ヨセミテを訪れるのは三度目。最初は1996年の冬。アルヴィンドと出会って数カ月後の、初めての二人での旅だった。彼がいろいろと手配してくれたのだが、冬のヨセミテは寒すぎて、すっかり風邪をひいてしまった。
二度目は、1999年の5月。日本の雑誌の取材で、米国西海岸をシアトルからサンディエゴまで縦断ドライヴした。そのときに1泊だけ、立ち寄ったのだったが、あいにくの雨でいい景色を眺めることはできなかった。
だから今日がまるで、初めて見るこの地での快晴で、ただもう、それだけで、幸せな朝である。が、昨日、到着してホテルにチェックインしたときには、かなりがっかりとする出来事があったのだった。
●悲喜こもごも(?)な、アワニホテル
今回滞在しているのは、ヨセミテ国立公園のヨセミテヴァレーにあるアワニホテル。
由緒あるこのホテルには、かつてから泊まりたいと思っていた。場所のよさと歴史の深さから、巷では「憧れの名ホテル」とも呼ばれている高級ホテルである。
今回、ヨセミテ行きを前にして、夫が、
「アワニホテルの予約が取れるといいね」
と、何日かに亘ってインターネットにアクセスし、ちょうどキャンセルが出たところをいいタイミングで3泊、予約してくれていたのだった。とても、楽しみにしていた。
が。
部屋を見せられた途端、年末、日本家族と訪れた「湯布院の玉の湯」の再来か、と思わされた。
全然、よくないのである。ゴージャスでも快適でもなく、普通なのである。写真では、それなりに見えるが、まったくもって、むしろ新しいモーテルの方が快適かも、くらいのムードなのである。
宿泊費は、かなり高い。書きたくないくらいに、高い。しばし、夫と無口になる。
結論からいえば、場所。場所がいい。ただ、そのひとことに尽きる。だから、ガイドブックやメディアは間違ってもこのホテルを「憧れのゴージャスな宿」などと銘打ってはいけない。
ここは、ダイニングで夕食を食べれば、そして天井の高いラウンジでくつろげば、それで十分である。むしろ、屋外でキャンプをする方が、楽しいかもしれん。
ちなみに写真左はコテージの部屋。右は館内の部屋。わたしたちは、コテージを選んだ。
木立に囲まれたコテージは、しかし遠くから滝の流れ落ちる音、木々の匂い、葉の匂い、澄んだ空気の匂いに包まれ、得も言われぬ心地よさである。
ホテルの周りをしばらく散策し、それから部屋で休んだ後、ホテル内のラウンジでくつろぐ。
どっしりとした木造の、太い梁の、高い天井のこの建物。建物全体から木の温かみが伝わってくるようだ。
夕食。まずはカリフォルニアはソノマのカベルネ・ソーヴィニョンで乾杯。
インドではなかなか気軽に味わえない、おいしい赤ワインを、カリフォルニアでは味わえるのがうれしい。
フレンチオニオンスープにシーザーサラダ、そしてプライムリブ。アメリカのこういう場所の、まるで王道のような料理を注文する。
フレンチオニオンスープはチーズもたっぷりと香ばしく、シーザーサラダも爽やかで、程よく脂がのったプライムリブは柔らかくて風味豊か、いずれも美味なる夕餉であった。
いずれも1品ずつを頼み、夫とシェアしたにもかかわず、ステーキは食べきれなかった。デザートも入らない。
隣のテーブルでは、前菜からステーキ、デザートまでを、一人がもちろん一皿ずつ、きれいに平らげているグループ。アメリカ人の胃袋の底力を、久しぶりに見せつけられる。
●青空のもとで目覚める。
本日。澄み渡った青空のもとで目覚める。
ホテルのダイニングルームで朝食。夫は夕べの食事が消化できていないと簡単にオートミールを、わたしは朝食ブッフェを選ぶ。
ここまでの道中にいくつかのストロベリーファームを見た。
きっと摘まれたばかりの新鮮ないちごなのだろう。
歯ごたえがしっかりと、甘みが詰まった味である。
朝食のあとは準備をして、車に乗り込む。
トレッキングのその前に、ジェネラルストアでランチ用のサンドイッチやフルーツ、ボトル水などを購入。準備万端だ。
●彼方の滝を、間近に見に行く。
本当は身長2メートル超のマックスが勧めてくれたGlacier Point(グレイシャーポイント)と呼ばれるところへ行きたかったのだが、数日前に雪が降ったとかで、まだ閉鎖されているという。
従っては「2つの滝」を間近に見られるというVernai Fall、Nevada Fallのトレイルを歩くことにした。
夕べのダイニングでわたしたちのテーブルを担当してくれた老齢の給仕曰く、春休み、特に夏休みのシーズンは、ヨセミテ全体が「動物園のように賑わう」とのことだったが、現在の公園内は、ほどよい人口密度だ。
特に平日のせいか、車を走らせていても込んでいるという印象がないし、車も速やかに止められる。ここに来るまでの道中も、インドではありえない「独走状態」を長らく味わった。
わたしたちは今、初夏という爽やかな時節でありながら人が少ない、最もいい時期に訪れているのかもしれない。
さて、バックパックを背負い、帽子を被り、トレイルを歩き始める。重装備の人もあれば、片手にボトル水を持っただけの気軽な人もいる。
すれ違うたびに、アメリカの、甘く柔らかな洗剤やシャンプーの匂いがする。その匂いは、20歳のとき初めて日本を離れ、米国を訪れ、ロサンゼルス郊外で1カ月のホームステイをした日々を思い出させる。
その後、米国には何度か訪れ、30歳を過ぎてからは十年間も暮らしたにも関わらず、初めて経験した20数年前のアメリカの匂いの方が、まるで身近に鮮明に蘇るのだ。
● 言葉を交わしながらゆく
出発地点を出たのは午前11時半。片道が2時間余りだから、まだまだ道のりは長い12時時点で、すでに空腹になってしまう。が、ランチはせめて片道を半分以上を歩いてからだ。サンドイッチもいいが、おにぎりが食べたいものだ。
さて、こういう場所では、行き交う人々に、軽く声をかけ合うのは普通である。が、立ち止まって長話をするのは、あまり普通ではないかもしれない。
しかし我々は、とある老夫婦と数十分、立ち話をしたのだった。
「どこから来たの?」
という質問が、すべての始まりだった。
「インドです」
と答えたわたしたちに、老婦人は言った。
「わたしはカシミールで生まれたのよ」
好奇心をそそられた我々は、尋ね、そして彼女は語る。
1930年代のロシア。ドイツ系移民だった彼女の両親は、コミュニズムの嵐から逃れるため、ロシアを離れた。パスポートも持たず、流浪した。
なぜそのルートを選んだのか、理由を尋ねていては会話が終わりそうになかったので、ただ聞くに任せていたが、いくつもの国境を越え、彼女の姉は中国のゴビ砂漠で生まれた。
その後、一家はボンベイに移住して数年を過ごすが、いろいろと問題が起こり、インドを離れる。
それからブルガリアのソフィアへ。
ここでもまた、問題が起こる。
ようやくドイツに戻ったところに、第二次世界大戦。
彼女自身は1955年に米国に移り、夫と出会い、結婚したのだという。
この、元気そうなご主人は、85歳。足取りの軽いこの彼。とても85歳だとは思えない。
なにしろこのトレイル。かなり坂道の起伏が激しく、わたしたちでも息を切らしながらの道のりなのだ。
「どうして、お二人ともそんなにお元気なのですか?」
とアルヴィンドが問うと、
「彼女はハーブの専門家なので、僕たちはハーブを摂取しているんです。それだけじゃなく、僕たちはいつだって前向きです。いつかは天国に行く。だから何も怖いことはない。そう考えて生きているんですよ」
長々と独白を続ける夫人の話を、しかしわたしたちは興味深く聞いていたのだが、ご主人はわたしたちに、
「辛抱強く話を聞いてくれてありがとう」
と、笑いながら言うのだった。
● 滝のしぶき、光と虹。
ゆっくりと歩く彼らをあとにして、わたしたちはまた、歩き始める。
「僕たち、あの人たちの半分くらいの年齢だものね。疲れてる場合じゃないよね」
といいながら歩く。
が、日頃の運動不足もあってか(ヨガはやっているけれど)、足取りの重い我々である。
子供たちが軽やかに、傍らを駆け抜けて行く。
上り坂もきついが、帰りの下り坂も、足腰にこたえるはずである。むしろゆっくり歩かねばならないな。などと年より臭いことを考える。
しかしながら、この澄んだ空気の心地よさ。バンガロールの埃まみれな空気とは雲泥の差だ。
あの街に住んでいる自分たちが、まるで幻。
やがて彼方に見えていた滝が目前に姿を現した。その白くまっすぐな流れに一瞬「揖保乃糸」を思い出す。
そうめんかよ。
自分の浅薄な想像力に自ら脱力してしまうが、仕方ない。
なにしろわたしの幼児体験に於ける「渓流」と「そうめん」は、切っても切れない縁なのだ。思い出して然るべきなのだ。
子供のころ、お盆休みに、家族で筑豊地方にあった祖母の家に訪れ、親戚のおじさんおばさんやいとこたちと、その界隈の渓流で「そうめん流し」をしたことが、何度かあった。
轟々と岩を打ちながら流れる渓流の音。ヒグラシの大合唱の渦。竹を割って作られた、考えてみれば妙な「仕掛け」に流れてくるそうめんを、箸で受け止めて食べる。
もはや刻みネギも食べ尽くし、つゆが水っぽくなってしまっているにも関わらず、そうめんの最後の一本が流れ尽きるまで、皆で競い合うようにして食べた、あのそうめんの、おいしかったこと。
しかし、あの「そうめん流し」とはいったい、なんだったのか。あの時節の「精霊流し」と何か関係があったのか。あるわけがないではないか。
それにしても、あの渓流の水は、肌に刺さるほど、冷たかった。
さて、話をヨセミテに戻す。やがて、四方の岩場を打つ滝が微粒の水滴となり、霧となり、あたりを冷たく覆い尽くす。空気が急に冷たくなり、足下はつるつると滑りやすくなっている。
それにしても、この白い滝の勢いと、光と水が織りなす虹の美しさ。
全身に霧のような水しぶきを受けながら、しかし取り憑かれたように滝が流れ落ちるさまを見つめる我ら。
ところでこのトレイルはかなり急峻である。ふくらはぎがつりそうである。防水加工のジャケットを羽織り、滑らぬように気をつけながら、上る。
そうして、ようやく滝のてっぺんと同じ高さまで到着。ここでランチ休憩をしたあと、更なる滝を目指して上る。
「すぐそこにあるのだから」
「せっかくだから」
と、二つ目の滝も見て行こうということになったのだった。
二つ目の滝まで来る人はごくわずかで、あたりはとても静かだ。
しばらくここに座り込み、滝の流れ落ちる様子を眺めながら、過ごす。
さて、下りは上りよりもさらに慎重なフットワークが望まれ、かなり疲労困憊した。
アルヴィンドは、普段は決して「アウトドア派」ではないのだが、米国の国立公園歩きは大好きで、これまでもしばしばトレッキングに出かけたものだ。
スジャータやラグヴァン、マックスなど、周囲に「本気アウトドア」な人々がいて、いろいろと話を聞かせてくれることも、関心をそそられる理由の一つかもしれない。
が、「快適なベッド」がなくてはだめなハニーなので、キャンプなどは決してできないのである。
さて、出発地点に到着したころには、すでに5時を回っていた。ランチ休憩をとったとはいえ、6時間ほども歩いていたことになる。疲労して当然であろう。
さて、三晩に亘ってアワニホテルのダイニングに予約をいれていたものの、今日はさっぱりと軽めの食事がしたい。
ジェネラルストアに立ち寄って、チーズやワイン、ローストビーフ、アスパラガスやサーディンの缶詰、パン、トマト、アボカド(&醤油)、シリアルにパンなど、思いつくままに手に取り、夕飯と朝食の材料を得る。
プラスチック製の食器類もついでに買う。
窓の外には緑の木立ち。
薄暮の青空は清らかで、凛と優しい。
食後、ベッドに横たわった夫は、瞬間的に睡眠状態に陥った。わたしはといえば、ラウンジへラップトップを持参し、今日一日の写真の整理をし、この記録を記す。
それからしばらく、読書をする。
引っ越しのとき、段ボールから取り出して書棚に詰め込んだ日本の本。日本を離れるとき、そして米国を離れるとき、大胆に処分して、今では少なくなってしまったが、どうしても捨てられなかった文庫本などが、バンガロールまでもついてきている。
その中の一つ。大江健三郎の『遅れてきた青年』を、インドを離れる前に何気なく書棚から取り出して、持って来ていた。だいぶ前に読んだが、内容をよく覚えていない。最近では、一冊で二度も三度も楽しめるのだ。
大江氏の、わたしは初期の作品が好きだった。後年から現在にいたる文章は、尤も彼の著書をそんなに読んでいる訳でもないのでこういうことを書くべきではないのだろうが、そもそもの「くどさ」に、より磨きがかかって、内容云々よりその回りくどく難解な描写についていけず、苦手となってしまった。
が、この『遅れてきた青年』は、くどいが、すばらしい。
終戦直後の、四国の山村の自然の描写が、ヨセミテの緑と重なって、違和感なく読み進められるのが奇妙。
『万延元年のフットボール』にも、読後、感動した記憶があるが、内容を忘れてしまった。本当に感動したのか自分よ、と問いただしたくなるが、本も手元にない。
なんだか、どうでもいいことばかり書いている気がする。
明日も晴れますように。