米。日本の米よ。
その愛らしき、丸みを帯びた姿よ。
きらきらと、輝きながら、茶碗にふんわりと、
ミルク色の湯気たてながらまろやかに、
我が左手あたためながらやさしげに、
ああ、日本の米よ。
箸で掬えば、
米粒ら、肩を寄せ合い、
ハラハラとこぼれ落ちる
パサパサ米とはまるで異質の、
頼もしき粘り気と、
確実な噛みごたえと、
控えめで、しかしかけがえのない風味と。
一口、食べた瞬間の、安堵。
久しく絶ちてのちのそれは、
感涙さえ誘うほどの。
我が名を省みれば、
坂田……美穂。
農耕民族を象徴するかのごとく、
「坂」の下だか上だかに広がる「田」。
「美」しく、黄金色の稲「穂」揺れて。
収穫のころの、田園風景を思いつつ、
ひとくち。おかず。ふたくち。おかず。みくち、よんくち。おかず、おかず。
食欲が、確実に、満ち足りてゆく。
イタリアンがパスタを、
フレンチがバケットを、
ロシアンがピロシキを、
コリアンがキムチを、
アメリカンがコカコーラを愛すが如く、
ジャパニーズの我、故国が米を愛す。
日本米日本米と騒いでうるさい我である。詩まで詠むほどのことなのである。米国にいるときは、日系食料品店で手軽に入手できていた日本米。カリフォルニア産とはいえ、十分に心身を満たしてくれる味だった。
だから、米を喪失して、こんなにも、打撃を受けるとは思っていなかった。
「インドの料理にはインドの米が合うよ!」 「チャパティ、OK!」
と、安請け合いな態度で、いかにも順応性抜群の様子で来たけれど、移住半年目で米の重要性を痛感した。そうしてご存知の通り、このたび香港旅で、米を大量購入した。
少々面倒ではあるが、モハンに、米は二種類、炊いてもらう。夫はインド米で十分だから、無駄に消費したくないのだ。モハンの米の炊き方と言えばダイナミックで、それは、「炊く」というよりは、「茹でる」。
多めの水でガンガン茹でる。水が多すぎだと思われたら、途中で捨てる。
「赤子泣いても蓋とるな」
などと、ややこしいことはない。焦げ付くこともない。そして驚くことに、おいしい。
日本米がある、というだけで、モハンのチキンカレーも、ダルも、飽きたとはいえ、おいしく食べられる。こんなに日本の米が好きだったとは。何年異国に住もうとも、我は紛れもなく日本人である。
* * * * *
「今日のミホは、デカダン(頽廃的)だね」
夜遅く、ほろ酔い加減で友人宅より帰宅したわたしに、夫の一言である。
「朝はアーユルヴェーダのマッサージでしょ〜? 午後はボリウッドダンスを踊って、それから家で好きなことして、夜はお友達の家で夕食で、しかも酔っぱらって帰ってくるなんてね〜。楽しそうだね〜」
元気はつらつボリウッドダンスをして、デカダンはないだろう。語句の誤用かと思われるが、まあ、夫としては、このごろのわたしのゆとりある様子に、少々嬉しいようではある。それをちょっと皮肉に表現したいようである。
一方の自分は、TVを大音量で見ながら、モハンに煎れてもらったお茶を飲みながら、やはり余裕の表情で、ああ本当にインドに来てよかった、使用人がいてよかったと、実感するのである。
無論、インドに来て以来、夫を一人残して夕食に出かけるのは、これが初めてのことだ。たいていは過剰に密着行動の我々である。少々、鬱陶しくもある。しかし夫は寂しがり屋なので、仕方ないのである。
さて、その夕食であるが、日本人駐在員夫人のKさん宅に招かれて、「日本食」をごちそうになった。
ご主人が出張中につき、そして我がハニーも出張のはずだったこともあり、招いてくれたのだ。出張延期となったアルヴィンドも一緒にどうぞと誘っていただいたのだが、いやたまには置き去って行くわと、一人で出かけたのであった。
我が家にはない、日本的小さな皿に盛りつけられた、料理の数々。こういう様子を見ると、ああ、わたしも、「御飯茶碗」だけじゃなく、日本の器を用意したい、丁寧に盛りつけて客人をもてなしてもみたい、などと思ったりもするが、無理である。
「毎日が、ブッフェスタイル」
のインド的食卓で、大皿にあれこれを盛りつけ、スプーンだのフォークだの、ときには素手で以て、食事をする我が人生後半であろう。
よく冷えた白ワインをいただきつつ、上品に味付けされたおいしい料理を味わいつつ、彼女ら夫婦の出会いの話などを聞いていたところが、なんか知らぬが中高時代の恋愛話で盛り上がり、大騒ぎである。
手作り菓子、弁当、手編みセーターに刺繍入りタオル……と、「手作り品」にて、意中の男子を攻撃した我が中高時代の片思い状況を告白するなど、会話は訳のわからぬ展開に。
しかし、思い返すに、当時の我が行動は、極めて滑稽かつ不毛であった。それが青春というものか。あのころのことを、いつか書き記したいとさえ、思われる。
それにしても、Kさんとそのご主人、とても仲が良い。まるで喧嘩などなさらぬ様子が驚きであった。我々は、このごろこそ減ったものの、喧嘩が多過ぎる。しかも子供じみている。ヨガをやっているのに、なかなか「穏やか」の境地になれない。
いよいよ、反省して、大人にならんとな、と思うのである。
Kさん、ごちそうさまでした。