「どうしよう! 今日は忙しいよ!」
日曜の朝だというのに、夫が、しかし朗らかに声を上げる。
「なにが忙しいの? 何の予定もないでしょ?」
「今日はね、ワールドカップ(サッカー)に、NBAファイナル(バスケットボール)に、カーレース(F1?)、それからフレンチオープン(テニス)があるでしょ。あと、クリケットマッチもあるしさ〜。ずっとTVから離れられないよ!」
そりゃ〜、確かにお忙しそうだ。
妻は「観る」より「動く」が好きな性分ゆえ、スポーツ観戦もさほど熱心ではない。従っては片付けをしたり、読書をしたり、写真の整理をしたりと、のんびり過ごす。
で、ふとリヴィングルームに行くと、「オースティン・パワーズ」(阿呆な映画)を観ながら、大笑いしている夫。おいおい、スポーツ観戦はどうなったんだ。
夕方は、恒例、義姉のスジャータと夫のラグヴァンがやって来て、夕食。毎度、二人は感情の起伏が緩やかでね〜。3年前、ここに書いたことを、一部引用してみよう。
スジャータとラグバン。二人して蚊の鳴くような小さい声でしゃべるし、静かだし、のんびりだし、感情を表に出さないし、ましてや喧嘩をしてるところなど見せないし、ともかく、まあ、「穏やか」なのだ。
わたしとA男(アルヴィンド)の喜怒哀楽の表現レベルが
喜=====================================
怒========================================
哀=============================
楽===================================
とすると、ラグバンとスジャータの表現レベルは
喜===
怒
哀=
楽===
といったところか。
とまあ、わざわざ引用するほどの過去でもなかったな。
当時よりも、我々も少々、大人になったゆえ、「怒」のレヴェルは「喜」を下回っていると思われる。「哀」も、このごろは減ったかな。
Anyway, そんなわけで、我々とヴァラダラジャン夫妻は対照的なカップルなのである。会話もわたしたちが主にはしゃべり、彼らが主には聞く、答える、というパターンである。
アルヴィンドは、旅から帰ると、まず、仕事の話よりも「どういう食事をしたか」を克明にレポートする。
「だから、ムンバイには何しに行ったのよ!」
と妻は突っ込みをいれたいところだが、しかしスジャータ&ラグヴァンは微笑みながら、毎度静かに聞いてくれるのである。とっても大人なのである。
そんな他愛もない前置きはさておき。
一週間前の話だが、スジャータが投稿した原稿が、インドの大手新聞であるところのThe Hinduに掲載された。上の写真がそれである。
彼女がわたしに直接、電子メールで送ってくれていたオリジナル原稿のタイトルは、"Bye Bye Bangalore"とされており、内容はもう少し堅かった。というよりは、わたしの知らない単語がたくさん使用されていて、理解するのに苦心した。
新聞記事になった原稿は、スジャータには不本意に違いないだろうが、しかし、英語に弱い人間には、かなり読みやすく手が加えられていて、ありがたかった。
これがその記事である。
バンガロールに暮らして十年以上の彼女。急激に変貌し続けるこの町を眺めながらの思うところ <バンガロールのアイデンティティとは……> が率直に綴られている。
「インドのシリコンヴァレー」だの、「リトルシンガポール」などと、今日のバンガロールは定義づけられているが、それらはあくまでも、外部からの評価であり、この町に、怒濤のように流入している外国資本や、それに伴う外国人居住者にとっての印象である。
実際のところ、「真のバンガロール」とは何なのか。バンガロールの変貌を目の当たりして来た彼女なりの困惑が伝わってくる。
そもそもの、「緑いっぱい、人々はフレンドリーで、穏やかで、のんびりとしている」からこその、この町の魅力や個性が踏みにじられている現状が、浮かび上がってくる。
いたたまれぬ思いであろう彼女の心情が読み取れる。
生涯をここで過ごすと決めているのならまだしも、わずか数年を暮らす身でありながら、我が物顔でこの町を評価している「部外者」の我々は、さまざまに反省すべき点があることに、気づかされる。
渋滞が激しいのも、建築ラッシュなのも、公害が問題なのも、過激に変貌する町のスピードに、インフラストラクチャーをはじめとする種々の事象が追いついていない故である。
地元の人々の、呑気な暮らしを、実は自分たちが侵害していることに気づかず、ときには、ここに住む人々をも見下してもいる態度だ。
この件については、軽く書ける内容ではないので、また改めてじっくりと考えて書き記したい。