長かった。実に長い、帰路だった。
現在、5月2日の午前1時。数時間前に、帰宅した。新居は、心地よい。一通りの片付けをすませていて、本当によかった。
帰路では、それが果たして朝食なのか昼食なのか夕食なのか、わからない食事を繰り返した。
29日の夜、サンフランシスコの空港に赴き、30日があけてすぐの飛行機に乗った。最初に出される機内食は食べずに寝ていた。それから十数時間後。機内で朝食をとり、香港で給油休憩。朝食が足りなかったので、香港空港で、味千ラーメン(とんこつチャーシュー麺)を食べた。麺が硬かった。
香港への途中で、日付変更線を超えた。時間が行きつ戻りつ。日本列島の上空を思い切り横断した。九州は熊本・宮崎あたりの上空を経て。
そして、香港。そして、シンガポール。シンガポールへ向かう機内で朝食だかランチだかを、また食べた。
シンガポールでは8時間待ち。トランジットホテルでシャワーを浴び、マッサージをしてもらい、夫は仮眠、わたしは最終日にサンノゼの紀伊國屋で買った文庫本を読んだり、買い物をしたり。
「何食」かわからないが、途中で点心を食べた。
それから、バンガロール行きの飛行機に乗り、4時間後、「第三世界」な蚊パラダイス空港へ到着したのだった。インドの匂い。インドの匂い。
思うところとめどなく、しかしここが、わたしたちの拠点。わたしたちの「家」がある場所へ赴きながら、疲労困憊の脳裏に雑念想念巡り巡りて。
「因果」としか思えないな。と、車に揺られながら思う。ここに暮らしている我ら。
ヨセミテ最終日のことなどは、また追って記したい。
が、4日からは、「義理両親がデリーから泊まりにくる」のだ。1カ月ほど。ダディマを亡くして沈んでいるロメイシュを前に、
「デリーは暑いし、気分転換に遊びにおいでよ!」
「新居は快適だし、ゲストルームもすてきだし、庭もいいよ〜」
と誘ったのは、わたしだった。
でも、4日。ちょっと、早いかも。っていうか、早すぎ! もう、全然のんびりする時間がなかろうもん。ああもう、わたしのばか!
思えば旅行の数時間前まで、メタルワークを工事していた。まだ、あれこれと仕事はある。が、人生、同時進行でいくしかない。
あれだけ歩いて、これだけ疲れて帰国したのに、今、体重を量ってみたら2キロも太っていた。どういうことよ。先日の食あたりのときといい、今回といい、少しはやつれてもいいんじゃないか? 逆境に強すぎる身体。憎らしい。
いろいろな意味で、精進したいと思う。
もう、寝ます。