今夜はヨセミテ国立公園から少し離れたグローヴランドという小さな街にあるB&Bに宿を取る予定だ。つまりは今日も丸一日、この界隈で過ごすことができる。
朝、アワニホテルのコテージの庭先でコーヒーを飲んでいたら、シカたちがやってきた。木の実かなにかを食べているようである。わたしたちが近くにいても、おびえる様子はなく、実に悠然としている。
わたしたちは息を潜めて、彼らの様子をうかがっている。
初日は部屋の、あまりにも「普通さ」にがっかりとしたアワニホテルだった。
しかしヨセミテ国立公園の中心地であるヨセミテ・ヴァレーの、絶景に囲まれた場所に泊まれるということは、やはりすばらしい。
1にも2にも、ロケーションである。
夫は夕べ到着したばかりの隣人に、自分たちが歩いて来たトレイルの説明をしている。
昨日のトレッキングでわたしは疲弊しきっていたので、今日はきっと疲れが出るに違いないと思っていたのだが、しかし気分は爽やかだ。
多分、疲労の「質」が違うのだ。
インドの日常で頻発するストレスなどに比べれば、ずっと「上質」の疲れなのだと思う。
だから、一晩ぐっすり眠りさえすれば、心地よく回復するのだ。
チェックアウトぎりぎりの正午まで、ホテルのラウンジやテラスで過ごした。
昔日の、ネイティヴ・アメリカン、つまりアメリカ先住民(アメリカン・インディアン)の面影を偲ばせるこのホテル。
ラウンジやダイニングルームにたたずんでいると、木で造られた建物の心地よさを肌で感じられる。人はこういう建物の中に住む方が、コンクリートや鉄筋の中にいるよりも遥かに、心身ともに落ち着くに違いないと思う。
ヨセミテ滞在4日目にして、身体の細胞が浄化されているような、清冽な水に触れているような、澄んだ感覚に包まれている。自分の表層が、いかにも爽やかだ。
チェックアウトを済ませた後、ダイニングで最後の食事。
夕べも、3日前もステーキだった。
だからビーフはもうよそうと思ったのだが、こういう場所ではハンバーガーなどが美味なのだ。
サラダを2皿と、ビーフバーガーを1皿。米国の料理は、本当に1皿で二人が楽しめるヴォリュームだ。
これだけ運動しているのだから、多少たくさん食べても太ることはあるまい。
と、油断していたら、帰国後に愕然とさせられることになるのだが。
今日はこれから、ヨセミテ国立公園の南部Wawona近くのマリポサ・グローヴ (Mariposa Grove)へ向かう。
ここではセコイアの巨木が見られるのだ。
その前に、ヨセミテ・ヴァレーの見所のひとつであるブライダルヴェール(Bridalveil) という名の滝を眺めに行く。
何かと、滝である。
その滝は、その名の通り、花嫁のヴェールのように裾広がりで、白く迸っていた。
またしても、迸る滝の飛沫を浴びながら、記念撮影をして、車に乗り込む。
普通はまず、ここに立ち寄り、ヨセミテ・ヴァレーの全容を眺めてからヴァレー内へ入って行く。
しかし我々はすでにここを訪れたことがある故、今回は立ち寄らずにヴァレーへ直行したのだった。
トンネル・ヴューからは、エル・キャピタン (El Capitan)、ヨセミテ滝 (Yosemite Falls)、ハーフドーム (Half Dome)というヨセミテ・ヴァレーの見所が一望できる。
夕暮れ時が最も美しいらしいが、夕べはトレッキングで疲れ果てていたので、足を運ぶ根性がなかった。
いつかまた訪れたときには、夕景を望みたいものである。
さて、あまりの蛇行ぶりに、運転していても酔いそうな山道を南へと走り、セコイヤの木々がある場所を目指す。
助手席では、いつしかアルヴィンドが、す〜す〜と寝息をたてて気持ち良さそうに寝ている。
なぜだか今回も、わたしがドライヴァーである。
無論、運転するのは楽しいので、これはこれでいいのである。
インドに帰ったら、自分の車を買いたいと思う。ドライヴァーを雇うのではなく、自分で運転するのだ。自分で運転したいのだ。
もちろんインドでは駐車場その他云々諸事情を考えると、ドライヴァーなしでは大変なので、あくまでも「オプション」としての自己運転である。
インドの道路事情を考えると、小型車が望ましい。小型車は好きではないが、いろいろと贅沢を言ってはいられない。なにしろ、牛やらヤギやらと共有せねばならん道路なのだから。
今、市場に出回っている小型車は、どれもあまり好きではない。最近インドで人気がある小型車にMaruti SuzukiのSiwftがある。カラーバリエーションも豊かでやたらと市場に出回っているが、わたしはあまり、好きではない。
大手自動車メーカーのいくつかが、ここ数年のうちに、インド市場を対象にした小型車を発売する予定だと発表している。もうしばらく待つべきか。
今年の年末には、Skoda(チェコの会社:フォルクスワーゲングループ)がFabiaという小型車をインドでも発売する。
インドで買える(ことになる)小型車の中では、今のところ、Fabiaが一番気に入っている。あくまでも見た目に関してで、運転したことはないのだが。
そんな話はさておき、セコイアの木々である。
木肌がシナモンのように赤茶色い、まっすぐに天を指す姿が凛々しい木々。
が、トレイルの最初で見かけたのは、倒木であった。
かつてセコイアは北米全体に繁殖していたと言われるが、氷河期などの気候変化により死滅の危機にさらされて来た。1860年代には伐採会社がセコイアの伐採を始めたらしいが、あまりのもろさに用途が限られ、伐採は短期間でやめられたとのこと。
樹齢は約3200年と、気が遠くなるような長さだが、決して強い木ではなく、根は横に広がるものの浅いため、倒木しやすいという。
セコイアの木肌はふわふわと柔らかく、たくましい見かけとは不似合いな脆さを感じさせる。
セコイアは耐火性があるため、山火事に遭っても生き延びることができるが、日射が少ないと根がしっかりと張れず、倒れてしまう。
倒れた木が腐朽する速度はとても遅く、千年を要することもあるとか。ちなみに上の大きな写真にある倒木は、倒れてから300年もの歳月が流れているという。
近年、人間が森を管理するようになり、「自然の山火事」が起こらなくなったことで、セコイアの周辺に他の樹木が成長し、セコイアが十分な日照を得られなくなった。
山火事が起こらなくなったせいで、セコイアは減っていったのである。
そこで現在では、定期的に人為的な「安全規模の山火事」を、起こすことで、セコイアを守っているのだという。
なにかと、たいへんなことである。
ところで、上下の写真はGrizzly Giantと呼ばれる巨木。
写真ではよくわからないが、本当に大きい。まるで「森の神様」のようである。
ディズニー映画などで、巨木が動き出すアニメーションなどがあるが、まさにあのような感じで梢が動きだし、木が低く深い声でしゃべりだしそうな様子である。
夜、例えば月明かりに照らされたこの木を見上げたら、より一層、そう感じられるに違いない。
ちなみに樹齢は2700年。紀元前からこうして存在しているのだ。
上の写真の、一番大きな枝の直径は2メートルもあるという。この森の、セコイア以外の木々のどの幹よりも、この枝が太いのだとか。
左の写真は、トンネルを掘られたセコイア。百年以上前、トンネルを作られ、「観光の目玉」として貢献し続けているものの、木そのものは弱っているという。
現在ではこのように、木々を傷つけることは許可されていない。
右の写真は、セコイアの大きさを伝えるため、木のたもとに寝転がっているアルヴィンド。なにも寝転がることはない気がするのだが、寝転びたかったらしい。
まあ、妻も妻で万歳をしてみることもなかった気がするが、したかったらしい。
5時近くになって、セコイアの森を離れ、山道をドライヴして北上する。
再びトンネル・ヴューを通過し、ヨセミテ・ヴァレーの景観を瞼に焼き付けて、ヨセミテ国立公園をあとにした。
国立公園を離れて1時間ほども走った120号線沿いに、グローヴランドの小さな街が現れた。
典型的な、アメリカの、田舎の小さな街、といった風情を漂わせている。
アルヴィンドが予約してくれていたB&Bはクィーン・アン・スタイル。ベッドにはテディベアとクッキーが置かれていて、なんともかわいらしい。
チェックインをしたあと、小さな街をふらふらと歩き、宿のダイニングへ。
ここの料理が(アメリカ郊外にしては)とてもおいしくて、その意外さに感激した。ワインリストも充実している。
聞けば「穴場のいい宿」として、結構知られているB&Bらしい。
ヨセミテ行きの道中、ファストフードやダイナーではなく、こういう店に立ち寄って、おいしい料理を味わうのはいいものだ。
参考までに、宿の名前はGroveland Hotel。
さて、今夜を最後に、明日はいよいよベイエリアに戻り、深夜には空港へ向かう。なんと短い休暇だったことか。
しかしながら、インドでの日常から隔絶された異世界に身を置いて、すっかり気分転換ができた。
毎日好天に恵まれて、本当によかった。