6月だ。
毎日、自分の周りでも、この街でも、この国でも、そして世界のさまざまな国でも、いろいろなことが起こっている。
毎朝、新聞三紙("Times of India" "The Hindu" "The Economic Times" )にざっと目を通すだけで、TVさえ見ないのに、心に引っかかるニュースに、次々と出合う。心に引っかかるものの、刻印されることなく過ぎ去る事象。
加えて、仕事での調べものを通して、見いだされる事実・情報。一つの仕事で、インド最大の私企業、リライアンス・グループの創始者であるディルバイ・アンバニの人生に触れた。彼のバックグラウンドを調べ、人生哲学を探り、彼をモデルにした映画"Guru"も見た。
言いたいことがまた、あふれるが、書ききれない。インドでの日常は、小さなものから大きなものまで、毎度のことながら、尽きない。まったく追いつかない。
さて、先月分の仕事は、すべてつつがなく終了した。幅広く、インドのトレンドをリサーチしたり、インドの過去を遡る資料をまとめたり、情報を得るためにインド人家族や友人たちの話を聞くにつけ、わたしはここに来るべくして来ているし、より意義のあることをこれから先、やっていかねばならないなと、思わされる。
それにしても、意義のあることとはなんだろう。
街を行けば、車窓から眺める景色だけで、この国の日常が発信しているメッセージを受け止められる。日常生活の混沌。困惑は尽きないが、常に手応えがある。「楽な生活=幸せ」ではない。日々、興味深い。
●ご近所さんたちと、サプライズパーティー。
水曜の夜、ハウスウォーミングパーティーに来てもらったご近所さんの1組から、パーティーに招かれた。場所は近所のルーフトップバー&レストラン。
なんでも結婚記念日で、サプライズパーティーにしたいらしく、ご主人のサンジェイが「妻には秘密で」と連絡をくれたのだった。
会場には、やはり顔見知りのご近所さんが集っていた。
ニューヨーク&ワシントンDC帰りのドクター夫妻、デリーから来た起業家とその家族、コンピュータ会社の駐在員、そして我が隣人の不動産開発会社の二代目CEOなどなど。
ゲストは早め(といっても8時半)に集まって、それぞれに会話を楽しむ。業種が異なれど、それぞれに海外経験も豊富な、知的で見識豊かな人々である。アルヴィンドも共通の友人、知人を持つ人に出会い、グラスを片手に会話が弾んでいる。
わたしはといえば、どちらかといえば男性たちの仕事に興味があるため、マダムたちからは一人離れ、男性チームに紛れて話をする。
お隣の不動産会社CEOの話が興味深かった。
彼の会社は父親だか祖父の代で創業したらしいが、現在はバンガロール拠点に、インドの5、6都市で開発を進めているという。
各地の開発におけるエピソード、たとえばハイダラバードの場合、岩の多い地盤に基礎工事をするのに、かなりの予算と時間を費やすといったことや、逆にケララの地盤は弱い(水分が多い)ため、高層ビルは建てにくいといったことなどを、具体的に教わって、なかなかに興味深い。
それより驚いたのは、我が家界隈の地価である。
「実は1989年、うちの会社がこの界隈の土地を購入したとき、1スクエアフィート50ルピーだったんですよ」
50ルピー……! 耳を疑った。素直に数字を打ち明ける彼にも驚いた。それにしても、なんという数字!
ちなみに現在、この界隈の高級アパートメントは1スクエアフィートあたり、軽く5000ルピーを超えている。7000ルピー、8000ルピーという物件も珍しくない。
つまり、100倍なのである。
たとえば、現在5000万円の物件が、18年前には50万円だったのである。
この町が、そしてこの国が、いかに無謀な高速度で変貌を遂げているのかが、顕著に見て取れる。
今回、西日本新聞の記事にも書いたが、不動産の高騰により、そもそもからここに暮らしている地元の人たちの暮らしが圧迫され、貧富の差が拡大していることにまた思いを馳せ、実に憂うべきことと思う。
このことに関しては、また書きたいことが募るのだが、さておいて。
その他、我が家の隣にあるITCテックパークの広大な敷地が、数年のうちにITC系の5つ星ホテルになるとの話も聞いた。
高級ホテルであれば、庭も大切にするだろうから、我が家に接する木々が伐採されることもないだろう。
むしろ、より緑が豊かになるかもしれない。
さて、9時を過ぎてようやく、主賓家族の到着。
踊りとカラオケが好きだという夫婦だが、ファンキーなファッションで登場だ。
大勢での出迎えに驚き、喜ぶ妻のシャクティ。子供たちもうれしそうだ。
それにしても二人。とても結婚23年目とは思えない、若々しさと元気のよさだ。シャクティはわたしと同じか年下だろうと思っていたのだが、わたしよりも3、4つ年上だった。年の差カップルかと思っていたら、同じなのだという。
あれこれと飲みながら、スナックをつまみ、なにしろインド時間の遅い食事に慣れていない身としては空腹で夕食が待ち遠しいのだが、ひとまずは、みな、踊る。踊る。飲む。しゃべる。踊る。
わたしたちも、もちろん踊るのだった。
が、お腹はすくのである。
アルコールと揚げ物のスナックばかりでは、身体にも悪いのである。
「ひょっとして、夕飯、出ないのかな? ミホ、家に夕飯、ある?」
と、インドの深夜型パーティー文化にまだなじめぬアルヴィンド、空腹に不安&不満そうである。なにしろ時計は10時半をさしている。しかも、平日だ。が、みな、余裕の表情だ。
そこがまた、なんだかインドらしくていいといえばいいのだが、夜遅くの飲食は美容の敵である。
ブッフェの蓋は、ようやく11時になって開かれた。夜遅いとはいえ、みなしっかり食べる。デザートのアイスクリームとグラブジャムンも食べる。
更には結婚記念日を祝するケーキ入刀まであり、閉店間際の12時まで、皆、飲み食べたのだった。
ちなみにバンガロールは州の条例により、飲食店関係の営業は深夜12時までとなっている。
ダンスフロアもきっちり12時に消灯だ。
それは不幸中の幸いのような気がする。
2時3時まで店が開いていたら、軽く1、2時間は遊んでしまえそうなムードであった。
平日とは思えない余裕である。
楽しい夜のひとときをすごしてのち帰宅し、熱いシャワーを浴びながら、この夜の話題のひとつとなった、GDPならぬ、「幸福度指標」に思いを馳せた。
数日前のTimes of Indiaの記事の話から、経済的な側面における国家の成長率と幸福度とについて、語り合ったのだった。
日本、そして米国での暮らしを経て、わたしたちは今この土地に住んでいる。
わたしは、アルヴィンドの仕事を通して、米国の超富裕層の暮らしを間近に見て来た。たとえば、彼のかつて勤めていたヴェンチャーキャピタル会社の上司たち。年収十億円をゆうに超える、皆が高所得者であった。
わたしが、「わたしたちは、米国で生涯を過ごすべきではない」「インドへ、行きたい」と痛感したのは、そんな彼の会社の、定期的に行われていたパーティーに、何度目かに出席したときだった。
このときのことはまた、改めて記したいと思う。
ともあれ、お金は必要だ。わたしも、東京時代、ニューヨーク時代、自ら必死で働いて、それなりの収入を得て来たからこそ、お金の価値はよくわかっているつもりだし、必要性もわかっている。
ただ、お金の、どれほどまでを望むのか。
そしてその使い道をどうするのか。
お金を巡るその他もろもろに思いを巡らせるとき、いかに自分の価値観をきっちりと持ち、自分なりの尺度で以て、身の丈にあった暮らしをし、生き様を選ぶか、ということの大切さを思う。
経済的なこと、仕事のこと、暮らしのこと。
幸せの尺度を、いかに持つか。
この国に暮らし始めて、「貧富の両極端」を目の当たりにし、センチメンタルでは決してない、身を以て戸惑い、混乱し、学び、考察する日々である。
口先で語るは容易い。
なんにつけても、行動してこそ、である。