人間でも、だ。
そしてそれは、わたしだ。
いや、わたしだけではない。インドに暮らす異邦人の、どちらかと言えば「負けん気」や「自己主張」が強い傾向にある人間なら、誰もが自らの「吠え癖」について、薄々気づいているに違いない。
先日、「秘蔵の一本で優雅ランチ」の折、その話題が出た。
先頃、OWC主催で「帰国を控えた人々」を対象にした講演が行われたのだが、わたしは「帰国を控えていない」ので参加しなかった。が、参加した人曰く、そこで取り上げられた話題の中に、「帰国後の、人に対する態度」というものがあったらしい。
インドに暮らしていると、使用人やドライヴァー、店員などに、「横柄な態度を取ってしまう」癖がついてしまう人が少なくない。
実際、街角で、そういう光景を目にすることはしばしばだ。店員などに対し、「過剰に偉そうな態度」のマダムたちを見るにつけ、見苦しいと思う一方、「わたしも……あんな?」と、戦慄し、我が身を省みて「反面教師だな」とも思う。
「マダム」「マダム」と慇懃に対応されることに慣れ、一般庶民であるにも関わらず、植民地時代の英国貴婦人よろしく、「女王気分」が定着してしまう。知らずのうちに「なにさま?」な態度に陥っているのだ。勘違いも甚だしいのだ。
そして、そのことに気づかず、省みることなく帰国し、母国で同様の態度を取ってしまい、何かと物議を醸す事態が、発生してしまいがちなようなのである。
最低でも半年に一度、海外へ出て、我が身を振り返るのは大切だ、いや「必要不可欠だ」と、最近思える。我々は4月19日に、米国へ発つ。「心を入れ替える」いい機会だと思う。
さて、本日。
日曜であるが、新居偵察である。本日は、夫にも同行してもらった。最後の詰めだから、さすがに言葉の通じる「家長」に来てもらわねばね。
昨日も書いたが、内装工事はなんとかなっている。塗装も順調だ。
問題が一つ。というか、一業者。メタルワーク業者だ。インテリアデザイナー兼通訳(兼使いっ走り)のアルンの紹介で選んだのだが、責任者のヴェニートが、もう、だめだめ。「インドの常識は世界の非常識」を、全身全霊で具現化しているタイプである。
やっぱり、こてこてに南インドの業者はリスクが高すぎると、今になって反省する。スタンダードが低すぎる。
10日で仕上げるといいながら、すでに18日。仕事の段取り、人々のマネジメントが非常に悪い。
とはいえね〜。上の写真のように、メタルのフェンスなども、ひとつひとつ、手作りなのよ。村の鍛冶屋みたいなことを、庭先でやっているのよ。そりゃあ、時間もかかろうというものである。つまりは時間の「読み」が甘いのである。
仕事が遅れるだけならまだ我慢のしようがある。
が、我が家の庭で、「バーナーで鉄を焼き付け」て芝生を「はげはげ状態」にしてしまったり、溶接工事の際に、防護シートなどを貼らずに作業を進めて、フロアのタイルにクレーター状のダメージを与えたり。
「このまま作業して大丈夫なのか?」
と、何度も念を押したのだが、
「ノープロブレム。あとで磨けば大丈夫」
と、言われて、信じたわたしがまたしても大馬鹿者なんだよまったく! 職人の皮膚の強さを感心している場合じゃなかった。
幸い、大理石のフロアではなく、張り替えが簡単な大判タイルのフロアだったが、張り替えるとなると手間も時間も予算もかかる。
その件で、今日の午後は、夫婦して吠えまくった。反省している矢先に、これである。でも、黙っていられない事態なのである。
夫が吠えていると、
「もう、そのへんで、およしよ」
と思う。
でも、自分は、延々としつこく、追及してしまう。大いなる矛盾である。
彼らは、それはそうだろう、フロアの張り替えに同意せず、汚れを削り落として磨くと言い張るのだが、削るとタイルの表面が傷ついて、少々へこんでしまうのだ。それを磨かれても、困るのだ。
大工の棟梁カニヤラールも、家具磨き職人のおっちゃんも、どちらも「下に何か敷いて作業しろ」と指摘していたらしいが、作業員が無視していたらしい。だからもう、みなにやんややんやと責め立てられ、ヴェニート、四面楚歌である。自業自得である。ばかたれ。
外国人やNRIが相手だと、相場より高い見積もりでも仕事がとれると信じている業者が激増中の昨今。そうして実際、相場よりも高い見積もりを出して来たのだが、少々値切った限りで、時間もなかったことから、彼らに頼んだのだった。
彼らには、自分たちの要求(金額)に値する、質の高い仕事をするべきなのだということを、自覚してもらいたい。仕事の厳しさを実感してもらいたいものである。
などと、わたしがいくら説教臭いことを述べたからといって、それは馬の耳に念仏。
塗装業者のモナのように、最初から信頼できる人と、最初からヤバい感じの人と、両極にわかれるのである。
さて、明日はガーデナーがやってくる。植物の植え込みだ。だからこそ、メタルワークは今日中に仕上げてもらわねばならなかったのだが、まだ、午後2時を過ぎても、未完成である。もう知らん。
いつも、「俺、現場監督」とばかりに、椅子に座り込み、動いて作業をしているところは、ほとんど見たことはなかった。
現場監督、と呼ぶには、あまりにも、四六時中ぼーっとしていた。
で、チャイタイムになると、速やかに立ち上がる。
そんなおっちゃんが、今日は「棚へのニス噴霧」の段階になって、俄然「輝き」を見せていた。
労働者を従え、てきぱきと指示し、自らスプレーを手に持ち、右へ左へ、それはそれは真剣な面持ちで、ニスを吹き付けているのである。
そして、思いがけず「身軽な身のこなし」であった。「画竜点睛」担当者として、存在感を十二分に発揮していた。
さて。
帰宅した後も、吠えまくった後味悪く、ふたりして疲労困憊である。小一時間ほど仮眠したのち、ベッドでごろごろとしながら、米国行きのプランを考える。もう、二人とも米国旅行ムードはゼロなのだが、ともかくはチケットを買わねばならぬ。
「アメリカに行ったらさ〜。プライムリブ、食べたいね〜」
「久しぶりに、メイン州のロブスターも食べたいな〜」
「ステーキハウスに行かなきゃね〜」
と、話しているうちに、二人、無性にステーキが食べたくなり、一度も行ったことがないのだが、そこそこにおいしいステーキが食べられるという近所のステーキハウスへ行った。
わたしたちはご存知の通り、食べることは好きだが、食のストライクゾーンは広く、よほどまずい場合でない限りは「感謝して食事をいただく心」を大切にしているので、このステーキも、それなりに、おいしく味わった。
「食」に関しての期待値が高く、こだわりの強い日本の人々を見ていると、わたしは自分たちの味覚を「かなり順応性が高い」と思う。
「敢えてインドに来た人」と、「来たくもないのに、インドに来なけらばならなかった人」との差が、そこに大きく反映されている。
わたしにせよ、アルヴィンドにせよ、それなりに「美味なるもの」を口にしてきてはいるが、二人とも、「吠える性格」とは裏腹に、食に対してはかなり謙虚だ。
アルヴィンドはいつだって、そこそこおいしければ、「すごくおいしいね!」と言う。そして幸せそうに食べる。それは彼の長所だと、わたしは思う。
わたしたちは、調味が常軌を逸していたり、素材の質が悪かったりといった、「よほどまずい料理」を口にしない限り、「まずい」とは言わない。それは、我々が出会った十余年前からの、暗黙の了解とも言うべく表現方法である。
口に合わない料理が出たときには、「ユニークな味だね」と、表現する。「まずい」と直截に言うよりは、場の空気を壊さずにすむ。だから、わたしたちには「おいしい食卓」の思い出が非常に多い。
なぜ、敢えてこんなことを書いているかと言えば……。このブログ、バンガロール在住の読者もかなり多い。従っては、ここに掲載している情報を参考にしてくださっている方々も少なくない。
つまりは、わたしが「おいしかった!」「おいしい!」と書いている店に、期待して出かけられる方々も少なくないようなのだ。そうなってくると、由々しき事態が発生する。
そこの料理が、「お口に合わなかった」場合、わたしとしては、いかんともしがたいのである。
「料理によって、味が違うのよね」とか、「日によって、味が変わるのよね。シェフの入れ替わりが激しいみたい」などと、いちいち言い訳がましいことを言わねばならぬのも、何かと面倒だ。
職業柄、「坂田さんって、味覚音痴?」と思われても、少々不都合だ。
そんなわけで、わたしたちには「そこそこおいしい」と思われたステーキだが、他の日本人の方々には「どこが?」と思われそうなこと請け合いなので、店の情報は割愛する。
と、言い切ってしまうと、なんだか身も蓋もない感じなので、一応、店名を。Miller's 46です。
特に、お勧めはしませんが、シャトーブリヨン(フィレ肉の中央部分)が、比較的おいしかったかと。しかも安い。ボリュームたっぷりで1000円もしません。
(結局、勧めているのか?!)