このごろは、かつてに増して、質問や情報提供依頼メールが増えている。毎日、楽しんで読んでいただいている方に、毎度このようなことを告白するのは心苦しいが、以前も激しく書いた通り、いやになるメールが多いのだ。
一般の方々に限らず、メディア関係の人たちのメールも不躾なものが多い。もう挙げればきりがないほど、みな気軽に情報提供や写真提供(もちろん無料で)や、人物紹介依頼を送って来る。
こちらが返事を送っても、当人の意に添う返事でない場合は無視される。梨の礫だ。毎度のこととわかっていても、わたしもつい、一言送ってしまう。そして返事が来ないと、やっぱりな、と後味の悪い思いをする。こんなことを、ニューヨーク時代から繰り返している。
ちなみにワシントンDC時代は、ワシントンDC自体があまり興味を持たれる都市でなかったせいか、質問は少なかった。
そして現在、インド。ここにきてインドの注目度が高まると同時に、かようなメールが増える。わたしとて、日印を結ぶ何らかの役割を果たしたいとは思っている。しかし、何でもかんでも安請け合いできるはずもない。
かくなる次第で、今朝、シャワーを浴びつつ内省しつつ、よほどブログはやめてしまい、かつてのサロン・ド・ミューズのように会員制にして、パスワードがなければ入れないようにしてしまおうかとの思いが過った。
ミクシーは1カ月足らずで脱会したが、ブログは性質を異にする。楽しんで読んでくれている人も多いのだし、やめてしまうのは早計だ。しかし、いやはや、でもやっぱり、どうしたもんだと、逡巡していた。
そんな矢先、とてもうれしいメールが届いた。こんな矢先だったからこそ、よりいっそう、うれしく思えた。やっぱり、もうちょっとブログは続けてみようと、いとも簡単に気分が入れ替わった。その内容は、うれしいだけでなく、非常に興味深い内容でもあった。
早速ご本人にお返事を送り、ブログへの転載許可をいただいた。以下がそのメールだ。自分が褒められている部分も、うれしいのでそのまま載せる。
++++++++++++++++++++++++++++++++++
美穂様
私は鎌倉市に住む、上田雅美というものです。11月に思い立って、ボンベイを訪ねようと思い、いまどきの情報を探していて、あなたのブログを見つけました。
何というか、ベタでないインドの見方にまず惹かれました。並外れた好奇心や分析力、エネルギーを持っていらっしゃいますね、面白いですとても。yahoo travelの特集もあなたの担当された所は内側からのきめ細やかな情報であたたかいです。
実は私、50年ほど前にボンベイに住んでいました。8歳から10歳までの2年間です。今の駐在員家族の生活とは違って、特に食生活の点で母はずいぶん工夫を強いられるような事もあったようですが、それはそれで楽しんでいたようにも思います。
子供の私たちにとっては結構楽しい生活でした。イギリス人家族経営の小さな私立校に通い、コラバーの海岸で毎日遊びました。特に私はちょうど言葉を吸収する年齢にあたっていたのか、ヒンディーはもちろん、アヤたちの使うマラティーも達者でした。
今回訪ねてみて、住んでいたアパートがまだ残っていて、しかもきれいに修復され私たちが住んでいた時よりずっと高級そうになっているのには驚きました。縁あって、今回はウォルリにある日本のお寺に泊めていただきました。
たぶん父が日本人会のお墓参りや法事の係をしていたのでしょう、子供の頃も、何回か伺い、壁の餓鬼の絵が恐ろしかった事を覚えています。怖いながらも美しかったその餓鬼の絵に再会するのを楽しみにしていたのですが、残念ながら立て替えられていてもうありませんでした。
お寺で上人に伺ったのですが、ボンベイにも明治から戦前に掛けて、たくさんのからゆきさんがいたそうです。日本人のお墓にお参りした時、若くで亡くなられた、女の方々のお名前が刻まれていました。遠くまで出稼ぎにきてそこで病を得て亡くなられる。悲しく哀れです。私にとっては思い出いっぱいのただただ懐かしい場所なのですが、これも一つ日本人の歴史ですね。
新しいお家の事やお仕事で、お忙しいようですがお体を大切に。
++++++++++++++++++++++++++++++++++
今とはまったく様相を異にしていたであろう、昔日のムンバイの、その光景の断片が思い浮かぶようである。子供のころ、一時的にでも住んだ国に、歳月を経て訪れられた心境は、ひとことでは尽くしがたいさまざまがおありだったろうと思う。
言葉のこと、お寺のこと、いずれも興味深いエピソードだ。ムンバイに日本のお寺があるのは、気がついていた。空港からダウンタウンのホテルに向かう途中の大通り沿いに見えていて、いつも気になりながらも通過していた。
しかし、ムンバイにからゆきさんが来ていたとは、知らなかった。いや、「世界各地にからゆきさんは送られていた」という知識は持っていたから、その一つがムンバイだったとして何の不思議もない。しかし、改めて事実を知ると少なからず衝撃的だ。
かつてボルネオ島(カリマンタン島)を取材した折、サンダカンを訪れた。ここはまた、からゆきさんが多く送られた土地だった。山崎朋子著の『サンダカン八番娼館』を読むと、当時の貧しき農家の娘たちの悲劇が痛いほどにわかる。
女衒にだまされ、家族と引き裂かれ、船に乗せられ、見知らぬ国で、年端も行かぬ少女らが身売りを強いられる。まさしくそれも、日本の歴史の、そう遠くない過去の断片である。
今度、ムンバイを訪れた折、機会があれば日本のお寺に足を運ぼうと思う。