【二つの死】
このアパートメントの管理事務所で働くニナ。ここ1カ月ほど、彼女がずいぶんと、手助けをしてくれている。その彼女の母親が、心臓発作で急逝した。
1週間後の月曜日、憔悴しきった面持ちで、しかし彼女が手配してくれた仕事の状況を気にして、我が家を訪れた彼女。67歳だった母親は、糖尿病を患っており、いろいろな薬を飲んでいたという。
ニナには数名の兄弟がいるが、母親はニナとその夫、そしてニナたちの息子ら(15歳、3歳)と共に暮らしていた。
「兄弟たちは、みな自分の家を持っていて、それぞれにいい暮らしをしているの。借家はうちだけ。夫は酒飲みで、ちっとも働かないから、だからわたしが2つ3つの仕事を掛け持ちして、家計を支えているの。
今までは、母がわたしの精神的な支えだったし、子供たちの面倒も見てくれて、本当に本当に、かけがえのない存在だった。その母がいなくなって、わたしはどうしたらいいの?」
いつも笑顔で朗らかな彼女が、すっかり枯れてしまった声で、涙をぽろぽろと流しながら訴える。
ただ、彼女の背中をさすりながら、話を聞くことしかできない。
* * *
土曜日。隣家との垣根を作るために訪れるはずだった大工衆が来ない。電話をしたら、大工仲間の一人が事故にあって、みな病院にいるという。
その大工仲間というのは、やはり北インドのウッタルプラデッシュ州出身らしいが、我が家の工事には携わっておらず、わたしは面識がない。
とはいえ、故郷を遠く離れて出稼ぎに来ている貧しい青年の、身の上を案じた。
翌日、工事にやってきた大工衆の一人に夫が尋ねたところ、夜、自転車に乗っていたその大工は、トラックに巻き込まれてしまい、病院に運ばれたものの、亡くなってしまったのだという。
急成長するインドの都市部では、地方からの出稼ぎ者が無数にいる。そして、労災観念のかけらもない、危険な工事に従事する。
そのことだけでも「命がけ」なのに、町中の自動車は、日々とてつもない勢いで増えており、交通渋滞は悪化の一途をたどり、交通ルールもマナーもあったものではない。
暴走するバス、車間を縫い走るバイク、煤煙を上げつつ走るオート三輪、幅を利かせる新型乗用車……。
ほんのわずかの人だけにしか知られない、無数の死が、この国にはあふれている。
【三度目の正直なタイル貼り】
メタルワークで痛めつけられたタイルを張り替えた話は、くどいほど書いたかと思う。2度、張り替えを頼んだが、まだ、一部「カパカパ」な部分がある。
加えて、ユーテリティールーム、使用人部屋あたりの階段に貼り付けていたタイルも、早くも割れた。それもこれも、劣悪な仕事のせいだ。
マダム激怒でタイル貼り屋に電話をし、再び「この道25年おやじ」の登場。今回は、彼は反省したのか、「いい職人」を連れて来た。
「なんで最初から、まともな職人を送ってくれなかったの?」
「実はやつ、新人だったんです。わたしだって、だまされたようなもんですよ、ワッハッハ!」
「そんなこと言ったって、自分の雇用者を管理するのがあなたの仕事でしょ?」
「わかってますとも。だから今回は、一番腕のいいやつを連れてきましたから、ワッハッハ!」
「だからって、すでにタイルも余分に使ってるんだからね」
「わかってますよ。ともかく、これから先、たとえ2年後でも、問題があったら、すぐに駆けつけますから、許してくださいよ〜。チャイでも出してくれれば、ただで仕事しますから! ワッハッハ!」
いちいち大笑いでごまかす、調子のよいおやじである。
しかしながら、さすがに本日登場の職人は、まさに職人であった。仕事に対する視線と動きが違う。そういう人の仕事は見ていて楽しい。だから、忙しいさなかにも関わらず、じっと見つめてしまう。
きっと、仕事がやりにくかったに違いない。
ともあれ、ダイニングルーム。つぎはぎ状態で修繕しているから、必ず近い将来、ひずみが出るはず。来年にでも、すべてを貼り替えようと思う。今はもう、とりあえずは、よい。
完璧主義者をやめよう。
これじゃ、はがれて当然。あまりにもずさんな初回のタイル仕事であった。が、三度目にしてようやく、まともな職人が登場してくれた。長い道のりだ。
ダイニングルームが、またしても混沌に。明日はプチ・ハウスウォーミングパーティーと称したランチパーティーを開くというのに、まだこんな状態。
ひたすらに、時間がかかるが、丁寧にやっていただくに超したことはない。
が、ひたすらに、時間がかかる。
ペンキ塗りの作業も、結局は3週間ほどもかかっている。
最初は1週間のはずだったが。
塗り散らかしたあとの掃除や補修に時間がかかっている。
効率が、むちゃくちゃに悪い。が、もう、何も言うまい。
慌てるな、坂田。
【十倍もの値段で。】
かつて買いためておいたインドの細密画やモンゴルのハンドペインティング。高価なものではないけれど、いずれも気に入っているから、引っ越しを機に額装しようと思った。
イエローページなどでフレームショップを探すが見つからない。最終的にインターネットで検索し、インディラナガールの100 ft Road にあるフレームショップを見つけ、訪れた。
この界隈は、最近、再開発が目覚ましい。外国人や富裕層が住まうエリアで、従っては「先進国相場」の店も少なくない。
案の定、その店のフレームは、高かった。
大した額縁でもないのに、80cm X 40 cmほどのサイズが100ドル以上もする。額装したい絵画は全部で十点。十万円を超えてしまう。
インドでは、ありえない額だ。
しかも、この店で作っている訳ではなく、他都市に送って作る必要があるため、十日はかかるという。米国行き前にすませたい身としては、十日は長過ぎる。
聞けば素材はすべて輸入ものだという。額くらい、インドで十分作れるはずなのに、最近はなんでもかんでも輸入だったら良質だという傾向だ。しかも高い。
店員は、話しぶりからして「店主」ではない。
少々の世間話をしたあと、I'm sorryといいながら切りだした。
「わたしには、十点をこの店で作る予算はないの。更には十日も待てないの。申し訳ないんだけれど、Made in Indiaでいいから、どこかいいフレームショップを知りませんか?」
最初は、当然ながら抵抗を見せていた彼だが、質は保証できませんよといいながら、地域と店名を教えてくれた。
我がテリトリー、コマーシャルストリートやインファントリーロードがある界隈、SHIVAJI NAGARである。この雑多な界隈で、見知らぬ店を人に尋ねつつ探し出すのは至難の業だとは思ったが、あとへは引けない。
一方通行の大喧噪エリアを、行きつ戻りつ、探しあてた。Infantry Roadと交差するCentral Streetに面した店だ。
結果的にいえば、料金はなんと十点で1万円程度。しかも仕上がりは翌日。素材は高価なものではないが、十分だ。
店の人は、親身にフレーム選びを手伝ってくれ、なかなかに適切なアドヴァイスをしてくれる。周辺には怪しげな宗教系のフレームが飾られてはいるが、それもまた一興である。
たとえ問題が多かろうと、我が家はなるたけ、MADE IN INDIAでゆこうと、改めて、思った。
【米国旅行のハイライトはヨセミテ国立公園に】
旅の計画すら立てられない日々で、「もう、サンフランシスコとナパのワイナリー巡りでいいよ」と、毎度おなじみの無難案で半ば投げやりな日々であった。が、せっかくだもの。と、やはりヨセミテ国立公園までドライヴすることにした。
1996年夏にアルヴィンドと出会って、その冬初めて二人で旅行をした。その行き先はサンフランシスコで、ヨセミテとソノマ(ワイナリー巡り)をしたのだった。
わたしはその後、取材でヨセミテを訪れたが、アルヴィンドと二人で行くのは、十年ぶりにして二度目である。
今回は、前々から泊まりたかったアワニホテルへ3泊することにした。久しぶりに長距離ドライヴ(片道5時間ほど)を楽しみながら、初夏のヨセミテを目指す。インドでは経験できないことを、米国滞在中に満喫したいものだ。
久しぶりに「開けた視界」を。