アーユルヴェーダのドクターにも指摘された。朝のウォーキングが腰痛にいいと。
ヨガをやってはいるものの、しかし、「歩くこと」もまた、大切なんじゃないかと薄々感じていた。米国時代はよく歩いていた。ニューヨーク時代は、サブウェイを使わずにできるだけ歩くことを心がけていたし、DC時代は麗しきご近所をしばしば散歩していた。
翻ってバンガロール。散歩どころか用があっても歩きたくないところばかりだ。移動は車が中心で、だから歩く機会は自ずと減る。アパートメントコンプレックスの周辺の「遊歩道」をちょこまかと歩くという作戦もあるが、退屈だ。
そんなわけで、早朝ならまだ排ガスも蔓延していないだろうと、今日は街に出てみたのだった。
ニルギリズの牛乳配達の少年。車で配達されているのかと思いきや、自転車で、一軒一軒を巡っているのだった。相当重いだろうに、ご苦労様だ。それにしても、インドは人間も多いが、イヌも多い。
そして何度も書くことだが、イヌをはじめとする、ウシやらネコやらリスやらといった動物たちと、人間との距離感が、妙に狭い。イヌは、明らかに「インドイヌ」であり、リスもまた「インドリス」なのである。
路上に、それもわざわざ舗道の真ん中に、おそるべき無防備さで寝転ぶイヌらの様子は、路上生活者のそれと酷似している。なぜ、わざわざ人に踏まれる危険性の高い場所に寝る? と問いたくなるほどに、「敢えて」としか思えない場所選びである。
無論、朝のイヌらは、みな覚醒している。昼過ぎのイヌらが、だらしないのである。
さて、小さな公園では、老齢の男女が、奇妙な声を張り上げながら、体操をしている。このご近所は、小汚い一方、高級住宅街とも隣接しているのである。混沌なのである。
舗道では、「箒二刀流」で、シュパンシュパンと掃除をするお兄さんがいる。こうして、一応は、毎朝掃除がなされているにも関わらず、昼近くになると、町中が「ゴミ溜め」と化すのは、なぜだろう。
祭壇に、髪に、飾る花を売る老人の声。その声をまねる少年の声。
こうして、一日が始まっている。