青空澄み渡る爽やかな土曜日。バンガロール在住の日本人&非日本人カップルが集うパーティーが、バンガロール郊外、ホワイトフィールドのパームメドウにあるY子さん宅で行われた。
9月に催された「国際結婚夫婦の集い」の第二弾である。
我が家から、東へクルマを走らせること約40分。平日は渋滞で軽く1時間以上かかるところだが、土曜日の今日は、少し流れが早かった。
それにしても、どこを走っても、バンガロールは、そしてその郊外は、工事中の風景の連続だ。次々に新しいビルディングが現れ現れ、街の様相はめまぐるしく変化する。
アメリカ郊外の住宅地である。道路でバドミントンをする子供たち。自転車を走らせる親子。庭の手入れをしているインド人労働者の姿がなければ、ここがインドだとは思えない。
さて、本日の参加者。女性はみな日本人で、男性は、インド人、米国人、英国人、ベルギー人……とさまざまである。持ち寄った料理を庭のテーブルに広げ、食事をしながらのおしゃべり。
久しぶりに太陽の光を浴びながらのひとときは、とても気持ちがよかった。紫外線がどうのこうのと言うけれど、やっぱり太陽の光は大切。
なぜだか男性、女性はきれいに分かれて、それぞれに固まってのひとときを過ごす。
男子チームが何を話しているのか気になって、ちょっと様子を見に行ったりしたが、まったく歓迎されない。折しも「妻への不満」などを話してようだ。感じ悪いわ。すぐに女子チームに戻る。
それにしても、庭があるのはいいものだ。特に子供たちにとっては、遊び回れる場があるのは大切なこと。子供たちは子供たちで(無論、面倒を見るメイドはいたけれど)、自由に遊び、大人は大人で話ができるのは、とてもいいことだ。
さて、パーティーのあと、アルヴィンドが散歩をしたいというので、少しパームメドウの中を歩く。
「ここは、きれいでいいねえ
「こういう場所が、バンガロールの中心地にあったら、僕は住みたいよ。
「どうして、ミホは、パームメドウには住みたくないなんて、言うの?」
以前も書いたが、パームメドウはもちろんすばらしく、暮らすのに快適な場所だと思う。
特に駐在員家族にとっては、街へ出るのに不便はあるものの、この界隈で働いている場合などは、理想的な住居に違いない。
けれど、敢えてアメリカを離れてインドに来たいと思ったわたしとしては、わざわざ米国的な場所に暮らしたいという衝動はないのだ。
そのことを、いくら夫に説明しても、彼は理解できない。これまでも理解してもらえなかったし、これからもわかってもらえることはないだろう。わたしたちは、大いに異なるのだ。
「ミホは、変わってる。インドの中で、こうして隔絶されたきれいな場所に住むのは、いいことじゃない? 同じようなバックグラウンドの人たちが住んでいて、ぼくはリラックスできると思うんだけど」
彼の言いたいことも、十分に理解できる。しかし、同調はできない。
帰路、不動産屋との打ち合わせのため、新居予定宅へ向かう。
途中には、煩雑なローカルエリアを抜けて行く。その道を、通りたがらない夫。けれど、これが、インドじゃないの。この人々の息吹があってこその、インドじゃないの。
それを興味深く思えるのは、やはりわたしが「外国人だから」なのだ。
「異邦人だから」こその、好奇心なのだ。
わたしの思いと、彼の思いとは、まさに平行線であると思う。
すでにわかっていることだが、繰り返し、現れる現象である。
エコーが響き渡る、がらんとした部屋で、打ち合わせをする。改修をしてもらいたい箇所などを、確認し合う。
そうしているうちにも、あたりはピンク色の薄暮に包まれている。
打ち合わせを終え、アパートメントを出る。振り返れば、我が家のあたりの雑木林が、やさしげに黄昏れている。
家路を急ぐ、カラスの舞い飛ぶさま。
近所のアパートメントの窓窓に灯りがともる。
取り込まれ忘れた洗濯物が、所在なげに吊るされている。
夕餉の、スパイスの匂いがこぼれてくる。
土曜の夜の、家庭の団らんが、滲み出している。
まだまだしばらくは、この国に住んでいたいと、切に願う。