昨年の11月、我々はバンガロールに移住した。いきさつを改めて書けば、当時、夫は米国シリコンヴァレーに本社を置くヴェンチャーキャピタル会社に籍を置いており、その会社のインドオフィスを開く名目で、バンガロールへ移ったのだった。
その会社のCEOは、かつてインテル社でペンティアムチップを開発したヴィノド・ダムというインド人男性で、カリスマ性があり、相当に個性の強い人物だった。
彼はバンガロールのテクノロジー会社、それもスタートアップ、アーリーステージ(初期段階)の会社に絞って投資をしたいと考えていた。一応は会社の意向を汲みつつも、テクノロジー以外の分野にも興味があり、またレイトステージの会社に関心があった夫は、彼の会社の人間として、果たしてインドに行くべきか、相当に悩んでいた。
ムンバイやデリーの方にこそ、夫の望むビジネスチャンスがあり、彼の行きたい場所であった。一方、主にテクノロジー関連会社が存在するバンガロールには、彼は最初から興味がなかった。
無論わたしは、ムンバイのように汚くなく、デリーの実家から適度な距離のある、気候がいいバンガロールが第一候補だった。
さて、「理想の環境」が整うまでインド行きを待っていたら、いつチャンスが巡ってくるかわからない。そもそも去年の6月、インド行きを前提としてワシントンDCを離れ、シリコンヴァレーに移った訳で、宙ぶらりんの状態を続けるのは、わたしとしてもいやだった。
一度インドに行ってから、様子を見て転職すればいい、とわたしは考えていた。彼の経歴を鑑みるに、それはさほど難しいことではないと思われたのだ。しかし、慎重な夫は、渋りに渋っていた。
中途半端な状況で米国を離れたくない、と思う彼の気持ちは痛いほどわかったが、しかしわたしは、すでに何度も書いたことだが、「インドに行くしかない」と確信していた。
そして、ついには11月、インドの土を踏んだのだった。最初の数週間はホテルに住まい、生活の準備を整えた。自宅はすぐに決まったが、夫のオフィススペースが、なかなか決まらなかった。
会社を立ち上げて軌道に乗るまでは、ビジネスセンターの個室を借り、仕事をするつもりでいた。しかし気に入った物件が見つからないのだ。
バンガロールには、すでに多くの海外資本が進出しているわけだから、ビジネスセンターの類いも新しいものがあるに違いないと、我々は踏んでいた。ところが、さにあらず。ビジネスディレクトリで検索し、バンガロールに存在するすべてのビジネスセンターを訪れた。1軒、2軒、訪れるたびに、我々は無口になった。
中には、外観を見ただけで、脱力笑いが出て、通り過ぎることもあった。米国の、一流企業の美しいオフィスを渡り歩いてきた彼にとって、それは、悪夢のような事態であった。
「こんなラットホール(ネズミの穴)みたいなところで仕事できない!」
「ああもう、いくら急成長してるからって、インドはやっぱり、みすぼらしいインドだ!」
高級ホテルのビジネスセンターを間借りする案も出て、あちこちのホテルにも足を運んだ。それはそれは、いくつもの物件を当たったが、結局めぼしい物件は見つからなかった。
そして最終的には、自宅からほど近いカニンガムロード沿いの、老舗ビジネスセンターに決めたのだった。
あくまでも、インド基準においては「まし」なそのビジネスセンター。彼の困惑はよくわかった。わたしも、「あいた〜」と思っていた。けれどここで彼を落胆させてはならない。
「机と椅子、新しいのに変えてもらって、それからカーペットも張り替えてもらって、植物なんか置いたら、絶対、雰囲気よくなるよ!」
「ほら、この窓の方向も悪くないし、風水的にも、いいと思うよ。部屋も広いし、悪くないじゃん。お茶も配達に来てくれるし、便利便利!」
あることないこと励まして、彼の気を紛らわせたものだ。しかし、そんな薄っぺらな励ましなど、たいした効力はなく。
「もう、インドはいやだ! 米国に帰りたい!」
「僕は人生最大の間違いを冒したかもしれない!」
カニンガムロードの中心で、排気ガスにまみれながら、途方に暮れて叫ぶ夫。すっかり、悲劇のヒーローだった。
移住当初は、落胆のあまり、自宅のわたしの机を占拠し、オフィスで仕事をしていなかったのだが、やがてはあれほど厭がっていたオフィスへ行き始め、ついにはすっかり馴染んでいた。郷にいれば郷に従い始めた様子だった。いや、ネズミの穴に、目が慣れたのかもしれない。
さて、彼はインドオフィス立ち上げ準備をしつつも、自分の転職活動を同時に行っていた。かなり精力的に、あちこちを当たった結果、いくつかの会社から手応えを得た。
カリフォルニアから他のスタッフがバンガロールへ移住するのを機に、絶妙のタイミングで新しい会社に転職することができたのだった。
それが、この5月から働いている香港拠点のプライヴェートエクイティ会社である。この会社が「ムンバイかデリーにオフィスを立ち上げる」ということだったので、我々は近々、デリーに越すことになる、と予定していたのだった。
ところが、まずはファンドを立ち上げ、様子を見て拠点となる土地を決める、ということになり、当面はバンガロールで暮らすことになった。
なかなか定住場所が決まらないことに不満なわたしだが、一方の夫は、あれほど「南インドは田舎だ!」「バンガロールは渋滞がひどすぎる!」と不満ばかり言っていたくせに、最近は極めて軟化。「気候、いいし」とか「ヨガの先生、いいし」と、この地への愛着を見せはじめた。
少なくとも今年いっぱいは、バンガロールを離れないだろうとの状況になったため、わたしもこの地での仕事を始めつつあり、家具なども買いそろえて、ちょっと腰を据えた生活を始めようとしているところである。
と同時に、夫も「ネズミの穴」から脱出をしたいと考え始めた。そんなわけで、MGロード沿いのビルディングにオープンした英国資本のビジネスセンターへ、先日下見に行ったのだった。住まいやらオフィスを決めるとき、わたしは勘が働く方なので、夫は必ずわたしを同行させるのだ。
この1月にオープンしたばかりのビジネスセンター。かなり、雰囲気がいい。設備も整っている。しかし、ビルディングそのものが古く、なにかピンと来ない。エレベータに乗るときの感じも、ちょっといやだ。ビジネスセンターそのものがあるフロアは悪くないのだが……。「事業繁栄」のムードがない。
と、思っていたら、ちょうど今月(8月)、アルソー湖(Ulsoor Lake)近くに、同じ会社の新しいビジネスセンターができたばかりだというので、直行する。
そこは、Phillipsなどの企業が入った新しいビルディングで、非常に雰囲気がよい。エントランスの吹き抜けの明るさ、エレベータの具合、オフィスに連なる回廊の具合……。風の流れが心地よく、すべてが、スムースだ。
ドアを開けると、明るい受付カウンターに、ゆとりのある待合室。鼻をくすぐる挽きたてのコーヒー豆の香りもまた、いい。MGロード沿いよりも、ここの方が、断然いい。
オープンして半月もたっていないのに、すでに7割方のオフィスが埋まっている。が、ちょうど中庭を望む明るい部屋が1つ、開いていた。わずかだが、緑も見えるし、中庭の噴水も見える。
「ここ、レストン(ワシントンDC郊外)のオフィスと、ちょっと似てるよね」
と、夫もご機嫌だ。ミーティングルーム、カフェ、サーヴィスセンターなどの設備も完備されており、非常に快適。ムンバイやデリーなどインド国内はもちろん、海外主要都市に同系列のビジネスセンターが点在していて、たとえば出張の際などにそれらの施設を利用できるという。便利だ。
香港本社からの許可をもらい、今日改めてビジネスセンターを訪れ、契約の準備を整えて来た次第。近々、ネズミの穴から脱出である。
現在、バンガロールの一画では、キングフィッシャービールでおなじみのUBグループが、「UBシティ」という一大ビジネスシティを建築中だ。来年にはいくつかのオフィスビルディングなどが完成するらしく、その中にも同系列のビジネスセンターが誕生するらしい。
バンガロールが、日ごとに変貌している様子が手に取るようにわかる。
個人的には、バンガロールの、インドの繁栄は喜ばしい。我々の生活が、より快適になるのはうれしいことだ。
無論、夫にとってのビジネスチャンスも、増えているには違いない。しかし、日々、マーケットが激変する様子を目の当たりにし、彼はしばしば、「(インド経済が)バブルすぎて、恐ろしい」と口にする。
かつてないほどの莫大な金が、「投資」という形で、米国欧州をはじめとする諸外国から、インドへ流れ込んで来ているのを、彼は目の当たりにしている。
米国時代の投資と比して、クオリティ、可能性、全体を見回して、どう贔屓目に見ても「過剰過ぎる」ほどの額が、投資されている現状。
情報が、瞬時に遍く広がる時代。第三世界のこの国に、どっと金が集まってくる。そのうちの果たして何割が、この国にとって「生きた金」になるのか。素人のわたしには見当もつかない。
夫の仕事に関して、わたしが口を挟める何もないが、せめて「恐ろしい」と感じる気持ちを、失わずにいてほしいと願う。じわじわと、着実に、経済成長を遂げて行くというのは、むしろ難しいことなのだろうか。
相変わらず、路傍の物乞いは在り、働く子供は在り、ゴミダメのような場所に暮らす人々が溢れるこの国で。貧富の差を、だれがどう、狭めていくのだろうか。