本日は、ショッピングの日であった。この日曜から1週間、デリー&ムンバイ出張である。出張とはいえ、デリーでは実家には泊まるし、親戚宅にもちらと顔を出す予定で、従っては何か手みやげ、つまりは「贈答菓子」でも買いたいところだが、ここはインド。ない。そんなものは、ないのだ。
ガルーダモール(近代的なショッピングモール)で、缶入りナッツの詰め合わせなどを買う。しかし聞けば、デリーが本店。東京で明太子を買って福岡への土産にするようなものだ。何か、間違っとる。
インドで贈答菓子といえば、乳製品でできた猛烈に甘いお菓子類が一般的かつ伝統的。銀紙などがくっついていて、なにかと食べるのに躊躇する菓子だが、慣れるとおいしく感じるから怖い。
日本のデパートメントストアの地下食料品店などがインドにあったら……。などと、考えるのはよそう。そんなものがあったら、インドがインドではなくなってしまう。
ガルーダモールを出たあと、いくつかの、インドにおけるデザイナーズブランドを集めたセレクトショップなどにも立ち寄る。訪れるたびに、おしゃれなデザインの服が増えている。インドは、ファッションもまた、劇的に変化している。思わず、数着購入。
買い物を終え、遅いランチを。喧噪から静寂へ。久しぶりにオベロイホテルへ向かう。初めて入るタイ料理レストラン。カフェバーか、ダイニングか迷ったが、タイレストランのオープンエアの雰囲気がよかったので。
しかしだ。料理の味は、かなり「今ひとつ」であった。
今ひとつであったが、ここはインド。それなりにおいしければ、いいではないか。緑は豊かだ。空は青い。風は心地よい。幸せではないか。
最近、つくづく思うのだ。いろいろと、偉そうに言うなよ日本人である我よ。と。
ここはインドだ。インド料理以外の料理がまずくて何が悪い。インドのピザを責めるなら、ツナ缶やらコーンやらマヨネーズやらを載せる日本のピザを責めよ。照り焼きチキンピザを責めよ。
インドのパスタを責めるなら、和風醤油味のスープパスタを責めよ。明太子パスタを責めよ。
日本が高度成長期から今日までにかけて経て来た変化を、つまりここ40年ほどかけて経て来た変化を、この国は、この10年のうちに遂げようとしている。いや、この5年以内に、といっても過言ではない。
衣食住すべての面において、劇的に変貌中のインド。インフラが追いつかなくても、ある意味、仕方ないのだ。停電続発でも、至る所工事中でも、道路が穴ぼこだらけでも、ドライヴァーが方向音痴でも、店主が時間にルーズでも、トムヤンクンがカレー風味でも、仕方ないのだ。
ノープロブレム、とでも言っていなければ、やってられないのだ。
だいたい日本だって、ついこの間まで、パスタといえばスパゲティしかなかったではないか。しかもやわやわ麺のナポリタンとミートソースだけだったではないか。無闇にグリーンピースが入っていたではないか。
ワインと言えば、甘ったるい赤玉ポートワインしかなかったではないか。なぜか白ワインはドイツのシャブリが有名だったではないか。それがどうだ。みんなしてグラスをくるくるくるくる回してそれはなにか、曲芸か。
レストランのデザートといえば、プリン・ア・ラ・モードかフルーツパフェ、チョコレートサンデーが相場で、ややこしいなんやかんやは、なかったではないか。
パンといえば、食パン、フランスパン、あんぱん、メロンパン、テーブルロールあたりが売れ筋だったではないか。
しかもフランスパンは湿気でふにょふにょで、本場の香ばしいバケットとは雲泥の差だったではないか。
それになんだ。焼きそばパン。炭水化物炸裂な食べ物。あんなものをおいしいと思う人種が、日本人以外、どこにいようか。いるかもしれんが、あれはいかん。
オレンジジュースと言えば、人工的なバヤリース、炭酸と言えば、キリンレモンか三ツ矢サイダーしかなかったではないか。だいたい「ジュース」ってのは果汁のことで、果汁が一滴も入ってない飲み物をジュースと呼ぶなど、ある種、詐欺ではないか。
祖父母の家には、仏壇線香くさい千鳥饅頭かひよこ、丸ボーロしかなかったではないか。それを喜んで食べていたではないか。長崎出張が多かった父が買ってくる「長崎物語」と「九十九島せんぺい」がおいしかったではないか。
マクドナルドやらケンタッキーが開店したときには大騒ぎだったではないか。
福岡天神新天町のロイヤル本店3階へ、両親祖父母、正装をして、初めてピザを食べに行ったのは、たかだか33年前ではないか。チーズ味がきつすぎて、ちっともおいしいとは思わなかったではないか。
それが何だ、モッツァレラだアシアゴだマスカルポーネだパルミジャーノだなんだかんだ。
「お客さんに、スパゲティが堅いと言われても、これが本場の味だときちんと説明してください」と、ロイヤルホストでのアルバイトの初日、店長に説明されたのは、たかだか23年前ではないか。アルデンテなどという言葉を知っている日本人はどれほどいたというのか。
洋菓子と言えば、泉屋のクッキーがハイカラだったではないか。
ピーナッツせんべい「博多の里」が出たときには、その斬新なおいしさに感動して、食べ過ぎて、口内炎ができたではないか。
高校体育祭の準備に我が家に集まったクラスメート。「おばちゃん、俺、こげなチョコレート食うの、生まれて初めてやが!」と、母がモロゾフの粒チョコを出したら、安武くんが大いに驚嘆していたではないか。バレンタインデーと言えば、不二家ハートチョコレートで十分だったではないか。
けれど、いつだって、日本人の好きな、おいしい日本の味はあった。おいしい味噌も米も醤油も野菜もあった。せんべいもおかきもまんじゅうもあった。日本のおいしい「母の味」はあった。
インドにだって、インド人の好きな、おいしいインドの味はある。インドのおいしい「母の味」はある。
ちょっと2、30年、先を行っているからといって、偉そうにする筋合いはないのだ。
他の国の人々に、何と思われようとも、痛くもかゆくもない様子のインド。そりゃあ、改善すべき点は果てしなくあろうが、それはともあれ、「部外者」が過干渉することではない。
どんなに欧米資本が流れ込んでも、呑まれない個性が弾けている国。
「インド人は嘘つきばかりで困る!」
と、夫は言う。ビジネスのシーンでも、あることないこと、平気で大風呂敷を広げる国。しかし、それで国がなりたっているからどうしたもんだ。たいしたもんだ。
ビジネスのやりにくい国であればいいのだ。欧米その他先進国に、迎合することはないのだ。
あっちがこっちに合わせればいいのだ。たとえば米国にへつらった結果、どうなるのか。拒絶されれば痛くもかゆくもあった日本は、迎合するあまりに、ばっさばっさと切り捨てて来たものが、無数にあったのではないか。
奢りや傲慢を、省みよ。平たく、世界地図を見よ。
……。
……まずくて、しかも高かったタイ料理を、なんとか受け入れるために、話がずいぶん、飛躍してしまった。
今日は新しく購入したデジタルカメラのことを書くつもりだったが、また、時を改めたい。
ところで、夫はスリランカのコロンボにて、実りあるミーティングを行ったようである。コロンボは、きれいな街らしい。
「これから、みんなで日本料理を食べに行くんだ! ぼくは寿司を食べるよ!」
無闇に声が弾んでいる。テロが多発しているから行きたくなかったんじゃなかったのか。何か、間違っとる!
ともあれ、やっぱり、食事は大事ね。
つまりは、やっぱり、インドの外食産業、もっと、頑張ってほしい……かな。