●望んでばかり、いるのではなく。
昨夜遅く、デリーから戻って来たアルヴィンド。金曜の打ち合わせを終えた後、実家に帰り、土曜日の日中はロメイシュたちと過ごして、夜の便で戻って来たのだった。
ライチーがたっぷり入った箱。スーツケースには、なじみのティーハウスで買って来た茶葉が何箱も入っている。気に入りのジャケットは、家族がいきつけのテイラーで同じものを仕立ててもらうため、デリーに置いて来たという。
そして足もとを見れば、新しいサンダル。
「ミホ、このサンダル見て! 軽くて履き心地がよくて、ほら、この革も滑らかでいいでしょ!」
Made in Indiaを避けていた彼が、インドブランドWoodlandの靴を履いている。彼が故国の靴を履くのは、きっと18歳のとき、米国へ旅立つ前以来のことだろう。
このごろ、アルヴィンドのインドに対する姿勢が、かなり前向きだ。移住後1年半を過ぎてようやく、ここでの日々に於ける「長所」に目を向ける余裕が出て来たのかもしれない。
いつまでこの家に住まうかわからないにせよ、自分たちの力で、ひとつめの新居を購入したのがこのインドであったことは、気持ちを前向きにする上で大きかった。
米国時代は、最愛の母の死、敬愛する祖父の死に立ち会えず、彼なりに辛い思いをしたようだが、このたびダディマ(祖母)が他界したあと、気落ちしているロメイシュ(父)のそばにいられたことを、彼はよかったと思っているようだ。
幼い頃は転勤の多かったロメイシュとの関わりは浅く、1カ月おきに夫と子供たちの間を行き来していた母との結びつきが強かった彼。その母が他界して、父との交流が始まった。
仲の良い、父子である。
「パパが空港まで見送りに来てくれたから、ラウンジで一緒にビールを飲んだんだよ」
出張といいながらも、こうして束の間、家族とのときを過ごせることは、久しく海外に暮らしていた彼に取って、かけがえのない時間なのかもしれない。
自分たちの生活拠点を得、各々の仕事を遂行し、まだまだ発展途上の我々ではあるが、少しずつ、少しずつ、成長している。自分たちにとって、何が必要か、何が不要かを判断しながら、自分たちの価値観で、身の丈を見極めながら、進んでいる。
「お金の使い道」に対して、わたしたちには共通項が多いことも、互いが不満を抱えないという意味で幸いしているのかもしれない。
「ぼくたちは、望んでばかりいるんじゃなくて、今、自分たちが置かれている環境に、感謝しなくちゃね」
ほんとうに。
さて、いよいよこれから、インドにて。
ようやく、インド生活のスタートラインに、今わたしたちは立っているのかもしれない。
●水菓子屋でも、はじめるんですか?
そんなわけで、上の写真は、アルヴィンドのお土産であるところのライチーを手に取っている母である。ライチーは、こうして束になって売っているのだ。
バンガロールでも手に入るが、デリーのほうが、出荷量が多い。産地も近いはずである。このライチーはまた、非常に美味だった。
右側のマンゴーは、昨日近所の露店で購入した数種類。露店のおじさんたちは、もちろん英語を話さないから、ドライヴァーのラヴィが車から降りて来て、交渉を手伝ってくれる。
交渉といっても、味の具合を聞くのだが、どれを指差してもおじさんは、「これが一番!」と言い、どれを指差しても「甘くておいしい!」と言うのである。埒があかないのである。
仕方ないので、全種類を買ったのだった。そしてまた、今朝もマンゴーテイスティング。
露店のおじさんの言う通り、やっぱり、どれもおいしくて、それぞれに個性的な味わいがある。またしても、まったくテイスティングになっておらず、「あ、これおいしい!」「ん? これもいける!」と、最早どれだっていい状態である。
マンゴーも、去年よりずっと、楽しんでいる気がする。
●インドファッションで日本人会のパーティー(総会)へ。
半年に一度行われる日本人総会に、母を伴って出かけた。わたしは去年の6月に出席して以来、ちょうど1年ぶりだ。あのときは、「デリーに移転するかも」という状態だったので、参加するのは最初で最後だと思っていたのだが、どうしたことか、
今しばらくは、バンガロールにて。である。
わたしは、椅子にかけられているリボンをストールにしているのではないので、念のため。
わたしは先日、K子さんと共にサリー専門店に買い物に出かけ、つい買ってしまったレンガー・チョーリーを、母はわたしがダディマからプレゼントされていたサルワール・カミーズを着用した。
体格のいい女性が多いインドにあって、「お直し不要」で既製品を購入した我が体型。
スリムな日本人マダムに紛れて、やばい露出度ではなかろうかと少々躊躇ったが、まあ、ミニスカートをはいている訳でも、お腹を出している訳でもなし、許されてほしい。
ところでこの総会、特段ドレスコードがあるわけではない、気軽な集いなのだが、日本人マダムたちがサリーをはじめとするインド服を着る好機とあって、非常に華やかなのである。
みな、自分によく似合う色柄やデザインのサリーやサルワールカミーズを着ていらっしゃる。あちこちで、記念撮影が行われている。
さて、日本人総会。「パーティー」ではなく、「総会」と銘打たれているだけあり、役員の引き継ぎや挨拶、新会員の紹介、そしてチェンナイから訪れた在チェンナイ日本国総領事館の総領事の挨拶などが続く。
現在、バンガロール日本人会に登録している日本人は333名だとか。それ以外にも、登録していない日本人も暮らしているはずで、ひょっとすると400名近いのではなかろうか。
デリーに次ぐ、日本人人口の多さである。主にはトヨタ自動車関連の駐在員だが、最近はメーカーやサーヴィス、IT関連ビジネスに従事している人たちも増えているようだ。
個人的には、非営利団体から派遣されている人たちや、インド企業に現地採用で働いている人たち、一人で現地法人を管理し、業務を任されている人たちに関心があるのだが、今回はお話しする機会がなかった。
なんでも来年早々には、バンガロールに日本領事館ができる「かもしれない」とのこと。日本におけるバンガロールの重要度も、いよいよ増すのではなかろうか。来年の新空港開設を機に、日本への直行便も就航されるのではなかろうか。
ところで総領事皆川氏は、スピーチのなかで、バンガロールをいたく褒めていらした。緑は多く、気候もよい。(インドにしては)街もきれい。
チェンナイはインドで最も暑い都市。ムンバイやデリー、バンガロールに比べると、大都市でありながらもかなり封建的で、総領事曰く、「アルコールもあまり自由に飲めない」とのこと。なにかと不自由が多そうだが、南インドの人々との交流には恵まれているご様子。
やがて食事が始まり、合唱が始まる。わたしたちの座ったテーブルは、日印ファミリーが数組。二カ国の血が混ざり合った子供たち。母はマダムらとの会話を楽しんでいるようなので、わたしはわたしで、食事を終えたのち、ドリンクをもらいに立ち上がる。
と、ちょうどバーカウンターの近くに友人のしのさんたちがいたので、みなさんと自己紹介などをしているうちに、総領事登場。気さくな領事、美しいマダムらの様子に、とてもご機嫌なご様子だ。
これまで間近にご覧になる機会がなかったのであろう、「こんなにインドの女性の衣装が美しいものだとは、思わなかった!」ということを、何度もおっしゃっていた。
領事は、ベトナム、ニューヨーク、パリ、ミラノなどを経て、チェンナイにいらしたとか。結構長い時間、お話しをしたが、非常に印象的だったのは、領事が今日、飛行機ではなく自動車で、チェンナイから6時間かけてバンガロールへいらしたということ。
「途中の様子を見たかったから」
と、さりげなくおっしゃっていたが、すばらしいことだと思った。
インドの6時間ドライヴは、米国の6時間ドライヴとは訳が違う。何かと疲労度が高い。それだけ道中の風景も、起伏に富んでいる。拡大する都市と、敷設される幹線道路。その脇に広がる、田畑、貧村、行き交うトラクター、牛車……。
いくつもの異なる時代が風景となって、走馬灯のように車窓を巡る。
途中で公用車が故障して、冷房が効かなくなってしまうというトラブルにも見舞われたそうだが、無事、バンガロールにたどり着かれて、何よりである。
ビンゴーゲームも行われていたが、途中で放棄してしまい(あまりにも、ビンゴーからほど遠い状態だったので)、しかし、いろいろな方とお目にかかれ、楽しい一夜であった。
写真左は、本日初めてお目にかかった清水氏。なんと奥様が、わが母校、福岡県立香椎高校の卒業生だとかで、このブログを読んでくださっているとのこと。バンガロールにお越しの際には、ぜひ遊びにいらしてください。写真右は、ド派手な母娘に囲まれた総領事。