そんなわけで、脇の部分を手縫いでちくちくと縫う昼下がり。
さて、日本人会の会場は、我が家のすぐそばにあるメリディアンホテルだ。車で5分もかからない。開場は6時半で7時から会が始まるとのこと。その旨、夫に伝えたら、
「じゃあ、家を出るのは7時でいいね」
よくないよくない。いくらここはインドとはいえ、日本人の集いなんだから。
「7時から始まるってことは、7時までに入場しなきゃならないの!」
と妻が何度も言うのに、
「ねえ、どのシャツにしたらいい? このネクタイがいいかな〜」
と、7時近くになってもだらだらと準備をする夫。ああもう、毎度これだ。家政夫モハンも、玄関の戸を開けて「お見送り態勢」に入っているというのに!
開場に到着したのは7時10分くらいだったか。驚いたことに、いや、予想通り、会場は参加者で埋め尽くされており、ステージでは、すでに新役員の紹介などが始まっている。受付も「締め」を始めているところだった。こりゃびっくり。とびっくりしている場合じゃない。いそいそと、入場する。
会場には、300名ほどだろうか、たっぷりの日本人家族が集っている。時勢を反映してか、会を重ねるごとに、規模は大きくなっているとのこと。
バンケット用の円卓と椅子が用意されているものの、溢れ出している人もいて、「立ち見」状態だ。立食形式のパーティーに慣れている身としては、むしろ立っている方があちこちを歩いてまわれるし、いろいろな人と挨拶もできるしで、個人的には好きではある。
さっそくワインなどをいただき、知人友人らと挨拶を交わす。基本的には「妻ら」としか面識がなかったので、「噂に聞いていたご主人ら」に面会するのは、興味深いものである。
マダムらの中には、ジュエリーも華やかに、サリーを美しく着こなした人も多く、また、サルワールカミーズやインド的ファッションを身につけた人も多々見られ、とてもきらびやかだ。
それにしても、みなさん、サリーがよくお似合い! サリーは日本人に似合うのかしら。似合うのはわたしだけではなかったようだわ、おほほほほ。失敬。
こういっちゃなんだが、欧米人(白人)のサリー姿は、どこかしらハローウィンの仮装を彷彿とさせ、「似合わないな」と思わせられるのだが、日本人にはしっくりくるのね。ぴしっと着こなしているところも決め手かも。欧米人は、往々にして、着こなしが「はだけた感じ」だからね。
麗しきマダムらにひきかえ、しかし殿方! ポロシャツ? Tシャツ? ゴルフ帰り? バンガロールの日本人会って、奥方はともかく、殿方にとっては、カジュアルかつ気さくな集いだったのね。
いやね。出がけにアルヴィンドから、「今夜のドレスコードはなに?」と聞かれた際、「案内状には明記されていなかったけれど、半年に一度のイヴェントだから、正装でしょう」と告げ、面倒くさがる夫にスーツを着用させた次第なのだ。
案の定、ほどなくして夫がわたしに耳打ちする。
「ミホ! スーツ着てる人なんて、ほとんどいないじゃない! 赤いバーバリーのシャツ、着てくればよかった。あっちの方がファッショナブルでセクシーだったのに!」
すまなかったよ。なにしろ初めての参加だから、知らなかったのよ。
さて、役員交代の挨拶などが終わったあと、「それではお食事を……」と合図がかかったとたん、日本食の並ぶブッフェコーナー目がけて、どどどど〜っと集まる、殿方。ちょっとちょっと、みんな、どうしたと〜?!
瞬時、自分のインド結婚式披露宴を思い出した。ブッフェの蓋が一斉にカッパー〜ンと空いた途端、どどどど〜っと食べ物周辺に集まり、皿を手に手に列をなすインド人ゲストに、圧倒されたものだったが……。日本人も、こんな感じだったっけ?
「どうしてみんな、こんな大慌てなの?」
と驚くわたしに、どなたかが教えてくれたところによると、今日の料理はバンガロールの老舗(?)日本料理店である「ダリア」が提供しているらしく、肉まんなどがおいしいらしい。「数に限りがある」ため、かように人々は、大急ぎらしい。
なるほど。とあらば、日頃、日本食に飢えているわたしのような者こそが、並ばねば……、と思った矢先に、「新人の挨拶」がステージで行われるゆえ、招集がかかる。
右の写真が、挨拶をするわたしである。マイク片手に歌ってるんじゃないのよ。
料理は、食に関しては抜かりのないアルヴィンドが多めに取って来てくれた。ふふふ。上の大きな写真の中央右寄りに、列に紛れるマイハニーの姿が見えるかと思う。肉まん、おいしかった。やきそば、おいしかった。しゃぶしゃぶ、夫が「たれ」をかけ忘れていたけど、おいしかった。
一応、インド料理のブッフェも用意されていたが、日本食ほど人気を集めていなかった。が、デザートのブラックフォレストケーキ(黒い森ケーキ。インドはなにかと、黒い森ケーキが人気)が、スポンジふわふわで甘み控えめ、思いのほか、おいしかった。
そんな食べ物の話はさておき、コーラス部による合唱あり、インドデザイナーズブランドのファッションショーあり、ビンゴゲームあり(当たらなかった!)と、賑やかで楽しいひとときだった。
もしも冬までバンガロールにいるとしたら、ボリウッドダンスを猛特訓して、年末の会にて披露したいところだった。惜しかったぜ。
ちなみにファッションショーが行われたのは、Deepika Govindというブランド。デザイナーであるDeepikaさんがいらしていて、夫と3人でしばらく話をした。
デリーが拠点のブランドだとのことだが、もちろんバンガロールにも店舗がある。彼女は、現代的な意匠ながらもインドの伝統的手法を取り入れたデザインを心がけているとかで、素材は極力、インド産の生地を用いているとのこと。
彼女曰く、インド各地に無数に息づいてきた伝統的な絹製品や刺繍製品などの多くが、今、「絶滅の危機」に陥っているらしい。街角では、無数の布を目にする機会があるので、恒常的に栄えている産業なのかと思いきや、そうでもないらしい。
後継者が育たずに、消えて行く伝統工芸も少なくないらしく、彼女は嘆いていた。海外から流入してくる新しい繊維などにも、その役割を取って代わられているようだ。
そんなわけで、あちらこちらでご挨拶をし、なんだかんだといいながら、会場ががらんとなるころまで、おしゃべりをしていた。
右の写真は、マルハン写真館(我が家)にて。帰宅後、ムンバイなサリー姿で記念の一枚を撮影。ちなみにハンドバッグは、母からのお譲り。日本製のビーズ刺繍バッグだ。本当は着物用なのだけれど、サリーとの相性も、なかなかにいい感じ。
シャワーを浴び、ムンバイ土産のマンゴーを食べ、お茶を飲んで、寝た。いい一日だった。
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2005年11月、インド移住を機に始めた当ブログ。
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