「工事は今日で終わりますから」
そんな言葉を信じたわたしが、ど阿呆であった。そもそも、昨日対応したのは上の階のメイドだ。英語の話せる使用人。ただそれだけで、ただ、意思の疎通が図れただけで、なんだかうっかり、信頼してしまった愚かな我。
今朝もまた、ドンドン、ガンガン、ゴンゴンと、昨日に増して、激しい破壊音。こんなんじゃ、仕事どころか、この空間に存在することすら不可能である。
工事は必要なのであろう。我が新居だって、現在、工事の最中で、こんなにも激しい音は立てない内装工事であるにせよ、ひょっとすると上階にも迷惑をかけているかもしれん。にも関わらず、「恐れ入ります」の挨拶などしていない。むしろ、バルコニーからだら〜んと干されたサリーを折り曲げて干してくれと、苦情を言いに言ったくらいだ。
したがっては、上階に文句を言うことなど本来は筋違いかもしれない。でも、一言言わずには、いられない。我ながら、ダブルスタンダード。というか、自分勝手。と思いつつも、内線電話で上階に電話をする。会ったこともない、しかし発音からしてインド人マダムが出た。
「下の階に住む、ミホ・マルハンともうします。恐れ入りますが、お宅の工事の音、ものすごいんですよ。あらかじめ、通達があればこちらもしかるべき予定を立てられたのですが、何の予告もなく、火曜から毎日ですよね。マネジメントオフィスからでも、せめて連絡をいただきたかったものですわ」
と、マダムな感じで、しかしあからさまに「うるさすぎる」「あらかじめ、連絡してよ」の気持ちを表現する。と、
「あら、マネジメントオフィスから聞いていなかったのですか。わたしもねえ、よ〜くわかりますよ、あなたのお気持ち。わたし自身、この音をそばで聞いていて、本当に耐えられないんですよ。ひどくうるさいんですよ」
いや、だから、わたしはあなたと、苦しみを分かち合うために電話をしているのじゃないのだ。
「あなたが我慢できないのは、それはお宅の工事ですから、仕方ございませんよね。わたしの場合、自宅で仕事をしていて、特にここ数日は、非常に大切な時間なんです。あらかじめお知らせいただければそれなりに外出を予定するなど、手だてを打つことはできたんです。
昨日、お宅のメイドさんが、今日で終わるからとおっしゃるから、わたしは今日、自宅で過ごすつもりでいたんですよ。それがこの音。仕事どころか、ここにいることすら苦痛です。うちの天井まで穴があくんじゃないかというくらいの音ですよ」
「わかりますわ〜。本当に、すごい音ですものね〜」
だから、あなたは、第三者じゃないんだってば。
「ともかく、いつまでこの工事、続くんですか?」
「今日中には必ず終わります。今日終わって、あとは音のない工事ですから」
意思表示はしたものの、なんの現状打破にもならぬ「暖簾に腕押し」な会話のあと、仕方なく家を出ることにする。夫がいれば、夫のオフィスに行って仕事をすることもできるが、あいにく出張中だ。
近所のTaj West Endに行くことにした。ついでにランチも食べよう。
久しぶりに行くTaj West Endのカフェ。移住直後の数週間、このホテルとLeela Palaceに滞在していたのだが、Leelaは巨大なホテル故、顔なじみになるスタッフはなかった。
しかしこのTaj West End は規模が小さい分、顔を覚えてくれているスタッフが数名いて、「お久しぶりです」と声をかけてくれる。親しくなったマネージャのナターシャは、もう辞めてしまったし、朝食のたびに、あれこれとバンガロールの情報を教えてくれたレストランマネージャの男性はTaj Residencyに移ってしまったけれど。
あれからもう1年以上もたつのだな。
軽くサンドイッチでも、と思っていたのだが、ランチブッフェがおいしそう。これにしよう。
なんだか肉類が多かったが、どの料理も概ねおいしく、以前よりも味がよくなっているような気がする。
あるいはわたしの味覚が崩壊の一途をたどっているのかもしれない。
が、どうでもいいのだ。幸せならば。
ゆっくりとランチを味わい、かわいらしく作られたプチガトーを味わい、コーヒーを飲み、しばし読書をし、さて、ラップトップを広げる。緑を望むこのカフェテラスは、ビジネスミーティングにもよく利用されており、ラップトップを広げても差し支えのないカジュアルさなのだ。
吹く風も心地よく、コーヒーもおいしく、作業もかなりはかどる。
「マダム、ハードワークですね」
と、ウエイターの言葉にふと時計をみると、すでに4時。12時半に来たので、かれこれ3時間以上は居座ってしまった。
緑を視野の隅に感じながら作業をするのは、心地よいものである。一年中、いつだってこうしてテラスが心地よいのは、バンガロールだからこそ。排気ガスが入らぬこんな場所なら、非常にさわやかで、気分もよいのだ。
また来よう。